ちくま新書、2023年。副題「理想と現実の歴史を追う」。「家」「家庭」「家族」といった観念の社会史を、まめに先行研究にあたりながら堅実にまとめた、後学にも益するところの大きい労作。もともと「家庭」とは、「家」の伝統的観念や因習に対抗する革新的な理想として謳われはじめたものであり、子どもに対する主婦の権利向上とも結びついていた。それが国家政策との関わりをはじめとする歴史的経過ののち、現在では保守的な思想と結びつくようになったというあらすじ。

序章 イデオロギーとしての「家庭」
第1章 「家庭」の誕生―「ホーム」の啓蒙
第2章 サラリーマンと主婦―「家庭」と国家統制
第3章 「明るい民主的な家庭」の困難―「家」から「家庭」へ
第4章 企業・団地・マイホーム―一億総中流と「家庭」
第5章 理念と実態の乖離―むき出しになる「家庭」
終章 「家庭」を超えて

拾い書き。

「戦後は家制度の廃止にともない、戸籍法も改正された。現在の戸籍法では、夫婦と未婚の子を単位とし、結婚によって新たな戸籍が作られる。戦前の戸籍との大きな違いのひとつは、三代以上の戸籍が作られないことである。とはいえ、戸籍が親族単位で編成されるという点は継続していた。この点は当時から批判があり、たとえば法学者の川島武宜は、家制度を廃止するなら個人単位の身分登録制度にするべきであると主張していた。しかし保守派への配慮と、敗戦直後の紙不足により個人単位で書き改めることは難しいという現実的な判断から、親族単位の編成は継続することになった」(154)。紙不足!そしていまだに継続しているという。

「戦後日本においては核家族化が進行したといわれる。これは、核家族世帯が増加し、全普通世帯におけるその割合が高くなったという意味ではその通りである。しかし、それは三世代同居の生活習慣が衰退したことを意味するわけでは必ずしもない。じつは1960年代から2000年にかけて、「その他の親族世帯」(実質的には拡大家族世帯)の実数は大きく変わらなかった。・・・・・・こうした現象の背後にあるのが、「多産少子」世代のきょうだいの多さである。たとえば長男が地方で両親と同居し、ほかのきょうだいが都市部で核家族を営むようなケースがあげられる。・・・・・・実際には、高度経済成長期においては、結婚時に親と同居するような「家」的な生活スタイルを営む人びとの割合は下がっている。とはいえその場合でも、親の近くに住んだり、親の高齢期には同居したりするなどの選択が取られることが少なくなかった。これは、ひとつの家族が都市部と地方にまたがって展開されたことでもあった」(256-257)。――「確かに」感のある分析。この分析は、三浦展さんの団塊世代論の正しさを示してもいるように思う(『団塊世代の戦後史』)。つまり、団塊世代は「主体的に」従来の行動パターンをがらっと変えたというよりも、その人口の多さが、社会や文化の大変動という結果をもたらすことになったという立論。この場合に核家族化というトレンドを生んだのも、従来の他世代同居からはみでるきょうだい数の多さによって(意識の変化はむしろそれを追って)、というわけである。

「現在では、「近代家族」を営むことが困難な人びとが増えた。・・・・・・こうした状況で「家庭」は、実態から遊離したイデオロギー性の強い言葉になってきている。従来のような「家庭」を営みたくてもできない人びと、従来の「家庭」とは異なる生活を実現したい人びとが増えるなかで、特定の「家庭」像のみがひとり歩きしているというのが現状ではないだろうか」(326)。

[J0479/240710]