橘明美・坂田雪子訳、草思社、2019年。原著は、2018年。

上巻
第一部 啓蒙主義とは何か
 第一章 啓蒙のモットー「知る勇気をもて」
 第二章 人間を理解する鍵「エントロピー」「進化」「情報」
 第三章 西洋を二分する反啓蒙主義
第二部 進歩
 第四章 世にはびこる進歩恐怖症
 第五章 寿命は大きく延びている
 第六章 健康の改善と医学の進歩
 第七章 人口が増えても食糧事情は改善
 第八章 富が増大し貧困は減少した
 第九章 不平等は本当の問題ではない
 第一〇章 環境問題は解決できる問題だ
 第一一章 世界はさらに平和になった
 第一二章 世界はいかにして安全になったか
 第一三章 テロリズムへの過剰反応
 第一四章 民主化を進歩といえる理由
 第一五章 偏見・差別の減少と平等の権利

下巻
第一六章 知識を得て人間は賢くなっている
第一七章 生活の質と選択の自由
第一八章 幸福感が豊かさに比例しない理由
第一九章 存亡に関わる脅威を考える
第二〇章 進歩は続くと期待できる
第三部 理性、科学、ヒューマニズム
第二一章 理性を失わずに議論する方法
第二二章 科学軽視の横行
第二三章 ヒューマニズムを改めて擁護する

科学や技術を含む「啓蒙」が世界を良くしてきたし、これからも良くしていくと正面を切った進歩史観を主張して、近代文明に対する悲観的な見方を全面的に斥ける。近現代の文明を悲観的に捉えるか、楽観的に捉えるか、それは確かに大きな問題で、議論の対象として読む価値のある本だと思う。一方で、これだけ広汎な主題を次々に論じて、ピンカーの主張がすべての点で正しいわけがない。立場については一貫しているとしても、雑多な議論の寄せ集めであることにも注意する必要がある。

さらに大きく分けると、主に上巻で示されている「進歩」の証明と、下巻で示されている「新無神論者」的な反宗教的ヒューマニズムの立場の問題があるが、今回の記事では前者を中心にメモをしておきたい。

「現代の多くの著述家は、啓蒙主義による理性の是認と、「人間は完全に合理的な主体だ」というばかげた主張とを、混同している。これほどひどい誤解があるだろうか。カント、スピノザ、トマス・ホッブズ、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスといった啓蒙思想家たちは好奇心旺盛な心理学者でもあり、人間が非合理的な感情や弱点をもつことを十二分に承知していた」(上36)。これはなるほどだ(笑)。世俗主義寄りの人にも多い誤解とおもうけどね。

二〇世紀の飢餓の最大要因は、共産主義と政府の無策であると。反共産主義、(下巻の)反イスラーム。分かりやすくアメリカ的。

不平等の拡大を否定。全体のパイが拡大しているのだから、貧しい人もずっと豊かになっているというのが基本的な論法。ピケティもこの論法で斥ける。また、不平等と不公正を混同してはならないと言う。ときどきそうだなと思うことをスローガン的に挟むんだな。一直線な平等追求を揶揄して、「最も健康な人を抹殺し、最も優秀な若者を退学させるのが人類のためだとでもいうようではないか」(222)。意外なことに、ベーシックインカムはこれを擁護する。論拠はごく簡潔だが。

環境問題の重要性は、ピンカーもこれを認める。しかし、それは進歩によって克服すべきものである。「豊かな国だろうと貧しい国だろうと、経済発展は必須である。経済発展がなければ、今まさに起きている地球温暖化に対応できないからだ」(264)。その上で、カーボプライシング、それから原子力発電が鍵であると主張する。

暴力の世界的減少は、ピンカーは別の書物でもこれを論じている。テロへの恐怖は、世界が安全である証であるとする。民主化は暴力や殺戮の減少に与すると、これもアメリカ的。死刑もそのうち消滅するよ、と。

うーん、メモっていてつらくなってきたな。読んでいる最中はそれなりにおもしろく読んでいたが。いちいち挙げないけど、ところどころでガバガバ理論も多いのだよね。過去から現在にいたる変化の再評価には、首肯できる部分も多いし、科学や技術による達成が正当に評価されていないのでは、とか、悲観的展望が強すぎるのではという問題意識については相当部分、同意する。しかし、現在までの変化と、現在から未来への展望は切り分けて考えないといけない。これまで進歩をもたらしてきたからといって、これからそうである保証はないわけで、ここまでくると進歩信仰と言われてもしかたがない。個別の論点に即して考えないと。漸進的に進歩しつづける変数もあるだろうけど、そうではない変数も多い。飢えから満腹は大いなる進歩だけど、満腹から先はどんな進歩が見込めるのか、といった。こんな感じで、考えさせられる本。

[J0162/210525]