Month: November 2020

小池田清六『棒二森屋物語』

新函館ライブラリ、2018年。明治の洋物店・呉服店をルーツに1937年に開店、2019年1月に閉店した函館の地方百貨店、棒二森屋の歴史を、その社員でもあった著者が描く。豊富な写真や資料が楽しい。

第一章 初代渡辺熊四郎一代記
第二章 棒二荻野呉服店の歴史
第三章 棒二森屋になってからの歩み

札幌から函館を訪れると少し暖かくて、札幌がまだ雪に埋もれているときに、函館では雪解けがはじまっていたりする。同じように坂の街であっても、小樽では建物が身を寄せ合っている感じ、函館では陽光を浴びるようと街が斜面に立っているような感じがする。歴史を知れば、それが相次ぐ大火の結果とわかるのだが。そんな函館の街の、まさに一部であった棒二森屋。

ローカルな、ちょっとした伝説みたいなエピソードがおもしろい。寺内タケシが来たときには、リハーサル後に急遽電圧を上げる工事をしたとか、坂本スミ子が「なぜか」たった一人でやってきたとか、デビュー直後の松山千春が来た早々に「歯が痛い」と歯医者に行ったとか。

この本とは別の話だが、ちょっと棒二森屋を調べてみたら、ジャックスの出発は1954年、棒二森屋と丸井今井の月賦販売提携からだとのこと。ジャックスが函館市に寄付した旧本社社屋が、いまの函館市文学館らしい。

→ 函館市史デジタル編「カードとサインでお買い物――消費社会が生んだ有力企業」http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_04/shishi_07-03/shishi_07-03-54.htm

[J0102/201114]

梅咲恵司『百貨店・デパート興亡史』

イースト新書、2020年。

序 章 「イノベーター」として君臨した百貨店
第一章 商い――「モノ」が売れない時代に何を売るか
第二章 流行創出――文化の発信地にまだブランド力はあるか
第三章 サービス――「おもてなし」は武器であり続けるか
終 章 かつての「小売の王様」はどこへ向かうのか

著者は『週刊東洋経済』の副編集長だそうで、そのことを反映して、前半は社会史的な記述がメインだが、後半になると小売戦略のあれこれといった業界的な目線からの記述が増える。

いま、こういうご時世からすれば必然かもしれないが、百貨店については衰退史観で描かれている。本書では百貨店のイノベーションを堰きとめた大きな要因を、1937年さらに1956年の百貨店法に求めているので、そのあとの50年以上は全体として「生き残りのためのあがき」の歴史になってしまう。令和を迎えて、「近代日本の歴史」も150年もの長さになったわけで、どんな主題であれ、その通史を書き換える時期にきているのかもしれないね。

[J0101/201114]

中川毅『人類と気候の10万年史』

講談社ブルーバックス、2017年。とても分かりやすくてとてもおもしろい(語彙)。ブルーバックスの真骨頂。

第1章 気候の歴史をさかのぼる
第2章 気候変動に法則性はあるのか
第3章 気候学のタイムマシン──縞模様の地層「年縞」
第4章 日本から生まれた世界標準
第5章 15万年前から現代へ──解明された太古の景色
第6章 過去の気候変動を再現する
第7章 激動の気候史を生き抜いた人類

ミランコビッチ理論。セルビアのミルーティン・ミランコビッチに発する、地球の軌道要素と気候を結びつけて考える理論。本書の基礎のひとつにもなっている。

部分において線形性や周期相も含んでいる、相転移を含む変動パターン。「「変動に何らかの傾向が見られた場合、それを近い将来に当てはめることは必ずしも無意味ではない。しかし、本当に劇的な変化までは予測できないし、その先にどんな世界が待っているかも本質的に不可知である」」(70)。

現在進行中の温暖化は、相転移に近い(74)。

奇跡の湖「水月湖」。15万年の歴史を持ち、7万年前から年縞が堆積。条件として、流れ込む川がない。湖底に酸素がない。平均気温がほぼ4度で、湖底に冷水層が定着。しかも沈降し続けていて埋まることもないという。

「歴史的に見ると、ほとんどの古代文明は1年の不作であればなんとか対応できるだけの備蓄を持っていた。・・・・・・だが現実問題として、歴史に残るような大飢饉の多くは、天候不順が数年にわたって容赦なく続くことによって発生しているのである」(177)。「ときどき暴れる気候に対しては、現代社会は思っている以上に脆弱な基盤の上に成り立っている。だが少なくとも先進国において、そのような議論を耳にする機会は意外なほど少ないように思う」(179)。

より面白い観点。氷期末期の気候は寒いだけでなく、不安定であった(193)。「気候が安定している場合、狩猟採集民と農耕民はそれぞれの価値観で生活を維持することができた。ではまったく同じ思考実験を、気候が暴れていた時代に当てはめるとどうなるだろう」(197)。「来年が今年と似ていることを無意識のうちに期待する農耕社会は、気候が暴れる時代においては明らかに不合理である。言い換えるなら、氷期を生き抜いた私たちの遠い祖先は、知恵が足りないせいで農耕を思いつけなかった哀れな原始人などではなかった。彼らはそれが「賢明なことではない」からこそ、氷期が終わるまでは農業に手を付けなかったのだ」(200-201)。

[J0100/201105]