リブロポート、1990年。

1 出自と教育
2 「挫折」と日本学者の誕生
3 日本観の総合―『日本事物誌』
4 東西間の往復運動
5 バジルとヒューストン
6 晩年
略年譜

なるほど、『ラフカディオ・ハーン』でやたらにハーンを批判していた著者。ハーンを引き合いにだしてチェンバレンを下げる論法に腹を立てていたことがよく分かる(笑)。もちろん、こちらの書の方が批判を動機としていない分、読みやすい。そのチェンバレンも、目が悪いせいで銀行で働けないことが理由のひとつになって日本に来た、というのもおもしろい。

嫌いな船に乗って、何度もヨーロッパと日本を往復したチェンバレン。一番の動機が日本研究という仕事を為すことであったとしても、日本がただ嫌いだったらそれはむりだったろう。なお、ヨーロッパに里帰りした大きな理由のひとつは、ワグナーの楽劇を観賞することだったそうな。なんでも、チェンバレンの弟ヒューストンは有名なドイツ賛美者だったとか。

『古事記』を英訳をするぐらいだからチェンバレンも凄い人だったろうし、この時代にわざわざ日本に来るくらいだからその人生も波瀾万丈と言っていいとおもうが、ハーンの経歴があまりに特殊すぎだし、『怪談』の著者と学者肌の日本学者を比べてしまったら、どうしても人気という点ではね。

[J0137/210216]