亜紀書房、2018年。

はじめに
1 生きるために食べる
2 朝の屁祭り
3 反省しないで生きる
4 熱帯の贈与論
5 森のロレックス
6 ふたつの勃起考
7 慾を捨てよ、とプナンは言った
8 死者を悼むいくつかのやり方
9 子育てはみなで
10  学校に行かない子どもたち
11  アナキズム以前のアナキズム
12  ないことの火急なる不穏
13  倫理以前、最古の明敏
14  アホ犬の末裔、ペットの野望
15  走りまわるヤマアラシ、人間どもの現実
16  リーフモンキー鳥と、リーフモンキーと、人間と
おわりに――熱帯のニーチェたち

ボルネオ島の狩猟採集民プナンの生活を描くことを通して、先進社会たる日本社会のあり方を反省する。味づけにニーチェ。そもそもニーチェは精神おかしくしたんでないのとか、堅いことを言えばいろいろあるのだろうけど、もともとウェブマガジンの記事らしく、考えさせる読み物としては評判通り。

プナンは反省もしないし、感謝もしないという。知識や能力は個人の所有物ではなく、集団の中で共同所有され利用されているとのこと。21世紀に、それもわりと遠くないボルネオにこういった生活をしている民族がいるんだということ。

それ以外にも、人類学的なディティールがあれこれおもしろいのだが、妙にピンときたのは次のくだり。
「私には、学校の存在意義を確立していない、学校の価値の高いものと認めていないプナンは、近代以降の社会において、私たちの容易に抗うことができないようなイデオロギーに対して正面切って歯向かうのではなく、それらを相手にさえしていないように思われる。抵抗する以前に、不要なのだから行かないし、利用しないとでもいうかのような態度。そこに、逆に希望の光のようなものがあるのではないかと感じてしまうことは、はたしてまちがいだろうか」(182)。

なるほど、歯向かうのではなく、相手にしないと。そうね、なんでもかんでも相手にしすぎなんだよな・・・・・・(つぶやき)。

ひっかかりがあるのに避けて通るのでは、よくない意味での、陰険な無視や「スルー」になってくる。関わる必要性をまったく感じないところで、すっきりとした「相手にさえしない」が成立する。そのためには、あらかじめ自分自身が生きるについての筋道がすっきりとしていなくてはならない。

[J0189/210820]