恒文社、1995年。八雲の曾孫にして八雲研究者としても著名な著者。八雲の仕事のなかから、民俗学的な主題や議論を整理するとともに、八雲を民俗学の文脈のなかに位置づけようとする。

序章 研究史
第1章 基層文化への関心とその背景
第2章 来日後の著作からみる民俗学研究の特色
第3章 民俗学史上におけるハーン
第4章 結びと展望

ほうほう、ハーンは自分を「東洋生まれ」だと自認していたのか。「東洋の事物に対する私の愛好は偶々私の生まれが東洋であり、血流も半ば東洋人でありますので、左程異様に思わるる迄もないと考えます」(1876年5月書簡、『小泉八雲全集』第12巻所収とのこと)。

本書内で幾度か触れられている話題として、ハーンが著した「日本人の微笑」を、柳田國男は『笑いの本願』で批判しつつも、日本文化への理解についてはハーンを評価していたという話。柳田による評価に関する著者の見解、「チェンバレンに対しては、沖縄研究の先駆者、また偉大なるプロの学者として大いなる敬意を払い、一方、ハーンに対しては、学者としての敬意ではなく、民俗学に関して素人であるが、常民の心に共感し、先駆的なその着眼点や日本人の心意の微妙さを洞察する力といった彼の直感力、感性に対する敬意ではなかったろうか」(178)。なるほど。この文章には注がついているが、柳田がモースを批判しているくだりをわざわざ紹介しているのは、ハーンに対してモースをたてる太田雄三氏への皮肉かも。

さて、ハーンの仕事は貴重な民俗学的知見を提供するものではあっても、ハーン自身を民俗学者とするのは少し難しいのではないか。ハーンは確かに、日本旧来の生活や人々におけるあれこれの微妙な心意までを共感的に理解していたようだが、最後には、それらに触発されて湧きだしてくる自分自身の感覚やヴィジョンを見つめていたのではないか。柳田が実は心裏に抱きつつ、意識して秘した熱っぽい幻視の世界、柳田とは異なって、ハーンはそこに漂うことを自らに禁じておらず、そのことこそが彼の仕事の魅力になっているようにおもう。民俗学のような学問的成果とちがって、そうした幻視の魅力の価値はひとによって評価が分かれるだろうけども。

[J0132/210208]