Month: October 2020

トレルチ思想の入門書(1)

トレルチの理論を要領よくまとめた本はないものかと思うのだが、これがなかなか難しい。神学、社会学、歴史学などと分析視点も多いし、なんせ著作や論文が多い。トレルチ自体を十分に読み込んだ上でのことではないので、研究書を評価する軸もできていないのだけど、メモ代わりに。ちょっと探してみた一番の結論としては、日本語版のトレルチ著作集全10巻の存在は本当ありがたいということだったりする。

エクハルト・レッシング『トレルチの思想:その歴史哲学をめぐって』(佐伯守訳、日本YMCA同盟出版部、1975年、原著1965年)

第一章 歴史と形而上学
第二章 歴史と先験論
第三章 歴史と直感
結論

レッシングがトレルチの思想を消化しすぎてしまっていて、トレルチのどのテキストに典拠があるのかとかが分からない。歴史哲学という角度から、ある程度トレルチを読んでから読むか、逆にまったく読まずにレッシングの解釈に頼るか、そういう読み方だったらいいのかな。

H.E.テート『ハイデルベルクにおけるウェーバーとトレルチ』(宮田光雄・石原博訳、創文社、1988年)

第1章 二人のハイデルベルクの学者のプロフィールのために
第2章 プロテスタンティズムと資本主義との関係
第3章 プロテスタンティズムと近代世界
第4章 ウェーバーとトレルチとの比較
第5章 総括と展望
補章 福音主義的社会倫理にたいするエルンスト・トレルチの意義
付論 一人の神学者の歩んだ道

マックス・ヴェーバーとの関係も、トレルチの一部でしかないけれども、外せない一部であるのは確かだ。ただ、たとえば西村貞二『ヴェーバー、トレルチ、マイネッケ』(中公新書、1988年)のように、当時の状況やエピソードを中心に描かれても(新書だからスペース的にもしょうがない!)、それはそれで意味はあると思うが、トレルチの思想の理解という目的に対しては間接的な情報でしかない。テートのこの論文集は、その意味ではバランス良く、両者の理論内容に踏み込んだ記述も多い。

フリードリヒ・グラーフ『ハルナックとトレルチ』(近藤正臣・深井智朗訳、聖学院大学出版会、2007年)も、どちらかというと、トレルチ思想の理解というよりは、当時のドイツの知的状況の把握の方が主。

フリードリッヒ・ヴィルヘルム・グラーフ『トレルチとドイツ文化プロテスタンティズム』(深井智朗・安酸敏眞訳、聖学院大学出版会、2001年)

・序論
・文化プロテスタンティズム
・「ゲッティンゲンの小学部」の「体系家」
・宗教と個性
・エルンスト・トレルチ
・マックス・ウェーバーとその時代のプロテスタント神学

こちらは論文集で、講義録であった『ハルナックとトレルチ』より、特定の主題についてカチッと論じている。ただ、もちろん、これ一冊を読めばトレルチ思想の全体像が分かるという種類の本ではない。

[J0096/201004]

岩田重則『靖国神社論』

青土社、2020年。

序――靖国神社解明の課題と部分史の方法

第一部 「七生報国」の誕生―甦る楠正成と別格官幣社第一号湊川神社
I 「忠臣」楠正成とその復活
1 近現代「七生報国」の場面
2 「智仁勇」の「忠臣」楠正成
3 「忠臣」楠正成の復活
4 後期水戸学の尊王攘夷思想  

II 吉田松陰と真木和泉による「忠臣」楠正成の反復
1 神となった「七生報国」 吉田松陰
2 真木和泉「祭楠公」から尊王攘夷派楠正成祭祀への拡大
3 神となった「勇々敷割腹之仕方」真木和泉と尊王攘夷派  

III 明治政府の楠正成独占
1 薩摩藩・尾張藩の「楠公社」政治利用
2 別格官幣社第一号湊川神社

第二部 招魂場の誕生―原点としての長州藩諸隊招魂場「神霊」碑
IV 靖国神社の原点
1 靖国神社の公式見解
2 戦死者霊魂を招く招魂場
3 靖国神社の後発性  

V 奇兵隊招魂場の誕生
1 尊王攘夷派長州藩奇兵隊の招魂場
2 対幕府武力防衛長州藩奇兵隊の招魂場
3 奇兵隊招魂場「神祭」と初代靖国神社宮司青山清

VI 奇兵隊招魂場の戦死者祭祀
1 第二次長州戦争と招魂場祭祀
2 奇兵隊の高杉晋作神葬祭  

第三部 靖国神社の誕生―戦死者の独占と招魂場の回収
VII 諸隊招魂場の明治維新
1 「官軍」奇兵隊の「神霊」
2 諸隊解体と招魂場の回収
3 諸隊招魂場の継続と陸軍墓地・海軍墓地への展開

VIII 霊山官祭招魂社と東京招魂社
1 墓のある霊山官祭招魂社
2 東京招魂社から靖国神社への再措定

結――文化装置と政治装置としての靖国神社

靖国神社論というタイトルだが、靖国神社自体を論じるというよりも、その成立史を丹念に辿ることで、まったく新しい性格を持つ宗教施設・死者祭祀施設としての側面を明らかにする。

自分として新しく気づかされた点として。まず、本書390頁以下。1863年にはじめて天皇(孝明)による藩兵の閲兵が行われており、そこには会津藩の藩兵も含まれていた。1864年の禁門の変では、皇居に進軍した長州藩は「賊軍」、守備した会津藩は「官軍」という位置づけであった。しかし、そこでの長州藩兵側の死者は、長州藩招魂場で後の「官軍」とともに祀られている(520頁の招魂場とその祭神の表も参考になる)。そして、実は禁門の変における会津藩側の戦死者も、そのときは「賊軍」だった長州藩の戦死者に遅れて、1915年に靖国神社に合祀されているという(557頁)。

もう一点、この本を眺めていてぼんやり感じたのは、戊辰の一連の内乱のおける死者の「少なさ」。このとき、全国全体で1~2万人の藩兵どうしの戦いで、日本という国全体の命運が根本的に変わった。著者は、靖国以前における藩主体の戦死者祭祀が死者の個別性を重んじるものであったこと、それから靖国の死者祭祀につながる先行の思想が、『太平記』の「七生報国」のように、儒教や仏教と結びついたものであったことを指摘している。靖国以前と以後のこの懸隔は、やはり近代国家以前と以後における社会の規模感のちがいを条件としているのだろうなと。

[J0095/201002]