ちくま新書、2021年。

Ⅰ 日本農村を見る視座
第一章 「同族団」とは何か
第二章 「自然村」とは何か
第三章 歴史を遡って──農村はどのようにつくられたか

Ⅱ 日本農村の東西南北
第四章 日本農村の二類型──東北型と西南型
第五章 まず西へ
第六章 南と北
第七章 「大家族」(家)制と末子相続

Ⅲ 「家」と「村」の歴史──再び東北へ
第八章 「家」と「村」の成立──近代以前
第九章 「家」と「村」の近代──明治・大正・昭和

終章 「家」と「村」の戦後、そして今

 とくに前半は日本の農村社会学のレビューとなっていて、これが有益。日本の農村社会学といえば、ヨーロッパ直系の社会学とも、あるいは民俗学とも一定の距離のある、独自の領域を形づくっていて取りつきにくい印象がある。農村社会学のトピックを易しく紹介した入門書としては鳥越皓之『家と村の社会学』(世界思想社、1985年)あたりがあるが、学説史の紹介となると硬い記述のものしか見あたらない。

 その原因のひとつは、学者ごとの見解のまとめと、事象やその地域差に関するまとめが別々に記述されがちなことにあるが、著者はモノグラフごと・研究ごとに紹介をしてくれており、しかも古いモノグラフにありがちな難解さ、曖昧さを「難解であるが無理にまとめれば」と、原著書の記述を尊重しながらうまく処理してくれている。ありがたい。

 具体的には、有賀喜左衛門の岩手県石神調査、福武直の秋田県大館と岡山県川入村の研究、松本通晴の近畿農村研究、北原淳・安和守茂の沖縄農村研究、田畑保の北海道農村研究、柿崎京一の岐阜県白川村研究、内藤完爾の鹿児島農家研究などであり、後半部分は主に著者自身の山形県庄内研究から成っている。

 これらの研究蓄積のレビューから分かることは、簡単な類型化を許さない、日本における家や村のあり方の多様性および柔軟性であり、著者は結論として「ただ一つだけ、雇傭労働力による大農場はない、ということは確認できただろう」と述べている(306)。いかにも弱い結論のようだが、別の言い方をすれば、雇い入れ型の形態を採ってきていないということは、日本津々浦々、何からのかたちにおける地縁・血縁組織のもとに農業が営まれてきたという意味で、驚くべき多様性と柔軟性を備えた――明治民法下の「家」はそのあり得る形態のひとつでしかない――「家」の存在感を証しているということになるだろう。

 なんなら、逆方向の仮説を立てることもできそうだ。つまり、日本社会、少なくとも日本の農村社会は、たんなる契約雇傭関係を生じさせないがために、家や同族といった理念を巧みに運用し作り変えながら村落共同体を成立させてきたのだと。

[J0179/210728]