日本評論社、2021年。

第1章 生きるための安楽死
第2章 オランダの安楽死制度―京都「ALS患者嘱託殺人事件」から見る
第3章 安楽死の倫理と「安楽死法」
第4章 安楽死の国際比較
第5章 安楽死エキスパティーズセンターと臓器提供
第6章 若い人たちの安楽死
第7章 後期認知症患者の安楽死
第8章 死の脱医療化と自律志向

著者はオランダ国籍を持つライターさんのようで、この本は『安楽死を選ぶ』という前著の続編的な位置づけとのこと。ぐいぐい主張をしているわけではないが、安楽死推進派寄りであることは明らか。オランダ語の情報も含めて、いろいろと調べてあるので、オランダの状況を知るのにとても勉強にはなる。

ただ、この本にしたところで議論や配慮が尽くされているわけではない。正直に言うと、京都の嘱託殺人の件を引き合いに出して、次のように書いているところで、どうかと。「いろいろな情報を集めてから形になってきた私の認識はこうです。林さんは献身的なケアチームによって、考えうる最高のケアで支えられていた。愛する人たちもいた。それにもかかわらず真摯に、持続的に死を願っていた。林さんが直面していた、まったく絶望的な状況を考えれば、彼女の死の願いは、私には理解できるものでした」(20)。僕も林さんのブログとTwitterは全部目を通したけども、「考えられる最高のケアに支えられていた」とはどこから出てくる判断なのか。林さんの個別ケースはSNS経由の情報くらいで判断するよりないにしても、現実にどれだけのALS患者が社会的なケアや支援の不十分さに悩まされているか、知ろうともしないのか?「まったく不十分なケア制度や社会的支援という限定された状況内で、実際に林さんのケアに当たっていた人々は、それぞれができる範囲内で最高のケアを行っていた」ということだったらまだ分かるが。

これは実は決定的なことで、「死ぬことを選択できる状況」を作るためには、「生きることを選択できる状況」が完全に整っていなくてはならない。そうでなければ「選択」ではない。「Aを選べば、家族には年に500万円相応の負担が掛かります。Bを選べば、無料です。さあ、ご自由に選択してください」というのでは、一見選択に見えても、本当に自律的で自由な選択ではない。安楽死/尊厳死や難病の問題については論じておかねばならない重要なポイントが他にいくつもあるのだが、この記事ではこの一点だけでもまず。だから本当は、オランダにおいて「生きること」を選択した人(たとえば難病患者)に対するどんなケアや社会的支援がなされているか、その状況をきちんと知らなければ、当地における「死ぬ選択」の在りようと意味も分からないはずだ。

上述の件がひっかかったものだから、筆者の軽妙な文体が、逆に気に触ってきてしまう。たしかに、もっと気軽に死のことを考えましょう、という問いかけも大事かもしれないけど、やっぱりそれなりに慎重さや配慮が必要な事柄ではある。とくに法律の問題というのは、社会全員に適用されるものだけに、一部の人の利害だけで決めてはいけないものだ。だから、じゅうぶんな目配せや、ときにノロノロとして見える議論と交渉が必要になってくるもの。

実はこの本でもしっかり触れてあることとして、法律とは別の医療現場では、日本であっても延命治療の差し控えはそれなりに認められている。このことは一般にはあまり知られていなくて、実践の問題と法制化の問題をごっちゃにして「心情的な推進派」になっている人も多いように思われる。

[J0192/210827]