今枝由郎監訳、岩波文庫、2015年。14世紀チベットの書、『王統明鏡史』の部分訳。ソンツェン・ガンポ王を中心としたチベットの歴史書であるとともに、チベットの仏教教化の物語。なんとなく手に取ったが、カラフルでおもしろい。思想的にはけっして一貫しているようにはみえず、別々に存在してきたチベットの伝説や歴史物語と、仏教思想とが大胆にミックスされているように見える。

思ったことのひとつ、この書には、仏教における仏像というものの重要性が強く感じられる。ここでは釈迦自身が、仏像を遺すことを命じている物語になっているし、仏教の招来は仏像の招来と重ね合わされている。また、自ずから現れる仏像「自生仏」というのがあり、訳注によるとチベットではこの区別が大事で、人工の仏像よりも尊いとされているという。主人公であるソンツェン・ガンポと二人の妻も、最期は誓約仏(念持仏に近い)である自生十一面観音像の胸に溶け込んだとされている。

第六章は、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』にも出てくる、羅刹女の島への漂流と、そこからの脱出の物語。ここでは羅刹と作った子どもが執着となり、それを捨てるべきことを是としているが、親子や家族の関係を肯定しているのか否定しているのか、本書内でも大いに矛盾があって、仏教思想のひとつのポイントとして、関心が湧く。

第八章はチベット人の誕生を語る。神通力を持ち、仏教修行をしていた猿が、観音菩薩の指示で羅刹女と結婚する(!)。その子孫がチベット人だという。こうしてチベット人の中には、菩薩である猿の血筋と、煩悩に苛まれる羅刹の血筋のふたつがあるという。

それから、ソンツェン・ガンポ王の物語がはじまる。彼は、尊い仏像つまりは仏教をチベットに招来させるため、ネパールと中国から王妃を娶る。そのために、聡明で、ときに狡猾な大臣ガルが活躍するのである。ネパールからは比較的簡単に嫁取りを成功させるが、中国・太宗からの嫁取りには大いに苦戦し、輿入れ後は中国妃とは諍いが生じたりもしている。それでも、ガンポとネパール妃・中国妃は、仏教国チベットの開基という位置づけである。

固いことを言わなくても、物語の整合性にこだわらない神話的な歴史物語のおもしろさが十分に楽しめる。

[J0111/201212]