日本基督教団出版局、1994年。

第1章 自由の天地
第2章 信仰と文化の周辺
第3章 アイヌ社会の構造
第4章 南の侵入者たち
第5章 シャクシャインの独立戦争
第6章 強制連行と奴隷労働
第7章 襲いくる「開拓」の嵐
第8章 「旧土人保護法」
第9章 三つの強制移住事件
第10章 抑圧と差別に抗して
第11章 いま、民族復権への闘い
第12章 私の出会いから

筆者は職業的な歴史学者ではないが、先行研究を利用しながら描くアイヌ民族の通史。逆に読みやすいという面もある。キリスト者という背景があるのと、アイヌ寄りの立場からの記述であることは明らかだが、抑圧を受けてきたマイノリティの記述に「中立」があるわけでもなく、また望ましいわけでもないだろう。

こうしてみると、アイヌの歴史は悲惨で過酷な収奪の歴史である。美しく大地に根ざして生きる人々とその文化もまたアイヌの真実なら、シャモによる抑圧や差別と、それを内在化し鬱屈した人々もまたそうである。アイヌをめぐる状況は、ここ数年で大きく転換した。まだウポポイを訪ねてはいないが、アイヌの文化と歴史のポジティブな面だけが強調される風潮には非常に違和感を感じる(それはウポポイの前身のこぎれいな博物館のときにはすでにそうだった)。「ウポポイ以前」におけるアイヌ文化の存在――わかりやすく言えば、通俗的な意味における、「昭和」の――にはなにか薄暗さ、陰鬱さがあって、それは抑圧の歴史が生々しく尾を引き、少なくとも部分的には消え去ってはいなかったからだろう。本書には、行政が言うところの「北海道100年」とされた1968年、静内のシャクシャイン像が作られたさいには、その台座に町村金吾の名が刻まれたことに強い抵抗の声があり、それを削り取って逮捕された人たちがいたことが記されている。「ウポポイ」にはそうした頑強な抵抗があったろうか。21世紀にそうした強い抵抗がなかったとして、それは本当にアイヌ民族への理解が深まった証なのだろうか。

これとは別の話、1994年出版の本書には、べてるの家に関するエピソードが出てきて、向谷地さんも登場している。そういえば、べてるの家の本は何冊か読んできたが、アイヌとの関係について書いたり論じたものは見たことがない。もしかするとこれって、べてるの「技法」を考える上でも、重要なポイントなのではないか。少し気にしておきたい。

[J0182/210803]