副題「進化の仕組みを基礎から学ぶ」、光文社新書、2024年。進化の過程は、通常考えられているよりもずっと複雑で精妙だ。そうした進化のメカニズムを把握すれば、種を実体視せずとも、小進化の積み重ねの結果として大きな進化も理解できるようになるはずである。・・・・・・と、一応はまとめておく。

第1章 進化とは何か
第2章 変異・多様性とは何か
第3章 自然選択とは何か
第4章 種・大進化とは何か

本書における「生物進化」の定義。「生物のもつ遺伝情報(主にゲノム配列)に生じた変化が、世代を経るにつれて、集団中に広がったり、減少したりすること、またそれに伴って、生物の性質が変化すること」(31)。

現在、進化について語るとき、遺伝子という言葉では説明が困難になってきている。かわって本書では、DNAの塩基配列に表された遺伝情報のすべてを指す「ゲノム」や、ゲノム上の同じ位置にあり変異を構成する配列である「アレル」という用語が重用されている。「「アレル」という言葉を本書で主に用いるのは、タンパク質に翻訳されるDNA配列が集団中で頻度を変化させることだけが進化ではないからだ。タンパク質の翻訳を調節する配列、何の役割も果たしていない配列、さらにはゲノムをもっている生物固体とは関係なく機能している配列などの進化も重要なのだ」(42)。

遺伝子という言葉は、生物の性質に影響するゲノム領域のことを意味していて、何も影響しない部分は遺伝子とは呼ばない(161)。しかし、この「影響しない部分」のゲノム領域もまた進化を考える上で決定的に重要で、だから遺伝子という言葉は使いにくく、ゲノムやアレルという用語を用いることになる。「遺伝子であるかどうかに関わりなく、進化はゲノム配列の変化によって生じる」(162)。

ヒトのゲノム配列は2023年に決定され、1組のゲノムに含まれるDNA配列数は、30億5481万超の塩基数であるという(34)。

自然選択には、頻度を増やす「正」の自然選択と、頻度を減らす「負」の自然選択があり、一般に前者が「適応進化」と呼ばれるが、適応という概念は複雑である。適応と自然選択とは必ずしも重ならず、有害な進化も生じうる。たとえば、特定のアレルが確率論的な変動を経て(本書では確率論的とは言ってないが)、世代を経るうちにアレルの頻度が変動することを「遺伝的浮動」といい、この遺伝的浮動はアレル頻度変化の強力な要因のひとつである。

なお、遺伝的浮動は個体数が少ないほどその効果が大きくなる。遺伝的浮動による変化は、自然選択による変化とある意味で(方向づけのちがいによって)拮抗している。(評者のまとめ、関連記述92)

エルンスト・マイヤーは、ダーウィン進化論の根幹を五つの要素に整理している(64-)。①進化すること。②共通の祖先と分岐。③漸進性。④集団内の個体の変異による進化と種分化。⑤自然選択。「このダーウィン進化論の5つの概念は、現代の進化学においても基盤になっているといえる。ただし、③の漸進性については・・・・・・今も議論がある」(67)。

突然変異の生起は、全くの「ランダム」でもないらしい。置かれた環境でより生存や繁殖が向上するような突然変異を、その環境が誘発することがあり、それは「適応的突然変異」と呼ばれる(87)。また、突然変異が生じる確率はさまざまな要因から変化する(90ff)。「突然変異率は様々な要因で変化可能である。とすると、突然変異率自体が進化可能であると考えられるかもしれない」(91)。たとえば、重要な遺伝子はそもそも突然変異が生じづらく、また環境ストレスによる突然変異率の増加は、多くの生物について観察されている。ただしそうだとしても、置かれた環境で有利になるような突然変異が生じやすくなるというところの確証は得られていない(107)。

いわゆる「多様性」に関して、進化について言えば、集団内の遺伝的多様性は諸刃の剣である。有害なアレルが存在すると、集団の平均適応度は低下する(「遺伝的過重」)。進化のチャンスを増加させる多様性は、同時に集団の平均適応度を低下させることにもなる(118)。「突然変異で生じた有害なアレルは、有害の効果が大きいと自然選択によって集団から除去されるが、除去されるまでには時間がかかる。また、有害の効果が小さかったり、個体数が少なかったりすると、有害なアレルは除去されなかったり、場合によっては頻度を増加させる」(118-119)。

「集団中に遺伝的多様性が維持されるのは、突然変異、遺伝的浮動、自然選択という3つの要因が働いているからであり、「進化に必要だから遺伝的多様性が維持されている」わけではない」(124-125)。とくに、正の自然選択が積極的に変異を維持するしくみを「平衡選択」と呼ぶが、平衡選択の働きは、遺伝的変異の維持についてそれほど大きくないという。「その理由は集団中の遺伝的変異を構成するアレルのほとんどが、中立化か有害であると推定されているからだ。中立な変異は「突然変異と遺伝的浮動のバランス」によって、有害な変異は「突然変異と負の自然選択のバランス」によって生じ、維持されている」(141)。

「選択的一掃」と「背景選択」とは。「ゲノム上の1つのサイトに突然変異で新たなアレルが生じたとしよう。その新たなアレルは、自然選択によって急激に頻度を増大させていく。そのとき、近くにある変異サイトのアレルも、自然選択によって急速に頻度を増大させていく。そのとき、近くにある変異サイトのアレルも、自然選択によって一緒に引きずられて増大していく。結果として、同じゲノムの広い範囲で、遺伝的変異が喪失していく。これは選択的一掃と呼ばれる」(151)。そう、この「引きずられる」という現象があるわけだ。「不利なアレルを減少させる負の自然選択も同様に、連鎖している近くの変異を減少させる。これは選択的一掃に対して、背景選択と呼んでいる。生存や繁殖に不利となるアレルは、有利となるアレルよりも突然変異によって生じる確率が高いので、この背景選択は、選択的一掃よりも強く働いている可能性が高いといわれている」(153)。

遺伝的多様性、つまり遺伝的は変異の量や種類が小さいと、有害な遺伝子の影響が大きくなったり、環境変化に対応できずに絶滅する場合がある。一方、遺伝的多様性が大きすぎても、進化を制限したり、集団の絶滅を促進させたりする(153)。筆者は、「遺伝的多様性が増加するのは、進化を促進させるためではない」ということを強調する(154)。つまり、遺伝的多様性自体は、環境への適応といった目的をもたないものだというわけである。

「エピジェネティク遺伝」。エピジェネティクとは、DNA配列の変化に依存しないで〝遺伝〟する遺伝子制御情報のことである。エピジェネティク遺伝は、DNA配列の変化による遺伝に比べてずっと簡単に生じ、簡単に元の状態に復帰するという。つまり、DNA配列の変化に比べて、累積的でも不可逆的でもない。

また、エピジェネティク遺伝は、たしかに一生涯に変化したものが次世代に引き継がれるという意味での獲得形質の伝達ではあるが、ラマルクが主張した「生物が必要とするものが遺伝する」という種類の獲得性質ではない。

また、エピジェネティク遺伝のほかにも、草食動物の体内における腸内細菌や原虫、哺乳類における母乳を通じた白血球など、ゲノム情報以外にで次世代に伝わる非遺伝的伝達にはさまざまなものがある(178-)。

集団選択といった話題が論じられるときのように、進化を語る上で「種」の存在が前提になっている場合がある。しかし、この「種」の存在は自明ではない。まず、実のところ、異なる種(生物学的な種)のあいだで交配が生じることはまれではなく、一般的である(201)。また、種には、交配可能性から規定される生物学的な種、共通祖先による系統学な種、形質上の類似性による分類学な種があるが、これら生物学的種・系統学的種・分類学的種の区分は一致しない。進化の過程に関して種とは、結局のところ、「生物個体や集団あるいは系統が進化した結果として現れるもの」である(204)。「実際に絶滅したり、分岐したり、再形成したりしているのは、個々の系統を形成している集団であり、種ではない」(204)。種とは「集団の括り方」であり(204)、(パラフレーズすれば)なんからの実体ではない。

リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」への反論は明快だ。ある生物が特定の有利な性質を進化させるとして、その性質の表現に同じように影響する遺伝子のアレルであれば、どんな遺伝子の変化であってもよく、特定の遺伝子の変化である必要はないし、また実際にそうした現象が示されている(216)。また、集団に「献身的に」働くようにみえる個人の利他的行動は、D.ハミルトンによれば、利他的行動に結びついたアレルを共有する小集団の選択によって伝えられ進化し(デーム内集団選択)、結局は血縁集団間の選択ということであって、「利己的な遺伝子」という発想を導入すべき必要はない。

「利己的な遺伝子」と呼びうるような現象は、部分的には確かにある。だが、それは遺伝や進化一般の特徴ではなく、ある特定の条件下にのみ生じることである。

「自然選択は、主に個体の生存や繁殖を向上させるような性質を進化させるが、同時に、遺伝子が自らのコピーを増やそうとする進化を阻止したり、促進したりする。また、遺伝レベルで働く自然選択は、遺伝子(アレル)コピー数を増加させるが、個体にとっては不利となる性質が進化したり、遺伝子にとっても個体にとっても有利な性質が進化することもある。自然選択は、個体あるいは遺伝子といった特定のレベルだけで働いているのではなく、個体、遺伝子、集団という異なるレベルで、それぞれ状況によって働く強さが相対的に違っているのだ」(238)。本書の説明は、進化過程の理解から、「目的」という概念を徹底的に排除しようとするものだと言ってもよいだろう。

有性生殖では、子は親のゲノムを半分しか引き継げないという「2倍のコスト」と呼ばれるデメリットを有する。「2倍のコストを克服して、有性生殖が進化する理由として提案された1つの説が、病原体の進化に対処するように宿主が進化するという説だ。病原体は宿主に比べて世代時間が短く、早い進化が可能である。・・・・・・ただ、宿主が有性生殖をすると、親同士の遺伝子が組み換わり、子どもは稀な新しい遺伝子型をもつようになる。この稀な遺伝型は病原体からの感染から逃げられる」(252)。それでも、こうしたたえまない共進化(「赤の女王」仮説)だけでは、有性生殖の進化の全体を説明することは困難だといい、有害突然変異の除去効果といった複数の原因が関わっているらしい。

「現在、今西進化論を信奉する進化学者はいない。しかし、細胞が入れ替わっても個体は維持されるという「動的平衡」の考えを種に当てはめ、「種の保存こそが生命にとって最大の目的」とする福岡伸一氏の思想は、西田哲学や今西進化論が形を変えて継承されているといえる」(266)。

「種という単位は、個体や遺伝子の振る舞いを制御したりするわけではないし、「種の保存」を生命は目的としているわけではない。遺伝子や個体、そして実質的な集団(個体同士が相互作用したり交配したりしている集団)が進化した結果、第3章で述べたような様々に定義される種が認識されるのだ」(266)。

「集団間で遺伝子やアレルの交流を妨げるような性質を「生殖隔離」と呼ぶ。この生殖隔離機構が進化した結果、独立した遺伝子的性質をもつ集団が進化し、地球上に様々な種類の生物が進化してきたのだ」(269)。生息場所の違いや行動の違いによる生殖隔離は「交配前生殖隔離」と呼ばれる。交尾ができても受精できない、その雑種の生存率が低い、繁殖能力が低いといった理由によるものは「交配後生殖隔離」と呼ばれる。

生物が有する複雑な性質は、あたかも跳躍的な進化によって生まれたようにみえるが、実は別の機能で進化してきたものの「使い回し」と「組み合わせ」による改良進化・転用進化の結果であるケースも多い。そこには遺伝子制御ネットワークの働きが関わっている。

「大きな変化をもたらす突然変異に全ゲノム重複という現象がある。これは、ゲノム全体が倍加するという現象である。・・・・・・植物ではゲノム全体が2倍になる倍数化はよく見られる。一方で、動物での倍数化は植物に比べるとはるかに稀であるが、昆虫や脊椎動物では全ゲノム重複が起こったことが知られている。ただし、古い時代に生じた全ゲノム重複による倍数体のほとんどは生き残っていない。通常、倍数体は進化の行き止まりであるといわれている」(335)。倍数化による変化は、通常の環境下では不利か有害であるが、「全ゲノム重複という突然変異を生じた個体の集団は、環境変動に対する抵抗力や頑健性が強化されるだけでなく、個体の性質を多く変化させる進化を起こしやすくする可能性もある。脊椎動物に連なる系統では、約5億2000万~5億5000万年前の古生代カンブリア紀に2回の全ゲノム重複が生じたと考えられている」(339)。

「大進化は小進化の積み重ね」というのが、本書の主張である。

本書は、進化の基本的な考え方を説明した本であるが、著者には次のような記事もある。そのうち、こちらの記事についても考察をしていきたい。

河田雅圭「人はなぜ宗教を信じるように進化したのか」(note)

[J0490/240724]