副題「「性別の美学」の日本語」、河出新書、2023年。
第1章 女ことばは「性別の美学」の申し子
第2章 人称と性
第3章 日本語ってどんなことば?
第4章 西洋語の場合
第5章 日本語にちりばめられた性差別
第6章 女を縛る魔法のことば
第7章 女ことばは生き残るか
翻訳家の著者による「女ことば」論。言語学者ともまた異なる、文学畑の人らしい感触。著者が一貫して主張していることは、「女ことば」は少なくとも今ではひとつの表現として問題ないが、過剰な配慮のもとにはっきりした意思表明を妨げる「女らしい言い回し」は止めるべきだということ。
ことばの裏にあるジェンダー・ギャップを指摘して、ちょっとそれは牽強付会ではと感じる箇所もあるけれど、さほど気にならないのは、著者自身が生活の中でジェンダーについて感じてきた違和感を丁寧に説明してあるから。
日本語論・日本文化論としても読める。西洋の騎士道では女性は崇拝の対象であるが、日本の武士道は女性を排除するだとか。「少女から女になるためらいや恐れ」というモチーフは日本独特のもので、早く一人前の女に見られたい、セクシーと思われたいという気持ちが強い西洋の女性には共感されにくいだとか。
日本語の特徴として、自動詞好きや受け身好きが指摘されている。自動詞好きとは、「風呂が沸いた」のように、人間以外を主体とした表現に対応する。自動詞好きも受け身好きも、「どちらも、自らを動作主として示したがらないだけでなく、往々にして自分の力ではどうにもならないという無力感を含む」のだと(88)。日本語の受動態は「無力感や悲しみなどの感情を表す」という特徴を持つという。
著者の平野さんは1945年生まれとのことだが、引き合いに出されている話題に新しいものが多いこともあいまって、年代をまったく感じさせない叙述になっている。うがった見方をすれば、女性をめぐる日本の社会状況が、根本的には変化してきていないということもあるのかも。
[J0391/230811]