ちくま新書、2020年。これ、タイトルはミスリーディングで、内容は「近代日本社会にいたる村の再定義過程」といったところ。村人の生活なんてことはほとんど出てこないし、それにもっとも興味深い読ませどころのひとつは、江戸幕府の支配体制の評価のしかたであったりする。

序章 村概念の転換
第1章 村の近代化構想―織豊政権期
第2章 村の変貌と多様化―幕藩体制期
第3章 村の復権構想とその挫折―明治初期
第4章 土地・人・民富の囲い込みと新たな村の誕生―明治中期
終章 「容器」としての村

奈良時代以降、村とは「土地や地名を指す言葉である以前に、第一義的には人間の集団を指す言葉だった」(16)。もともと「人を通じた土地の捕捉」が行われていたものが、「土地を通じた人の捕捉」へと転換が図られるが、その端緒を開いたのは太閤検地を実施した豊臣秀吉であった。土地分割をめぐる当時の世界の流れを背景とした秀吉の施政は、大名および庶民について領地権と所有権の分離を図るとともに、領域としての村という概念を創出させた(本書で創出という表現をしているわけではないが)。

しかし、秀吉が定礎し家康が展開した中央集権の試みは挫折したと、著者はみる。「その後の権力分散と現状追認の連鎖によって徳川幕府支配下の日本は、徐々に三〇〇諸侯の領邦国家に近づいていく。すなわち、最終的に幕府は、全国の領主を石高制官僚として処遇することに失敗するのである」(60)。大名の転封が減ることはその表れであり、そのほか「度量衡の混乱、藩札の発行、関所での口銭徴収など、これらはすべて権力の分散化傾向を示すものである」(68)。村々についても、課税標準としての石高制と村請制は、各村に多くの裁量を委ねるものであった。

中央集権の動きが再びはじまるのは、明治維新後である。1871年の壬申戸籍は、族籍別編製をやめて居住地編製主義(属地主義)へ転換した点で「土地と人間をめぐる関係に転換をもたらした画期的な法令であった」(129)。
 さらに、地租改正や地押調査、地籍調査といった土地の実態把握を経て、町村合併が行われる。「町村合併は、未帰属地の解消だけでなく、飛び地や地籍錯雑の解消、境界紛争地の処理、入会地の処理など、当時、課題となっていた多くの土地問題を一括して解決するための便法だったのである。町村合併を経てあらゆる土地がどこかの村(市町村)に帰属するという原則が確立したのも、一八八九年の市制町村制の施行時である。一連の事実が示すのは、村が集まって、あるいは村が積み上がって国を作ったのではなく、国を分割して村を作ったということである」(22-23)。
 こうして作られた村は「法人化」され、法共同体としての性格が否定される(221)。こうしたつくられた村は、もはや以前の村ではなく、それを解体再編成して構成されたものであった。「不思議なのは、この重大な概念転換の、まさにその時点から市町村が「自治体」と呼ばれるようになったことである(法律上は「地方公共団体」)」(227)とい指摘は興味深い。

 こうして筆者は、村の形成を単純に「自然村」や、あるいは江戸時代に遡る見方を否定する。それは根本的に近代的なものである。本書で示されている、秀吉から明治新政にいたる土地管理の歴史は、国家権力浸透の一過程と解釈することが可能だろう。冒頭にも書いたが、僕にとっては、明治以降の経緯以上に、秀吉から江戸時代にいたる社会動向の理解――近代化の淵源であるとともにその挫折の過程として――について示唆の多い一冊であった。それにしても、平成の大合併とは本当になんだったんだろうか・・・・・・。

[J0120/201230]