冨山房インターナショナル、2021年。

はじめに―にわか漁師の奮闘記
第1章 シタモノと食い魚
第2章 魚を売りに行く
第3章 春雄さんの半生記
第4章 新地の沿岸漁業
第5章 新地の漁業民俗
第6章 寄りものとユイコ
第7章 海辺のムラの災厄観
第8章 東日本大震災からの漁業
あとがき―福島の海と暮らして

気仙沼に生まれ、長年福島に住み込んで、民俗調査を続けていた著者。僕自身、東北に10年以上住んでいたこともあって、東日本大震災が起きてから急に東北地方を研究対象にしはじめた学者にはどうも構えてしまうが、川島先生といえば骨太の民俗学者として、ずっとこれら地域に寄りそってこられた方。気仙沼もそうだが、関わられてきた福島県新地町の漁村がまた津波と原発の影響の直接に受けてしまって、続けてこられた民俗調査がまた別の重い意味を持つことになった。それでも、原発問題をことさらに取り上げるわけではない。新地町の漁師さんの生活やライフストーリーに、原発問題が深く食い込んできているという理由から、それを取り上げている。当事者にほとんど憑依した『苦界浄土』ともまた異なったやりかたで、民俗誌という記録を残すという筋の通し方。

漁業といえば、採れた魚に目が行くが、川島先生は網にかかって売りものにならない貝殻やヒトデなどの「シタモノ」、このシタモノをはずす重労働――シタモノハガシ――が漁の一部であることを強調して、その様子を詳細に記す。この一事だけでも、生活の具体的なディティールこそが命だという、川島先生のまなざしのありようがうかがわれる。

第七章「海辺のムラの災厄感」では、トリチウム水の海洋放出に反対する漁師たちの反応の裏にある「民俗の論理」が示され、そのことによって、現代社会の科学信仰のあり方があぶりだされている。本稿では1954年のビキニ事件や、それこそ水俣の話にも言及がされているが、先の大震災を含め、数十年前のことを簡単に「過去のこと」と片づけてしまう感覚こそ、多くの過ちや理不尽が繰り返されてきた理由のひとつではないのか。そんな感覚に抗って、今に生き続ける「民俗の論理」をたどる川島先生のお仕事から、問題提起のメッセージを感じる。

[J0158/210519]