Month: July 2020

松田純『安楽死・尊厳死の現在』

中公新書、2018年。しまった、こんな良書を今日まで見逃していたとは。これは安楽死・尊厳死についてもっとも基本的な文献だ。オランダ、ベルギー、スイス、アメリカ、カナダといった各国の状況を紹介するともに、思想史的な考察とあわせて現状に関する分析へと繋げる。

序章 肉体的苦痛の時代―戦後日本の事件と判決
第1章 安楽死合法化による実施―世界初のオランダの試み
第2章 容認した国家と州―医師と本人による実施
第3章 介助自殺を認めた国家と州―医師による手助けとは
第4章 最終段階の医療とは―誰が治療中止を決めるのか
第5章 安楽死と自殺の思想史―人類は自死をどう考えてきたか
終章 健康とは何か、人間とは何か―求められる新しい定義

たとえば、福田雅章の論を取り上げて、現代の安楽死論が、同情による人道論に基づいた議論から、自己決定権を根拠とする安楽死肯定論へと移り変わってきているとする指摘など、まさに今(2020年7月)話題になっている医師によるALS患者の「自殺幇助」事件とぴったり一致する。

理性と自己決定能力だけを絶対視する人間観の狭さ、という問題の指摘も首肯できるものだ。「現代社会は自律と自立が重視され、依存はネガティヴにとらえられる。しかし、依存という面があったからこそ、今日に至るまでの人類文化の発展があった。子どものとくに母への依存は文化の継承の基盤である。さらに、支え合い、助け合いという、人と人の絆の文化を築くことができたのは、人間が「依存的存在」でもあったからだ。ダーウィンは自然淘汰のなかでも、この面を人間の「最も高貴な部分」として注目していた」(215)。

ダーウィンへの言及も、安易な進化論的発想に基づく優生思想をさりげなく牽制して、記述のひとつひとつが著者のていねいな考察に基づいていることの好例になっている。

[J0062/200729]

瀬地山角『炎上CMでよみとくジェンダー論』

光文社新書、2020年。

序  章 なぜCMは炎上するのか
第1章 子育てママの応援かワンオペ礼賛か    
第2章 ファッションや化粧品のCMは難しい?
第3章 何が「性的」とみなされるのか?
第4章 「はたらけ!」といわれる男たち
第5章 マイノリティと言葉の政治
第6章 履いている下駄の高さ
巻末付録 広告の“炎上”史

炎上広告を、訴求対象の軸「女性を応援・共感したつもり」―「男性の欲望の表出だった」と、炎上ポイントの軸「性役割」――「外見・容姿」という二軸からなる四象限で分析しているところは、たしかになるほど感がある。

でも、それだけかも? ジェンダー不平等がなかなか改善されない日本社会という認識はよくわかるし共感する。が、本書のCM分析と記述は徹頭徹尾その認識に沿った批判で、意外性や発見がないかも。

あとがき末尾には、「私にとってのゴールは、この本のメッセージがCMにかかわる男性たちと、全国の女子高生たちに届くことです」とあるので、ま、僕みたいのは最初から対象外なのかな。

[J0061/200728]

松岡亮二『教育格差』

ちくま新書、2019年。大規模な全国調査であるSSM調査やSSP調査を駆使して、幼・小・中と、教育をめぐる格差問題の実態を辿る。

第1章 終わらない教育格差
第2章 幼児教育――目に見えにくい格差のはじまり
第3章 小学校――不十分な格差縮小機能
第4章 中学校――「選抜」前夜の教育格差
第5章 高校――間接的に「生まれ」で選別する制度
第6章 凡庸な教育格差社会――国際比較で浮かび上がる日本の特徴
第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか

いくつかメモ。

――「近年に比べれば注目されなかった経済安定成長期の1970・1980年代にも「子どもの貧困」は実数として多く存在したし、貧困層と非貧困層の大卒割合の格差は明らかである」(41)

――「1990年代、教育価値志向は地方(非三大都市圏)のほうが高かった。2000年代以降は逆転し、三大都市圏のほうが高い」(80)〔ふーむ?〕

――「実際のところ、学校教育の効果を検討したアメリカの研究によれば、出身階層による学力格差は学期中に縮小するが夏休み中に拡大する。夏休みは学校によって生活時間が構造化されていない「自由」な状態であるので、SES〔社会経済的地位〕による親の子育て格差が直接的に繁栄されることになる。

――「各国内で低SES〔社会経済的地位〕の生徒が高学力になる割合は低い。すなわち、「生まれ」による学力格差はどの社会においても存在し、日本の割合は国際平均と同水準である」(250)

――著者が提示する、「教育論議のメリーゴーラウンドから脱出する」ための4ヶ条、(1)価値・目標・機能の自覚化、(2)「同じ扱い」だけでは格差を縮小できない現実、(3)教育制度の選抜機能、(4)データを用いて現実と向き合う。〔それから、AO入試のような「多様」な基準で人を評価する方法が、評価の多角性および不透明性のゆえに、親のSESの影響を大きくするという指摘も重要に思われる〕

結論として13項目を挙げているその内のひとつが、「価値・目標・機能の自覚化、「扱いの平等」の限界、教育制度の選抜機能で意識した上で、現状把握なき「改革」のやりっ放しを止めよう」。ほんとにね。松岡さんの提言は、実は多方面に対するものが混じっていて、いわゆる教育現場で考えるべきものと、政策水準で考えてほしいものと、両方が大事だけんね。

[J0060/200724]