Month: May 2023

鈴木貫太郎『ルポ 日本の土葬』

副題「99.97%の遺体が火葬されるこの国の0.03%の世界」、宗教問題、2023年。

第1章 大分県イスラム土葬墓地問題
第2章 ムスリムが土葬を望むわけ
第3章 日本の「伝統」としての土葬
第4章 土葬に必要な手続きとお金
第5章 それでも反対する人々の心理

最近出た「土葬ルポ」としては、高橋繁行『土葬の村』(講談社現代新書、2011年)があり、そちらの方は民俗的な土葬の風習を追った一冊だった。こちらの鈴木本は、大分県日出町(ひじまち)のイスラーム土葬墓地建設をめぐる対立を中心に扱いながら、現代日本の土葬事情を辿るという一冊になっている。

「体当たり取材」という感じで話題はあちこち飛ぶが、やはり土葬がマイナーである日本の現状がよく分かる。高橋本で取り上げられていた奈良県大野町も訪ねているが、当地でも土葬文化はほぼ絶滅といったようすだ。

岡山県哲田町(現・新見市)において、神葬式で父親の土葬を行った神主さんの話、それが当地の風習なのか、埋葬してから八年後、満月の夜に墓を掘り返して父親の死体と対面したというエピソードもなかなか強烈。高橋本に出てきた土葬の風習の中でも、三重に「お棺割り」というのがあったけれども。

メインとなっているのはイスラーム信者の土葬墓地の確保問題であるが、在日のムスリム・ムスリマが困っているところ、キリスト教や仏教の宗教者の中から彼らの土葬墓地をなんとかしてあげたいという協力者が現れていることが印象的。

「この問題には、おおむね3つの難題が内在している。第1は「墓地の新規建設」。第2は「土葬という葬送方式」。そして第3は「イスラム教」である」(149)。つまり、墓地建設反対者は、イスラームに対する忌避感から墓地に反対しているとはかぎらないという。

[J0361/230505]

長沼伸一郎『現代経済学の直観的方法』

講談社、2020年。

第1章 資本主義はなぜ止まれないのか
第2章 農業経済はなぜ敗退するのか
第3章 インフレとデフレのメカニズム
第4章 貿易はなぜ拡大するのか
第5章 ケインズ経済学とは何だったのか
第6章 貨幣はなぜ増殖するのか
第7章 ドルはなぜ国際経済に君臨したのか
第8章 仮想通貨とブロックチェーン
第9章 資本主義の将来はどこへ向かうのか

著者は物理学者とのことだが、経済学の見方を直観的に説明する、というのが本書のコンセプトとなっている。総体として読む価値のある本だと思うが、経済学諸概念の説明、それを利用した社会的・歴史的事象の大胆な解釈、著者自身の経済の展望という三者が重なりあっていて、それが魅力でもあり、ちょっと注意したいところでもある。「理系的」と言っていいと思うが、ものごとに明快な説明がつくこと自体に快感を感じてしまう感性にはあぶなさがつきまとう。このことは、たぶん分かってやっている著者の長沼さんより、読者側の注意かも。とくに行動経済学とか進化心理学とか好きな人。

ちょこちょこイスラーム金融の話が出てきたりする。たとえば、次の融資の話。イスラーム銀行との対比において、金利を定めて返却の義務を課す形で融資をする体制では「リスクは原則的に借り手側が一方的にかぶって、貸し手側の利子はゼロであるべきだとされているのであり、たとえ事業が不可抗力でどんな状況に陥ろうと、貸し手側は利子が明記された証文を振りかざして、それを全額支払うことを要求する権利を有している」(76)。たしかになあ。これが当たり前だと思われている現状。一方、イスラーム金融は、預金ひとつひとつを別個に扱っていかねばならない点で、手数がかかるという制限があるという。

長沼さんは、「資本主義とはその概念とは裏腹に、実は最も原始的な社会経済システムなのであり、それ以上壊れようがないからこそ生き残ってきたのではないか」という見方をして、金銭の力を社会を腐敗させることを抑え込むことに腐心してきた中世社会こそ、ある意味では文明的であったと述べている(80)。最終章では「縮退」という観点から、理論的にこうした洞察を説明している。「米国のリベラル進歩主義は、単なる縮退を社会的進歩と勘違いしてしまったのであり、皮肉なことに近代以前の社会のほうが、短期的願望を人為的に抑え込む必要性をよく理解していたように思われる」(402)

「そもそも考えてみると、『絶対的健全経済』、すなわち経済社会が恐ろしく堅実な人々だけで構成されており、危ない借金などは一切行わず、手元にある現金以上の消費を絶対に行わないという常識で社会全体が貫かれているとしたなら、そこでは経済の拡大などということはあり得ないのである」(252)。「およそい経済社会というものが規模の変動を伴うものである限り、こうした銀行の「又貸し」と貨幣増殖という不健全な行為は、経済社会のかなり根源的な部分に根ざしたものであることがわかるだろう」(253)。

そうそう、たしかに面白いとおもったのは、資産家階層・企業家階層・労働者階層の利害関係を整理しているところ。たとえば、インフレ環境の元では、資産者階層は損、企業家階層は得、労働者階層は損をすると。また、経済学理論の流行について、マルクス経済学、ケインズ経済学、新古典派それぞれを、投資家層・生産者層・労働者層(消費者層)の三階層との対応関係から説明している(117)。新古典派(新自由主義)は、投資家層および、ものを安く買える消費者層に支持されやすいのだという。

ビットコインについても一章が割かれている。ビットコインとは「電子的な世界の中に生まれる一種の新しい金本位制度の世界」なのだという。つまり、ビットコインの採掘量はあらかじめ決められており、金本位制がその規模拡大において限界に突き当たったように、ビットコインもまたそうなる可能性が高いと、著者は見ている。

最近、一般向けの経済(学)入門としては、田内学『お金のむこうに人がいる』
(ダイヤモンド社、2021年)
を読んだところだが、田内さんの本が金融経済と実体経済の関係性を述べていたのに対し、こちらの長沼本は、金融経済も含めた資本主義の原理、およびその原理に発する暴走ぶりを説明した本だと言える。とくに長沼本の前半はマックス・ヴェーバー『プロ倫』の解説になっていて、ヴェーバーによる資本主義体制の「脱自明化」の試みを受け継いでいるが、田内さんも長沼さんも「すこし立ちどまって考えてみれば、資本主義やその金融経済がおかしいのは自明」ということを示しているように思う。誰もがわけもわからず、お金稼ぎや貯蓄に奔走している現状はやはり恐ろしい。

[J0360/230503]

中本真人『なぜ神楽は応仁の乱を乗り越えられたのか』

新典社選書、2021年。

1 内侍所御神楽を守った三人の公卿
2 応仁の乱と内侍所遷座
3 中世の内侍所御神楽
4 没落する公家、活躍する公家
5 内侍所臨時・恒例御神楽の再興
6 乱世を乗り越えゆく内侍所御神楽

呉座さんの本を読めばいいのかもしれないけど、僕にとって一番わかりにくい時代、南北朝から応仁の乱の頃。内侍所御神楽という主題を取り上げて、その混乱の京都の様子を活写する。

一条天皇の代、すなわち11世紀の冒頭にはじめられたという内侍所御神楽(ないしどころみかぐら)。南北朝時代、南朝の内侍所御神楽は記録上途絶え、北朝は三種の神器の神鏡を欠いたままに、御神楽を続行。ただし困窮した北朝は朝儀の費用を室町幕府に頼るようになっていたが、応仁の乱前後に幕府自体が弱体化すると、いよいよ自前で経済的なやりくりをする必要に直面することに。応仁の乱の頃、御構(おんかまえ)と呼ばれた室町殿周辺の要塞区画のなかに籠もって暮らしていた東軍側の天皇や公家の生活は、相当にタフだった模様。

洞院家、平松家といった、家業として音曲や郢曲(神楽歌、催馬楽、朗詠、今様など)を伝えてきた公家も次々に断絶。その中心であった綾小路家も、16世紀初頭に資能(すけよし)の代でやはり断絶(のちに江戸時代になって名前としては再興する)。ところが、これに代わって御神楽を担ったのが、もともと箏の家である四辻家の季春。「これまでの家柄や家業のみにこだわる時代は終わろうとしていました」(105)。

応仁の乱によりすべての朝儀が停止された中で、真っ先に内侍所御神楽が再興されたのは、それが『禁秘抄』を典拠として、神鏡や伊勢の神に関わる神事とされていたからだという(135)。

資能の代で断絶する前、その祖父と父である綾小路有俊と俊量(としかず)について。「本書を通してみてきた綾小路有俊・俊量父子は、他家の伝授に難色を示した形跡がありません。むしろ積極的に芸を伝授しているほどです。綾小路家が他家に御神楽を伝授した背景には、実は伝授による礼銭も目的でした。慢性的に窮困した綾小路家は、いわば芸の切り売りをして、当座をしのぎ続けたのです。本来は手に入るはずのない名門綾小路家の芸能が、音楽の家の者でなくても金銭を対価に獲得できるようになりました。・・・・・・ それが結果的に、内侍所御神楽や雅楽が戦国時代も継続する基盤となったのです」(171-172)。すなわち、応仁の乱以前から「人的基盤が新時代に移行し始めていた」のだと。

この種の宗教的伝統について、社会的危機というのは両義的な意味を持つとも言える。もちろん、それは伝統の経済的基盤を切り崩すことで、伝統を危機に陥れる。一方で、危機であるからこそ、それが強く求められるという側面もあるだろう。ただし、いずれにしても、その過程の中で「伝統」は大きな変容を被ることになる。本書は、御神楽の「伝統」が経てきたダイナミックな変動を記述している。当時、「凡例といふ文字をば尚後は時といふ文字にかへて御心あるべし」と言ったのは山名宗全であったか。

[J0359/230502]