Month: May 2023

「大蛇の角磨き」のお話

島根県教育会編『島根県口碑伝説集』(島根県教育会、1937年)を国立国会図書館デジタルコレクションで少しずつ読んでいるが、そのなかから、妙に可愛らしい伝説をひとつ紹介。かな表記等は現代風に改めた。



八束郡森山村下宇部の瀬戸に面しているところに池の尻というところがある。いまは跡だけしか残っていないが、その昔ここの中央に禿げ山をはさんで西と東に非常に大きな池があった。この二つの池を住処としてひとつの大蛇が住んでいた。今ではこの中畝を「せご磨り畝」といっている。それからその禿げ山の少し南に山があって、その一方海岸に面した方は屏風を立てたように峭立している。

大蛇は二本の角をここで一心に槍の穂先のように研ぐのであったという。その痕跡と思わるるものが無数に残っていて土地の人は角研ぎ場といっている。大蛇は時節を待ち天へ昇ろうとしていたがついに天へ昇ることができなかった。

そして村の人に向かって、「私はこれから大山の赤松ヶ池に行きて昇天の研究をいたしますから、これでお別れをいたします。私が生きている間はこの土手に生えている菜種の花が咲きます」と告げるのであった。

その後もう大蛇の姿を見ることができなかった。今でもやはり土手菜種といって毎年愛らしい花が咲く。

八束郡森山村下宇部とは、現在は、松江市美保関町森山にあたる場所である。境水道(中海と日本海をつなぐ川)に面していて、遠くに大山を仰ぎみることのできる土地。伝説中の「海」とは、おそらくこの水道のこと。

昇天を果たせず、別れぎわに「私が生きている間はこの土手に生えている菜種の花が咲きます」と住民に告げていく大蛇とは、なんともかわいらしくないですか。類話がほかにあるのかもしれないが、どうしても出雲びいきである僕としては、出雲ならではのお話だと思ってしまう。

森山から大山までは40キロほどの、さほど遠からぬ道のり。赤松の池は、ほかにも大蛇伝説のある場所である。出雲周辺の大蛇信仰といえば、出雲大社のご神体をはじめ、土地土地の神社で祀られている荒神様も大蛇だし、関連の話題は多い。他方、菜の花については僕は他に由来をしらず、唐突に菜の花を引き合いにに出す大蛇に、ただただほっこりとする。

[J0364/230511]

貞包英之『消費社会を問いなおす』

ちくま新書、2023年。

第1章 消費社会はいかにして生まれたのか?
第2章 消費社会のしなやかさ、コミュニケーションとしての消費
第3章 私的消費の展開―私が棲まう場所/身体という幻影
第4章 さまざまな限界
第5章 消費社会(へ)の権利

おそらく、消費に関する歴史社会学的研究が著者の「本丸」で、こちらの議論はそこからの派生ないし副産物ではないかと推察する。消費や消費社会とは、20世紀にあらわれた資本主義の補完項にすぎないわけではない、という主張まではなるほどと興味深く思ったが、その後、議論が拡散。とくに第4章、第5章となるとどうにも、なかなか。歴史研究の方は、機会があれば読んでみたい。

[J0363/230511]

ユルゲン・コッカ『資本主義の歴史』

副題「起源・拡大・現在」、山井敏章訳、人文書院、2018年、原著2017年。資本主義の歴史をコンパクトに扱って、有益な概説書。中世から近代にいたる時期だけでなく、21世紀までの現代的動向を扱っているところも利点。

日本語版のための序文
第一章 資本主義とは何か
 一 論議のつきまとう概念
 二 三つの古典――マルクス・ヴェーバー・シュンペーター
 三 他の諸見解と作業のための定義
第二章 商人資本主義
 一 端緒
 二 中国とアラビア
 三 ヨーロッパ――ダイナミックな遅参者
 四 一五〇〇年頃の時代についての中間的総括
第三章 拡大
 一 ビジネスと暴力――植民地支配と世界交易
 二 株式会社と金融資本主義
 三 プランテーション経済と奴隷制
 四 農業資本主義・鉱業・プロト工業化
 五 資本主義・文化・啓蒙主義――時代の文脈におけるアダム・スミス
第四章 資本主義の時代
 一 工業化とグローバル化――一八〇〇年以降の時代のアウトライン
 二 オーナー資本主義から経営者資本主義へ
 三 金融化
 四 資本主義における労働
 五 市場と国家
第五章 展望

「資本主義」という概念の歴史から書き起こすなど、ちゃんとしていて助かる。この本自体が概説であり、要約するような本でもないので、今後なにかのために数ヶ所の抜き書きだけ。

「中世の終わりに至るまで、資本主義は商業と金融の一部にほぼ限られた現象だった。しかし、すでに早い時期から商人資本は、限定的にではあるが、流通の領域の外に広がっていった」(53)

「西暦500年から1500年までの一千年、商人資本主義はヨーロッパに固有のものではなく、グローバルな現象だった。先述の中国、アラビア、ヨーロッパのケースに限らず、それは世界の他の地域、たとえばインドや東南アジアにも存在した。・・・・・・資本主義が始まる時点を12世紀に求めるのは誤りである。その頃には、アラビアや中国で、それはとうに存在していたのだから」(59)

「資本主義が始まる時点をピンポイントで示すことは不可能だが、中国では10世紀から14世紀、アラビアでは7世紀から11世紀、そしてヨーロッパでは12世紀から15世紀の間を、資本主義の急速な拡大の時期と見ることができる」(62)

「現時点の知見によれば、1800年頃、商人資本主義を超えた形をとり、システム全体を規定する力を備えた資本主義がヨーロッパの現象だったことは明らかである」(105)。「絶えず自己を駆りたてる加速度的成長に向かう経済市場のブレークスルーに成功したのがなぜ北西ヨーロッパであり、同様に高度な経済発展をとげていた中国南部ではなかったのか、という問題」(104)。「われわれの注意を強く引くきわめて重要な要因は、政府の積極的役割、植民地化、そしてプロト工業化の大きな重要性である」(104)。すなわち、長期的プロセスの結果として。

工業化のプロセスの3要素(109)。蒸気機関から生産と通信のデジタル化に至る技術上・組織上の革新。新たなエネルギー源の大量利用。分業を組み入れた製造施設としての工場の普及。

工業化と資本主義は区別すべき過程であるが、「長期的に成功しうる工業化は、これまでのところ資本主義を前提としている」(113)。他方で、「工業化は資本主義を変えた」(113)。すなわち、契約にもとづく賃労働を大量現象にし、企業構造を根本的なシステマティックなものにするとともに、技術上・組織上の革新を従来とは比較にならないほど重要にした。さらに、恐慌のように、甚大な社会的・政治的影響力を持つようになった。「それに先だつ数世紀のあいだ、資本主義は大海の小島にすぎず、非資本主義的な構造・メンタリティのなかに埋め込まれた存在だったのに対し、今やそれは経済の支配的な調整メカニズムとなり、同時に、社会・文化・政治に強い影響をおよぼすようになったのである」(115)。

「経済行為が社会的文脈から切り離される傾向、利益と成長への集中とそれ以外の目標に対する無関心。経営者資本主義にすでに内在しつつも絶対化されていなかった資本主義のこのような自己目的性は、「金融化」、すなわち金融市場資本主義、金融資本主義、あるいは投資家資本主義のここ数十年における発展とともに、システムに新しい質を与え、今日なお未解決のいくつもの新たな挑戦の前にそれを立たせるほどのレベルにまで達した」(127)。

[J0362/230511]