Month: August 2023

平野卿子『女ことばってなんなのかしら?』

副題「「性別の美学」の日本語」、河出新書、2023年。

第1章 女ことばは「性別の美学」の申し子
第2章 人称と性
第3章 日本語ってどんなことば?
第4章 西洋語の場合
第5章 日本語にちりばめられた性差別
第6章 女を縛る魔法のことば
第7章 女ことばは生き残るか

翻訳家の著者による「女ことば」論。言語学者ともまた異なる、文学畑の人らしい感触。著者が一貫して主張していることは、「女ことば」は少なくとも今ではひとつの表現として問題ないが、過剰な配慮のもとにはっきりした意思表明を妨げる「女らしい言い回し」は止めるべきだということ。

ことばの裏にあるジェンダー・ギャップを指摘して、ちょっとそれは牽強付会ではと感じる箇所もあるけれど、さほど気にならないのは、著者自身が生活の中でジェンダーについて感じてきた違和感を丁寧に説明してあるから。

日本語論・日本文化論としても読める。西洋の騎士道では女性は崇拝の対象であるが、日本の武士道は女性を排除するだとか。「少女から女になるためらいや恐れ」というモチーフは日本独特のもので、早く一人前の女に見られたい、セクシーと思われたいという気持ちが強い西洋の女性には共感されにくいだとか。

日本語の特徴として、自動詞好きや受け身好きが指摘されている。自動詞好きとは、「風呂が沸いた」のように、人間以外を主体とした表現に対応する。自動詞好きも受け身好きも、「どちらも、自らを動作主として示したがらないだけでなく、往々にして自分の力ではどうにもならないという無力感を含む」のだと(88)。日本語の受動態は「無力感や悲しみなどの感情を表す」という特徴を持つという。

著者の平野さんは1945年生まれとのことだが、引き合いに出されている話題に新しいものが多いこともあいまって、年代をまったく感じさせない叙述になっている。うがった見方をすれば、女性をめぐる日本の社会状況が、根本的には変化してきていないということもあるのかも。

[J0391/230811]

金水敏『コレモ日本語アルカ?』

副題「異人のことばが生まれるとき」、岩波現代文庫、2023年、原著2014年。

序章 “アルヨことば”にまつわる疑問
第1章 宮沢賢治は「支那人」を見たか
第2章 横浜ことばとその時代
第3章 “アルヨことば”の完成
第4章 満洲ピジンをめぐって
第5章 戦後の“アルヨことば”
終章 「鬼子」たちのことば

同著者による金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波現代文庫)に引き続き、文庫化されたから読んでみたよシリーズ。

実際には存在しない、表象としての中国人がしゃべる〈アルヨことば〉の系譜を辿る。そういう試み自体は、いかにも、なくもなさそうという印象だけど、引っぱってくる史資料に一定の厚みを感じる。冷静に考えてみると、資料が薄いと感じる研究と、資料が厚いと感じる研究のちがいって、どこのへんにあるんだろうね。資料としておもしろいなと感じたのは、Exercises in the Yokohama Dialect (1873/1874/1879) という、ジョーク本風にピジン語のとしての横浜言葉を記した本だとか、のらくろに出てくる豚の台詞、ミスワカナ・玉松一郎の漫才など。あるいはタモリのハナモゲラ語の先駆者だという藤村有弘、さらにはゼンジー北京。これもまた、なんとも楽しい研究だ。

[J0390/230810]

金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』

岩波現代文庫、2023年、原著2003年。

役割語の世界への招待状
第1章 博士は“博士語”をしゃべるか
第2章 ステレオタイプと役割語
第3章 “標準語”と非“標準語”
第4章 ルーツは“武家ことば”―男のことば
第5章 お嬢様はどこにいる―女のことば
第6章 異人たちへのまなざし
附録 役割語の定義と指標

役割語研究の嚆矢というべき一冊が、今回文庫化。じつは、役割語研究のあれこれを読んだり、同著者編『〈役割語〉小辞典』は買ってあったりと、楽しい主題だと見知ってはいた界隈だが、この最初の本については未読だった。実際に読んでみてびっくり、たんに楽しい話題提示には終わらない、一級の研究書ではないですか。

ステレオタイプの動態と関連づけるところ、役割語の観点から〈標準語〉を捉えなおすところ、気づかれずにきた歴史的な経緯のあれこれ、等々、役割語研究の嚆矢にして、その視野の広さ・網羅性。ひとつの魅力的な研究領域を切り拓いて、後の諸研究に対しては灯台のような位置にある。本として、読みやすくとっつきやすいところも凄い。脱帽。

[J0389/230810]