Month: October 2022

宮崎賢太郎『カクレキリシタン』

副題「現代に生きる民俗信仰」、角川ソフィア文庫、2018年、原著は2001年。

  • はじめに
  • 改訂増補にさいして
  • 第一章 カクレキリシタンとは何か
    1 カクレキリシタン研究の足跡
    2 「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」
    3 「隠れキリシタン」か「カクレキリシタン」か
    4 カクレキリシタンに対するイメージの転換
    5 潜伏時代とキリシタン崩れ
    6 キリシタンの復活とカクレキリシタンの出現 
  • 第二章 カクレキリシタンの分布
    1 潜伏キリシタンの分布 
    2 現在のカクレキリシタンの分布 
  • 第三章 生月島のカクレキリシタン
    1 生月キリシタンの歴史
    2 生月のカクレキリシタン組織
    3 生月のオラショオラショの意義
    4 生月のカクレキリシタン行事
    5 生月カクレキリシタンの神観念
  • 第四章 平戸島のカクレキリシタン
    1 平戸キリシタンの歴史
    2 平戸カクレキリシタンの分布
    3 根獅子のカクレキリシタン
    4 飯良のカクレキリシタン
    5 草積のカクレキリシタン
    6 下中野のカクレキリシタン
    7 春日のカクレキリシタン
    8 獅子のカクレキリシタン
    9 油水・中の原・大久保・中の崎のカクレキリシタン
    10 霊山安満岳
  • 第五章 五島のカクレキリシタン
    1 外海潜伏キリシタンの五島移住
    2 若松町築地・横瀬のカクレキリシタン
    3 若松島有福のカクレキリシタン
    4 奈留島のカクレキリシタン
    5 福江島宮原のカクレキリシタン
    6 福江島のその他のカクレキリシタン
  • 第六章 長崎のカクレキリシタン
    1 家野町のカクレキリシタン
    2 岳路のカクレキリシタン
  • 第七章 外海のカクレキリシタン
    1 外海キリシタンの歴史
    2 出津のカクレキリシタン
    3 黒崎のカクレキリシタン
  • 第八章 カクレキリシタンの解散とその未来
    1 なぜカトリックに戻らないのか
    2 消えゆくカクレキリシタン
    3 カクレキリシタンにおける解散の意味
    4 解散後の神様の取り扱い
  • おわりに

地道な調査にもとづいた、一級の記録、一級の研究書。地区ごとのバラエティを描いて詳細なだけに、安易な一般化ができないことが分かってくる。また、現代における衰退の様子をたどっているところにも特徴がある。

「ラテン語の訛ったオラショや、洗礼、クリスマス、復活祭などに比定できる行事を伝えているというようなことによって、いまもってカクレキリシタンはキリスト教徒であるとみなしてはならない。仏教や神道、さまざまな民間信仰と完全に融合し、まったく別のカクレキリシタンというひとつの民俗宗教に変容している」(395)。

キリスト教との関係もさまざまで、各地のカクレキリシタンの多くは消滅しつつあるが、神道に収まる(一元化するというべきか)者もあれば、カトリックに向かう者もあり、黒崎のように、熱心な先導者によってカトリック化した地域もあるという。

神道に近いという者もあれば、「やっていることは仏教のことである」(389)という証言もある。仏教とはほとんど区別していないような地域もあれば、「経消し」といって仏教式の葬式の効果を帳消しにする儀礼をしてきた生月島の地域もある(187-)。ただし、基本線として、先祖代々の信仰として大事と認識されてきており、また、伝統的なやり方を守らないことによる「祟り」への恐れも幅広く存在してきたようだ。一言で言えば、カトリック的な要素について特異であったとしても、たしかにきわめて「日本的」な信仰なのだ。

[J0303/221008]

ミシェル・ド・セルトー『ルーダンの憑依』

矢橋透訳、みすず書房、2008年、原著1970年。

  • 歴史はけっして確実なものではない
  • 憑依はいかにして起こったか
  • 魔術のサークル
  • 憑依の言説
  • 被告ユルバン・グランディエ
  • ルーダンにおける政治―ローバルドモン
  • 予審開始(一六三三年一二月‐一六三四年四月)
  • 憑依者の劇場(一六三四年春)
  • 医師の視線(一六三四年春)
  • 真実の奇形学
  • 魔法使いの裁判(一六三四年七月八日‐八月一八日)
  • 刑の執行(一六三四年八月一八日)
  • 死のあと、文学
  • 霊性の時―sジュラン神父
  • ジャンヌ・デ・ザンジュの凱旋

17世紀、フランスの地方都市ルーダンで生じた修道女集団憑依事件の詳細なる記述と考察。セルトーの論点は、憑依一般ではなく、この憑依事件に現れている時代の――中世から近代への――転換である。

「ある歴史的瞬間、つまり、宗教的指標から政治的指標への転換、天上的宇宙論的人類学から、人間の視線によって自然物が配列される科学的構成への転換の瞬間にかかわったルーダンの憑依は、また歴史における異なるものにも開かれている――憑依の変容によって引き起こされる社会的反応という、かつての悪魔とは異なっているが同様に不安を与える、新たな社会的他者の形象が浮上してきて以来問われ続けている問題にも、開かれているのである」(363)

と、時代的変遷の描写が中心だとしても、やはり悪魔憑きそのものや、裁判の記述に対する興味が勝る。すさまじい憑依の様子は、高田衛が『江戸の悪魔祓い師』で紹介した、まさに同時代の日本のことであった、祐天の憑き物落としを思い起こさせる。

ただ、江戸とルーダンとで異なると思うのは、ヨーロッパの悪魔憑きは、なにか一般人の世界観や存在そのものを揺さぶるような種類の恐怖を感じさせることだ。逆にそこから、教会の巨大な権威も生じたのだろう。日本の宗教史は、個別の出来事としての自然災害に対する恐怖はあっても、世界や存在が覆されることに通じる、この種の恐怖を欠いているように思う。

[J0302/221004]

カレン・アームストロング『神話がわたしたちに語ること』

武舎ゆみ訳、角川書店、2005年、原著『神話小史』も同年出版。

1 神話とは何か
2 旧石器時代 狩人の神話(紀元前二万年‐紀元前八千年)
3 新石器時代 農耕の民の神話(紀元前八千年‐紀元前四千年)
4 文明の始まり(紀元前四千年‐紀元前八百年)
5 枢軸時代(紀元前八百年‐紀元前二百年)
6 枢軸時代以後(紀元前二百年頃‐西暦一五〇〇年頃)
7 西欧の大変革(西暦一五〇〇年頃‐二〇〇〇年)

神話論にはトンデモ本も多いが、この本は想像以上に良い本だった。宗教学・神話学の古典を踏まえつつ、神話が持つ積極的な意義に関する彼女自身の見解が盛り込んである。歴史における神話の変遷を描いているところがポイント。

実は、エリアーデを批判の対象としてしか扱わなくなって以降のアカデミックな宗教学は、「神話が持つ力」といった主題からはもう降りてしまっている。そんな中でこの本は、人間の精神性を考える上で、神話が依然興味深い主題であり続けていることを教えてくれる。

[J0301/221004]