岩本美砂子監訳、塚原久美・日比野由利・猪瀬優理訳、青木書店、2008年、原著2001年。

第1章 序論
第2章 利益をめぐる政治
第3章 お国のために―戦前の中絶・避妊政策
第4章 日本における人工妊娠中絶の合法化
第5章 中絶の政治―優生保護法を改定する運動(1952-2000年)
第6章 産児制限よりも中絶―日本の避妊政策(1945-1960年)
第7章 ピルの政治学(1995-2000年)
第8章 結論

著者は、コロンビア大学で政治学を学んだ人。なぜ日本社会は、他国との比較において、中絶に対する拒絶感が薄い一方で、ピル使用に対しては厳しい規制を敷いてきたのか。それを国民性や文化の問題として説明するのではなく、歴史的な経緯の帰結として、しかも各種の利益団体が干渉を続けてきた歴史の帰結として説明しようとする。こうした説明への志向はまあ、最近の英語圏の歴史学ではスタンダードな仕草のひとつとして、中絶という主題の拡がりに気づかされる一冊ではあった。本書の内容については、監訳者による長めの解説が掲載されているので、そちらでも。

一般的に言えば、優生思想とのかどで、非難の目で見られることがほとんどの優生保護法であるが、ノーグレンはそうした側面を認めつつも、そこに当時としての進歩性をも認めている。「優生保護法が1948年に中絶を事実上脱犯罪化し、しかも医師たちが法律を緩やかに解釈したために――たとえ法的にはそうでなくとも事実上――請求次第の中絶が実現されたからである」(7)。

「こうした〔優生保護法を制定することになった優生学的および民族主義的イデオロギー〕がもたらした肯定的で意図せざる結果のひとつは、日本女性が他の国々の女性よりもはるかに早い時期に、安全で合法的な中絶を――きわめて統制され制限された状態とは正反対だという意味で――簡単に手にできるようになったことであり、そのおかげで望まない妊娠と出産にまつわる多くの心理的・身体的・家族的・経済的困難が回避された。ところが、中絶が早い時期に合法化されたために、かえって受胎調節の導入が遅れるという意図せざる強情な結果が生じてしまった。しかも、1950年代の終わりに受胎調節が幅広く受け入れるようになった後も、早期の中絶合法化のゆえにピルの承認過程に否定的な「フィードバック効果」が働きつづけた」(260)。

占領期における日本の中絶の合法化や規制緩和は、1960~70年代における先進諸国における中絶合法化とはかなりちがう性格を持っていたという。まずは、医師であり日本母性保護医協会会長の谷口弥三郎が、国会議員としても働いた、その役割の特異性である。第二点として、「他の国々(たとえばフランス)でも国益が中絶政策の決定に一定の役割を果たしたが、日本ほど国益が重要な位置を占めることはほとんどなかった。逆に言えば、中絶の合法化の政治的議論で日本ほど倫理と宗教が小さな役割しか果たしてこなかった国はまれである」(85)。

第三点として、「他の先進民主主義国では、中絶を脱犯罪化するプロセスは女性運動やその課題と切り離せないものだったのに対し、日本では中絶合法化の取り組みにおいて女性運動はまったく参加しておらず、最終的に、初期の中絶政策の策定にも、それを取り巻く言説形成にも何の役割も果たさなかった」(85)。

第二点と第三点は、ある意味日本社会の一般的特徴にも通じるものとして重要で、第二点は、国益の問題と、宗教の問題とでふたつに分けた方が良い。この場合の国益とは、人口爆発を恐れた人口抑制という観点である。「戦後初期において注目すべきなのは、避妊政策の成否ではなく、日本のエリートたちが、戦前の反産児制限の立場を驚くべき速さで捨て去ったにもかかわらず、生殖に関する個人の意志決定は公共の利益に合わせて行われるべきだという戦前からの観念を保持したことである。つまりエリートたちは、今や帝国拡大ではなく経済的利益に中身は変わったが、国益を中心とする生殖イデオロギーを抱きつづけていた。優生思想の強調は戦後も生き残り、むしろ戦後のほうが強まったと言えるだろう」(160)。

本書内ですでに指摘されているとおり、「優生保護」といっても、日本では戦前でも戦後でも、ナチス・ドイツのようには、優生学的な思想や実践は必ずしも社会の全面には現れていない。しかし、「優生保護法」という名称には、国益優先という日本の政治の特徴をよく示している。戦時下の人口政策については「象徴的かつイデオロギー的な理由で採用された」と指摘されていたが(58)、日本の国家的政策がある程度一般にそうかもしれないと思った。

宗教に関しては、谷口雅春率いる生長の家が、反中絶の立場から優生保護法廃止運動に携わっていた模様。優生保護法改正の試みが、青い芝の会をはじめとする障害者運動を活性化させたという記述にも、そういえばそうかという納得感。優生保護法改正運動は、1996年に母体保護法へと結実する。でもここでも、母体保護という、いかにもな名称。ノーグレンさんは、障害者運動に関して次のように指摘。「この種の左翼運動が直面するイデオロギー的困難は、彼らが用いる反スクリーニング・反中絶のレトリックの大半――生命に内在する価値や「生活・生命の質」をもっときめ細やかに見ることを強調するなど――が、右翼や宗教団体のプロライフのレトリックに似ていることである」(132)。ふむ?

ピルの話もなかなか面白い。ここでは結論だけ、「日本国民に仕えているのは、個人のニーズや生殖の健康・権利、あるいは正確で公平な情報などほとんど顧みることもなく、自らの利益や課題を追求するばかりで、なすべき役割を果たしていない政府や利益集団、マスコミばかりである。日本のピルの物語は、主人公がいない物語なのである」(236)。

[J0191/210827]