平井呈一訳、恒文社、1975年。訳本自体は『心』との合本版。

原書は1895年出版、熊本を経て、前年には神戸に移っている頃。日本文化論が多いが、熊本時代の経験や見聞が散りばめられている。日清戦争の頃で、『日本瞥見記』とはちがって、当時の時勢に関する記述も多い。

「横浜で」から。「この地蔵堂を、わたしがふたたび訪れるまでに、五年という歳月が、あの開港場から遠くへだたった土地で、しずかに流れていった。この五年のあいだには、わたくしの内外にもさまざまの変化がおこった。日本の国のあの美しい幻影、はじめてこの国の霊妙な空気のなかに足を踏み入れたものが身におぼえる、あのぞくぞくするような妖しい魅力は、わたくしの心に長く長くのこっていたとはいうものの、やがてそれもしまいには、どうやらまったく色あせつくしてしまった。そういうわたくしは、ひところのような、目をくらがされるような眩惑の心なくして、日本を観察することを習いおぼえたのである。それでいながら、わたくしは、むかしの感激時代の気もちが、大いに愛惜されてならなかった。ところが、ある日、むかしのその感激の気持が、ほんのつかの間ながらも、わたくしの胸に戻ってきた」(336)。

このあと、いつぞやの地蔵堂の老僧を再訪するが、様子が変わっていて老僧は亡くなっていたという結末。日本に対するハーンの心の動き、一度はよみがえった幻影がまた失われるさみしさ。

[J0142/210307]