Month: May 2017

魂を統治する

ニコラス・ローズ『魂を統治する』(堀内進之介・神代健彦監訳、以文社、2016年、原著初版1989年)。

フーコーの主体性の系譜学を平易なかたちで応用した研究。「はじめに」の文章は、もっともシンプルなフーコー解釈としても読める。

自分として整理すべきひとつの論点として。統治をする側の主体というのか権力の担い手とでもいうべきか、それが特定できないところまではとりあえず良いとして、こうした構図内に近代国家権力をどのように位置づけたら良いものか。国家権力は主体化する権力そのものでもないわけで、じゃあそれがどんな関係にあるのかが、この本をざっと読みしただけでは分からず。フーコーにおいても同様。

ローズの著作では『生そのものの政治学』も邦訳がある。そちらもまたいずれ。

[J0010/170522]

借りの哲学

ナタリー・サルトゥー=ラジュ『借りの哲学』(高野優監訳、小林重裕訳、太田出版、2014年、原著2012年)。

この主旨の話、どこかで読んだことがあるけども、どこだったか思い出せない。資本主義の論理に対置されるところの人間関係の論理、というので関心のある話だが、だから自分にとっては新しくない。似た視点のものでは、ケアの倫理をめぐる一連の議論の方が、現実的な場面を想定してる分、主張に鋭さがある。この本は、平易に書かれているので、啓蒙書としては良いとは思う。

[J0009/170522]

「その日暮らし」の人類学

現代日本のそれとはまったく異なる経済活動について知るのは本当、おもしろい。それは、現在のわれわれを見えるところ・見えないところで縛っているものが経済システムだからだろう。それにしたところでこの本、タンザニアの零細商人をめぐるフィールドワークをもとにした、小川さやか『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書、2016年)はすばらしい本だ。質の高いエスノグラフィーは、対象社会における生活を身近に感じさせるだけでなく、現代日本という、われわれが生きる社会のあり方を反省させる=照らしだす。

インフォーマルな経済活動からみた、中国とアフリカの関係に関する記述もおもしろい。それと、小川さんが引用している文献がどれもおもしろそうなのは、紹介のしかたのせいでもあるのだろうか。勉強になる。

[J0008/170522]