北海道出版企画センター、1956年初版、1985年復版。

第一部 地名研究者のために
 第一章 語形と意義について
 第二章 音韻と語法につちえ
 第三章 古代人のこころ
 第四章 メイ(?)著『北海道蝦夷語地名解』
第二部 アイヌ語入門
 第五章 単音
 第六章 音節
 第七章 アクセント
 第八章 音韻変化
 第九章 文法
第三部 辞書および参考書について
 第十章 バチラー博士の辞書
 第十一章 参考書について

きっと有名な本なんだろうけど、最近存在を知る。先行研究に対するこきおろし(?)が凄いというので、そこのところだけ読むという邪道な。たしかに舌鋒鋭く、こんな具合。
「アイヌ語の辞書といえばたいていの人はバチラー博士の辞書を思いだすにちがいない。それほど、こんにち、この辞書は有名になってしまった。しかも、いっぱんの信用とはあべこべに、この辞書くらい、欠陥の多い辞書を私は見たことがない。欠陥が多いというよりは、欠陥で出来ている、と云った方が真相に近いくらいのものである」(237)。永田方正『北海道蝦夷語地名解』についても、40頁以上を割いて誤りをあげつらっている。

自身がアイヌだとはいえ、言語学的に見て、著者自身のアイヌ語解釈がどれだけ正確かは、僕には判断できない。でも、少なくとも彼から見ていいかげんなアイヌ語の解説がこれだけ出回っていたとしたら、それは義憤にも駆られるだろうとおもう。これくらい率直にそれをぶつけてくれるのでなければ、なかなか僕ら読者にもその「惨状」が伝わらないだろう。「アイヌ研究を正しい軌道にのせるために!――この本を書いた私の願は、ただそれに尽きるのである」(276)。十勝アイヌが「人送り」と人肉食をしたなどという「史実のでっちあげ」についても告発しているが、その悪質さからすれば、知里の筆致は冷静なくらいである。

筆者が強調している点のひとつは、アイヌ語地名には古いアイヌの考え方が反映しており、たんに訳語として日本語を当てるだけでは十分な理解には達しないということである。とくに川について、「第一、アイヌは川は生き物――自分たちと同様に肉体をもち、性交を行い、子を産み、親子連れで山野を歩きまわり、眠りもすれば、病気もする、また死にもする――というような、まったく人間同様の生物と考えていた。第二に、日本人の考え方とは正反対に、アイヌにおいては、川は海から来て浜へ上陸し、村のそばを通って、山へ入って行く生物と考えられていた」(118)という。

アイヌと川との関係については、狩猟採集というライフスタイルの他に、北海道という土地における河川の地理的特徴についても考えておきたい。もちろん道内で地域差はあるにしても、一般に山の隆起速度が穏やかで降水量が少ないため、あまり谷が発達していない。泥炭地を河川が流れていたり、あるいは水際が低木の森になっているケースが多い。川の存在感や存在のしかたが、日本のほかの地域とはだいぶちがうんだよね。

文法の部分についてはまじめに読んでいないが、ちょっと目についた点として、名詞が人称に応じて語形変化するのだという。つまり、「私の目(ku-siki)」「君の目(e-siki)」「彼の目(siki, sikihi)」等々の変化形があると(ホロベツ方言の例)。ふむ。

なお、知里真志保の著述物については青空文庫で公開が進んでおり、この『アイヌ語入門』についても準備作業が進行中とのこと。

[J0185/210810]