Month: May 2017

Face Mask and The Japanese

If you pay a visit to Japan, you may find that so many people wear surgical masks on their faces.  For example, Casey Baseel writes an article about the bizarre sight on a website: Why do Japanese people wear surgical masks? It’s not always for health reasons.

And a Japanese book Mask and the Japanese (2012) by HORII Mitsutoshi includes more minute description on the topic from the sociological perspective. An English paper on the topic by the author is also available on the web: Why Do the Japanese Wear Masks? A short historical review. (2015)

For most Japanese, medical explanation for effectiveness of masks is an excuse for hiding one’s face in a legitimate way. Surgical masks are just up to the hope to keep oneself anonymous in the crowd.

Reference:  堀井光俊『マスクと日本人』(秀明出版会、2012年)

[E0007/170508]

疫病と世界史

疫病との関係から世界史を描いた、ウィリアム・マクニール『疫病と世界史』(佐々木昭夫訳、中公文庫、2007年、原著初版は1976年)。似たような主旨の本に、ベストセラーとなったジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(倉骨彰訳、草思社文庫、2012年)などもあるが、個人的にはマクニールの方がおもしろかった。

疫病から世界史を捉えることのひとつの利点は、近代科学の一領域としての医療の発展を、過大にすぎず過小にもすぎずに評価できるところと思われる。なぜならば、感染症への対処法は、近代医学の成果がもっとも顕著にあらわれた主題であり、人口変動や死亡率などの数字でもって、はっきりとその効果を計ることができるからである。

疫病にスポットを当てたこの観点からすると、17世紀以前の世界史的な「発展」は、都市化といった生活環境の変動に対する生物学的反応としての「疫学的適応」の範疇に収まるものにすぎない。たとえば、マクニールが強調しているように、スペインがインディオを容易に征服することができた大きな要因は、たんに両民族の疫学的適応の違いにあった。

マクニールは言う。「医学的治療と医療機関が人類の平均寿命と人口増に大きな変化をもたらすのは、実はようやく1850年以降になってからのことである」(下巻139頁)。疫病との関係における人類社会という切り口からすれば、「近代」の画期はここにあると言うこともできるのではないか。

[J0007/170508]

ブータン本、2冊

たまたま手に取ったブータン本が2冊。

GNH(Gross National Happiness)すなわち国民総幸福の概念はブータン発信で有名だが、本林靖久『ブータンと幸福論』(法蔵館、2006年)はその辺りの関心から、ブータンの社会と宗教を紹介。

もう1冊は、チベット仏教研究者としてブータン社会に関わり、30年以上仕事を続けてきた著者による、今枝由郎『ブータンに魅せられて』(岩波新書、2008年)。

一番おもしろく、ブータンの様子を実感として感じられたのは、今枝本の前半、ブータン入国までの苦労や、図書館のようすを描いた体験談のところ。図書館長の高僧ロポン・ペラマの生き方の、実直さ真摯さが印象に残る。別の高僧の葬儀の話、ブータンの人にだけは荼毘の煙が「ふつうに」白鳥になって見えていたといったエピソードも。

今枝は、GNH概念についても、ある程度相対化しながら記述をしている。この本に説明があるとおり、GNH概念は、GNPないしGDP概念が生活実感と乖離するようになってきた結果、注目されるようになったものだろう。もちろん現在のブータン社会にも暗い面がないはずがないが、やはりここで描かれている人々や社会のあり方には心惹かれざるをえない。

もう一点、思いつくままに付けくわえておけば、この社会の中心に位置している宗教すなわち仏教について、それは個人の信仰であるとともに、同時にやはり社会全体で共有され維持されている信仰であることが決定的に重要とみえる。

[J0006/170508]