Month: July 2023

橋元良明『メディアと日本人』

副題「変わりゆく日常」、岩波新書、2011年。

1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか
2章 メディアの利用実態はどう変わったか:一九九五年~二〇一〇年
3章 メディアの「悪影響」を考える:テレビとインターネットをめぐる研究
4章 ネット世代のメンタリティー:ケータイ+ネットの魅力
終章 メディアの未来にむけて

しまったなあ。「若者の意識や行動に対するインターネットの影響」というテーマを考えるのには、この本を最初に読むのが良かったんだな。メディアの影響を捉える視点においても、歴史と現状の双方を扱っている点でもバランスがいい。「ネオファビア(新規恐怖)」の一例である「テレビ害悪論」の議論についても、具体的な先行調査を紹介しながら記述していて、勉強になる。もう10年以上前の本になるけれど、いまでもじゅうぶん薦められる。

〔本ブログで扱った関連書〕
ドン・タプスコット『デジタルネイティブが世界を変える』(栗原潔訳、翔泳社、2009年)
木村忠正『デジタルネイティブの時代』(平凡社新書、2012年)
新井紀子『AI vs 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、2018年)
バトラー後藤裕子『デジタルで変わる子どもたち』(ちくま新書、2021年)

[J0381/230708]

『聞き書 島根の食事』

日本の食生活全集32、「日本の食生活全集 島根」編集委員会(代表 島田成矩)、農山漁村文化協会、1991年。

もくじ
宍道湖・中海沿岸の食:米どころの食を彩る湖の魚、海の貝
 Ⅰ 四季の食生活
 Ⅱ 基本食の加工と料理
 Ⅲ 季節素材の利用法
 Ⅳ 伝承される味覚
 Ⅴ 宍道湖・中海の食、自然、農・漁業
出雲平野の食:大社まいりで豊作祈り、秋は黄金の稲を干す
 Ⅰ 四季の食生活
 Ⅱ 基本食の加工と料理
 Ⅲ 季節素材の利用法
 Ⅳ 伝承される味覚
 Ⅴ 出雲平野の食、自然、農業
奥出雲の食:どんととれる山菜を塩漬けし、四季の煮しめに
 Ⅰ 四季の食生活
 Ⅱ 基本食の加工と料理
 Ⅲ 季節素材の利用法
 Ⅳ 伝承される味覚
 Ⅴ 奥出雲の食、自然、農業
江の川流域の食:山間に海と町の食を運び、あゆも躍る「中国太郎」
 Ⅰ 四季の食生活
 Ⅱ 基本食の加工と料理
 Ⅲ 季節素材の利用法
 Ⅳ 伝承される味覚
 Ⅴ 江の川流域の食、自然、農・林業
石見海岸<浜田>の食:人を生かし、土をも肥やす日本海の幸
 Ⅰ 四季の食生活
 Ⅱ 石見海岸<浜田>の食べもの
石見山間の食:紙を漉き、炭こも編んで春を待つ、雪に埋もれる山峡・匹見
 Ⅰ 四季の食生活
 Ⅱ 基本食の加工と料理
 Ⅲ 季節素材の利用法
 Ⅳ 伝承される味覚
 Ⅴ 石見山間の食、自然、農・林業
城下町津和野の食:市が立ち、魚の絶えぬつわぶきの里
 Ⅰ 四季の暮らしと食生活
 Ⅱ 津和野町場の日常と晴れの食事
 Ⅲ 津和野の街と商家の暮らし
隠岐の島の食:のり摘む磯に浪の花、島にゃ人情の花が咲く
 Ⅰ 四季の食生活
 Ⅱ 基本食の加工と料理
 Ⅲ 季節素材の利用法
 Ⅳ 伝承される味覚
 Ⅴ 隠岐の島の食、自然、農・漁業
出雲の神事と神饌
 1 神在月の出雲の人々
 2 出雲大社の神饌
 3 伊奈西波岐神社の神饌
 4 日御碕の和布刈神事
 5 神魂神社の神饌
松江の茶と菓子
人の一生と食べもの
 1 凶作に備えての食
 2 病人食と薬効のある食べもの
 3 妊産婦と食べもの
 4 通過儀礼と食べもの
 5 冠婚葬祭と食べもの
島根の食とその背景

すばらしい、滋味に満ちた企画、一冊。地域の食生活を、聞き書きをもとにして書き記している。民俗的な世界ではとくに、食生活とは生活そのものである。季節ごとの食事、仕事・生業ごとの食事、晴れの食事。海のもの山のもの、お米に野菜。味噌や醤油をつくり、漬物や豆腐をつくり、お菓子をつくり、弁当をつくり・・・・・・。しみじみと感動する。

取りあげている地域のチョイスが、絶妙にすばらしい。宍道湖・中海の湖のほとり、独特の稲作・麦作のしかたをとっている出雲平野、中国山地深くの奥出雲、山間をたっぷりと流れる江の川流域、出雲ともまたちがった文化圏の石見山中、そして隠岐の島。島根県という行政区で一括してしまうのではなく、「ふるさと」としての実感のこもった、民俗の単位、生活の単位。

やっぱり書籍こそがすばらしいとは言っておきたいのだけども、ツイッター上に「日本の食生活全集」というアカウントがあって、コンスタントにこのシリーズから各地の食事の写真をアップロードしてくれている。

「日本の食生活全集 」中の一冊ということで、この『聞き書 島根の食事』には月報がついている。そこに作詞家の岩谷時子のエッセイが掲載されていて、彼女のルーツが島根県(大田市)にあったと知り、これも初耳のことと驚く。月報の文章となれば、探そうとするとたいへんな場合もあるだろうから、ちょっとここに転載させてもらおう(もし怒られたら、即削除します)。

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岩谷時子「へかやき」

 わが家系は、ヴァガボンド(風来坊)の血が流れているのか、祖父も父も出生地の島根県大田市川合町を出たまま、二度と帰り住むことなく他界している。
 明治の末期か大正の初期に、祖父は海を渡って京城(ソウル)へ行き、父は東京の大学を出るとメキシコへ行った。
 二人とも跡目を継ぐ人でありながら、家屋敷を置いて出たままである。当時としては、進取の気性に富んでいたというより、他人から見れば無責任、家族から見れば異郷で果てた不幸な人というべきかと思う。
 当然のことながら、彼らが守るべきものを代りに守りつづけてくれた人がいる。
 それは私にとっては伯母と伯父になる父の姉夫婦であった。
 祖父の病気でメキシコから京城へ呼ばれた父は、祖父を見送ったあと結婚し、私が三歳の時、東京へと帰国したが、やがて兵庫県へ移り、郷里へ帰って暮らす機会もなく五十代半ばで亡くなった。
 少女時代、お正月や春休みには帰郷したけれど、私にとっては伯母の家へ遊びに行く気分だった。
 しかし兵庫県の小都市とは全くちがう風物や食べ物の味は、郷里のものとして強烈に私の心に残っている。片手で数えられるほどの帰郷だが、親子三人そろっての、わずかな私の思い出なのだから、忘れられる筈がない。
 茶道を愛された松平不昧公の松江に近かったためか、一日のうち一度か二度は家の者が仕事の手をとめて一部屋に集まり、抹茶をいただく習慣があった。美味しいお菓子も出て、そういう時の話題は、その日、使っている茶器や、花活けに差した花のことだった。
 朝食には、かならず若布が出て、伯母は若布を「めのは」と呼び、火で軽く焙ったものを手で揉んで粉にし、熱い御飯にかけてくれた。香ばしい磯の香りがした。
 そして大御馳走と言えるものは「へかやき」である。
 私たちの帰る日が近づくと、夕食にこれが出る。
 大きな「へかやき」用の鉄鍋が、こんろにかけられ、大皿の上には大きな鯛を中心に、薄く切った大根など新鮮な野菜の数々が盛られていた。それを薄い醤油味で煮ながら、それぞれが箸で器に取って食べる。これこそは海の幸、大地の幸、山の幸をそろえた、心まで豊かになるような美味しいものだった。
 食べる器も「へかやき」用の紅い塗りのお椀で、この器だけは、その後いくつかを伯母に貰って、今も大切に持っている。
 「へかやき」とは、どういう字を書くのか、どういう意味なのかわからない。ひょっとして私の覚えちがいかと思ったりしていたが、同郷の岩谷産業の会長岩谷直治氏が著書のなかに「へかやき」のことを書いておられて安心した。ただし、意味は今もわからない。
 海から離れた山村だから、鯛は、きっと私たちのために注文して用意されたのだろう。
 お正月に帰郷すると、当然、お雑煮が出る。広い土間に囲まれた座敷でいただくのだが、お餅は丸く、大鍋で茹でたのを、朱塗りのお椀に入れ、薄味の汁(つゆ)をかけ、けずった鰹節と、揉み海苔を、自分の好きな分量ふりかけるだけである。
 土地によってお雑煮の作り方はいろいろで、友人たちが集まり、お国自慢で話あうとき、わが家のシンプルなお雑煮をきくと、いつもおどろかれる。
 「それだけなの? 青い野菜とか、鶏の肉とか、ほかに何も入れないの?」
 質素なのに、びっくりされているようだが、こんなに美味しい食べ方はないと思う。
 これこそ、お雑煮の原型なのではないだろうか。
 郷里を去る日は又、ひと騒ぎである。伯母が私を食料品ばかり貯蔵した倉へ連れて行き、瓜の粕漬け、お味噌、らっきょう、梅ぼしに至るまで、海苔の空罐などに詰めて持ちきれないほど持たせてくれた。すべて伯母の丹精こめた手作りである。
 玄関に立って名残りを惜しみながら手を振った伯父も伯母も今は亡く、送られた三人の家族も、私ひとりになってしまった。
 「へかやき」も父が逝ってからは、母も作らなくなってしまった。
 眼福、耳福というものがあるように味福というものがあるなら、これは団欒が作り出すものではないだろうか。
 郷里の「へかやき」の味は忘れられないが、たとえ材料が揃ったとしても、生き残りのヴァガボンドひとりが大皿の中に鯛とにらみあっているのでは、まさにホラー劇の一シーンになってしまう。
 味気ないとは、全くいい言葉があるものだ。
 自分は再び味わえないと諦めながらも「へかやき」は日本一の美味、山陰の味ですと、日本中へ言って歩きたい気持ちである。
 鯛は、たしか焼いてあったような気がする。

[J0380/230707]

J=P. デュピュイ『ありえないことが現実になるとき』

副題「賢明な破局論にむけて」、桑田光平・本田貴久訳、ちくま学芸文庫、2020年、単行本2012年、原著2002年。

 日本語版への序文:倫理的思慮の新しい形
 破局の時間
第1部 リスクと運命
 1 特異な視点
 2 迂回、逆生産性、倫理
 3 運命、リスク、責任
 4 技術の自立
 5 係争中の破局論
第2部 経済学的合理主義の限界
 6 予防―リスクと不確実性との間で
 7 無知のヴェールと道徳的運
 8 知ることと信じることは同じではない
第3部 道徳哲学の困難、欠くことのできない形而上学
 9 未来の記憶
 10 未来を変えるために未来を予言する(ヨナに対するヨナス)
 11 投企の時間と歴史の時間
 12 破局論の合理性

時間論についてはベルクソンが、破局論についてはヨナスが、デュピュイの思想のスプリングボードになっている。

「西洋文明を作り上げたキリスト教的伝統において、悪は悪しき意図の帰結としてのみ存在する。・・・・・・ところが、形而上学におけるこのような立場は、現代において維持しえないものとなっている。最善の意図であっても、人間の実行能力が――それが破壊する能力と表裏一体のものだ――ある臨界値を超えてしまうと、破局をもたらしうるのだ」(8)

「迂回の論理」について。「道具的合理性、悪の正当化、経済論理。これらの三つの形式は互いに密接に関連しており、近代的〈理性〉の雛形(マトリックス)をなしているといえる。経済的合理性とはまず、倫理的な経済のことであり、つまり、犠牲の合理的な管理のことである。犠牲とは「生産コスト」であり、つまりは、最大限の純利益を得るのに必要な迂回のことである。私は次のことを主張したい。すなわち、迂回の論理は、実際のところ、近代的な「イデオロギー」の鍵となる要素であり、経済的合理性の核心である」(49)。迂回の論理の問題は、価値合理性と対立してそれを蝕む目的合理性の問題に通じる。

「問題は、われわれはそれ〔破局が生じること〕を信じていないということなのだ。自ら知っていることを信じていないのである。倫理的思慮に対する試練とは、未来に書き込まれた破局の知識の欠如ではなく、この書き込み自体が信用できないということなのである」(179-180)。「予防原則は、障害の本性を完全に見誤っていたのである。科学的であろうがなかろうが不確実性が障害となっているのではない。障害は、最悪の事態が到来することを信じることが不可能だということなのである」(181)。「破局に対する恐怖には、何の抑止効果もないのである」(182)。心理学を超えて、時間性の形而上学に関わる問題。

「人類の産業・経済発展を標的にする破局である核の脅威の場合、防止や効果的な抑止にとって大きな障壁となるのは、生起しないけれども可能であるという現実を、人々が信じていないことなのである。破局は信じられないものなのだ」(256)。

「形而上学は合理性を重視する学問である。形而上学には、諸々の真実がある」(213)。

デュピュイの言う、歴史の時間と投企の時間の区別は、僕の考える事実認識の論理と実践の論理の区別ともオーバーラップしている。

現在、人類が予測不可能な破局の可能性に直面しており、そこでは、制御可能なリスクという発想はむしろ障壁になっているとともに、それに応じて「悪」の意味も伝統的なそれとは根本的に変化しているといった洞察において、デュピュイの議論はきわめてリアルかつ重要である。今回は一読しただけで細部は読み飛ばしてしまったが、時間論や予防論など、もっと集中して読む必要のある箇所が多くある。

[J0379/230701]