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倉田剛『論証の教室 入門編』

新曜社、2022年。副題「インフォーマル・ロジックへの誘い」。

以下、本書について頭から通読したわけではなく、いくつか必要な項目を「使った」ところの感想。「はじめに」に、野矢茂樹氏の有名な『新版 論理トレーニング』が使いにくいので、そのバージョンアップとして本書を著したというような主旨のことが書いている。『論理トレーニング』が、評判に比していまいち使いにくいことはたしかだし、インフォーマル・ロジックの概観として、本書のほうが「使いやすく」できていて「はじめに」の意図もよく達成できていると思う。学生など一般の人が、そもそも論証の問題にどこまで・どのように関心があるかは、また別問題であるが。

はじめに

——第I部 論証の基本——————————————
第1章 論証とは何か
  1.1 論証を理解する
  1.2 論証の構造
第2章 論証を評価する
  2.1 演繹的な妥当性と帰納的な強さ
  2.2 評価基準の違い
  2.3 健全性と信頼性
  2.4 評価を実践する:「反論」の練習
第3章 代表的な論証形式
  3.1 妥当な論証の諸形式
  3.2 帰納的に強い論証の諸形式

——第II部 仮説と検証——————————————
第4章 アブダクションあるいは最良の説明への推論
  4.1 アブダクションとは何か
  4.2 アブダクションの解明と「良い仮説」の基準
  4.3 補足:パースと推論
第5章 仮説検証型論証
  5.1 仮説の検証
  5.2 科学における仮説検証型論証

——第III部 演繹と定義——————————————
第6章 論理語─演繹論理の基本的語彙
  6.1 論理結合子
  6.2 量化表現
  6.3 否定のいろいろ
第7章 定義と論理
  7.1 定義とは何か
  7.2 定義の論理形式
  7.3 定義と概念分析
補論I 定義概念について

——第IV部 帰納————————————————
第8章 帰納的一般化とその周辺
  8.1 帰納的一般化
  8.2 全体から部分を推論する
  8.3 類比による論証
補論II 権威に訴える論証と対人論証

——第V部 因果と相関—————————————–
第9章 ミルの方法─原因を推論する
  9.1 因果に関する知識
  9.2 ミルの方法
  9.3 消去テスト
第10章 記述統計学と論証─観測されたデータについて何事かを主張する
  10.1 データの整理
  10.2 データの要約
  10.3 標準化およびデータの線形変換
  10.4 相関分析

以下、ほんとにただのメモ。「補論I」について。

定義には、取り決めや約束事の宣言としての定義と、そうでない定義があり、前者は論証の構成部分にならないが、後者はなりうる(177-179)。

本書に示されている定義概念の分類(ただし、網羅的でも排他的でもない)。

(1)規約的定義
(2)辞書的定義
(3)明確化定義
(4)操作的定義
(5)理論的定義
(6)説得的定義

辞書的定義は、被定義項がすでにもっている意味を報告する定義のことである(181)。したがって、真偽を問うことのできない規約的定義と異なり、その真偽を問うことができる。辞書的定義の性格に関し、それが規範的なものなのか、たんに事実的なものなのかについては論争が続いている。

明確化定義は、被定義項の不明瞭さと曖昧さを取り除こうとする定義のことである(183)。たとえば、「資産家」を具体的な年収や資産で定義するようなもの。

操作的定義は、語の適用基準を決定する物理的操作を特定することによって語を定義することをいう(186)。たとえば、鉱物の「硬さ」は、一方の物質で他方の物質を擦ったときに、傷がつけることができるものが「より硬い」と定義される。

理論的定義は、その語が指す現象(対象・出来事)を説明する理論そのものを提案する、または要約することで、語に意味を与える定義のことである(188)。その輪郭を示すことはなかなか難しいとのこと。

説得的定義は、定義されるものに対する私たちの態度に影響を及ぼそうとする定義のこと(189)。その効果は、論理というよりもレトリックとしての側面から得られるものと、筆者も指摘している。このへんになると、定義の定義が気にかかってもくるが、本書のキモは「インフォーマル・ロジック」の概観を与えることにあり、あえてこの種の事柄に触れている点に独自性と利点がある。

[J0527/241030]

中本崇智『板垣退助』

副題「自由民権指導者の実像」、中公新書、2020年。

第1章 戊辰戦争の「軍事英雄」―土佐藩の「有為の才」
第2章 新政府の参議から民権運動へ
第3章 自由民権運動の指導者―一八八〇年代
第4章 帝国議会下の政党政治家―院外からの指揮
第5章 政治への尽きぬ熱意―自由党への思い
終章 英雄の実像―伝説化される自由民権運動

終章のまとめのところから。

「幕末の板垣は山内容堂や吉田東洋に抜擢され、その後土佐藩討幕派の中心人物として活躍した。戊辰戦争では英雄となり、軍事指揮官としての名声を確立する。明治初年、板垣は土佐藩の藩政改革を実施し、明治政治の参議となった。しかし、明治6年、明治7年の政変で権力闘争に敗北して下野、西南戦争が西郷隆盛の敗北に終わり、板垣も西郷に呼応しなかった結果、武力における政権獲得の可能性も消滅した。板垣は第三の道を選択、言論による自由民権運動へ邁進する。1870年末から80年代、板垣は自由民権運動の指導者として活躍した。特に、岐阜遭難事件と、その場での発言によって板垣は伝説的な名声を獲得する。しかし、板垣は外遊問題で挫折し、党の資金難と急進派への党勢を失ったために、自らが立ち上げた自由党を解党した。さらに、板垣は辞爵事件でも自らの意志に反して爵位を受けて多くの批判を浴び、雌伏の日々を余儀なくされる。1890年の帝国議会開会とともに、板垣は民権運動の指導者から政党政治家へと飛躍する。・・・・・・しかし、日清戦争後の伊藤内閣との提携失敗、民党を結集した初の政党内閣である隈板内閣の崩壊のなかで指導力を失い、星亨の台頭によって政界引退を余儀なくされた。政界引退後の板垣は社会政策を推進する一方、激化事件顕彰運動に関与し、『自由党史』の編纂に尽力した。また、台湾同化会の設立や大相撲の改革にも活躍の場を広げていった」(229-230)

本著著者は、こうした板垣を「一人五生」を歩んだ人物と評する。高知城の一番目立つところに板垣退助の銅像が建てられているが、江戸時代封建制の象徴である城の前に、戊辰戦争の殊勲者でありかつ「自由は死せず」の言葉で有名なこの人物の像が屹立しているのをみると、不思議な気もしてくる。

本書は、『自由党史』を一番の典拠とした民権運動の英雄としての板垣退助像を修正し、その実際に迫ろうとする。それはたしかに価値のあることで、近代史学の世界では評価の高い研究なのかもしれない。しかし、士族であり元勲であった板垣が思想面でいつからどうして民権運動に傾倒していったのだとか、板垣退助自身の思想の内実や行動原理がほとんど全く分からない点では大いに不満が残る。これを読んでも、板垣に関するそのときどきの事跡と状況が分かるだけで、結局は板垣という人物がどういう人であったかは分からず、人名をタイトルに掲げた中公新書の一冊としてはいかがなものかと感じる。新書ではなくて、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーあたりであったら、もう少し納得できるかもしれないが。

禁欲的に、社会的文脈のなかで歴史的事実の実証を進めていくことが歴史学者としての正しいあり方という立場なのかもしれないが、僕のような素人が最初に手にとる新書本がこういう感じでは、歴史学に興味を持つ人が減って歴史学界自体が縮小していったり、逆に巷間で好き勝手な人物解釈が横行したとしても、それはアカデミックな歴史学者にも責任があることだと思う。

[J0526/241020]

森井淳吉(編著)『過疎山村の変貌:高知県の場合』

副題「山里の火災死:限界集落から集落の消滅へ」、地域産業総合研究所、2022年。高知城歴史博物館『仁淀川流域の歴史と文化』に続き、高知県仁淀川に関連の書を手にとる。

高知市帯屋町の金高堂という書店で購入。この金高堂は、大々的に人文書フェアをやっていて、好感のもてる地方書店だった。同音異字の書店、仙台の金港堂書店本店が閉店してしまっただけに(?)、ぜひがんばってほしい。余談。

本書は、かつてこの地域の調査研究をしたことのある著者が、2021年2月に仁淀川町別枝で独居高齢者が孤独焼死したことに衝撃を受けて、友人たちとやりとりをした書簡をまとめるとともに、この地域に関する過去の調査や地元の人の回顧談をまとめたもの。

第1部 文通による感想集
第2部 高知県における山村の変貌
 Ⅰ 仁淀川別枝の変貌
 Ⅱ 県下山村のそれぞれの一局面
 Ⅲ 日本資本主義の異常な発展過程の結果としての「高度成長」と農山村の衰退
第3部 「課題先進県」における6次産業化の意義。

みな、農山村と日本の将来を憂いながら、社会の流れを止められない現状がある。過去の記録や回顧談も、「以前」の山村の様子を語っていろいろ興味深いが、同時に生活の変化がどれほど急激だったかを感じさせる。 

[J0525/241019]