Month: December 2023

松尾龍之介『小笠原諸島をめぐる世界史』

弦書房、2014年。

第1章 小笠原諸島の発見
第2章 日本人の大航海時代
第3章 「無人島」探検
第4章 「無人島」から「ボニンアイランド」へ
第5章 太平洋の世紀
第6章 ペリー提督の小笠原
第7章 幕末の小笠原

近世まで無人島だった小笠原諸島が、太平洋を外国船が行き交う時代になって、歴史の激流に放り込まれた近世・近代。そのなかで「小笠原」という名称が定着するにいたったが、本書によれば、最初にこの島への探検航海を成功させたのは、末次茂朝と嶋谷市左衛門という人物で、河村瑞賢が西回り航路を確保した頃と同時代のこと、家綱の幕府の意向があったらしい。

その後、島は長らく放棄される状態になり、1830年、アメリカ人ナサニエル・セボリーらの多国籍グループが、ホノルル経由で父島に入植。外国諸列強がこれら島々に目をつけはじめてから、幕府が小笠原島を「奪還」しようとオランダから購入した咸臨丸を派遣したのが1862年。小笠原の開拓にも貢献した咸臨丸・朝陽丸・千秋丸の乗組員たちは長崎海軍伝習所や築地海軍操練所で学んだ人たち。彼らは当然、旧幕府の下にいた人たちで、多くの人が幕府瓦解のあとは榎本海軍に参加して戦死したりしたとのことである。

著者の松尾龍之介さんの本職は漫画家で、在野の歴史家とのこと。本書は一般の郷土史家の範疇をこえた、充実したすばらしい仕事。

[J0433/231211]

E.ルナン『イエスの生涯』

忽那錦吾・上村くにこ訳、人文書院、2000年。

1 幼い頃から青年期まで/2 イエスの受けた教育/3 イエスを取りまく思想界/4 最初の訓言――〝父なる神〟/5 バプテスマのヨハネ/6 「神の国」というイデーの発達/7 カペナウムにおけるイエス/8 弟子たち/9 湖畔の説教/10 神の国は貧しい者のために/11 囚われのヨハネ/12 イエルサレムでの最初の試み/13 よきサマリア人/14 伝説誕生、イエスの軌跡/15 「神の国」の決定的な考え方/16 イエスが定めたもの/17 イエスのへの反対/18 最後の旅/19 敵の計略/20 最後の一週間/21 イエスの逮捕と告訴/22 イエスの死/23 イエスの事業の根本にあるもの

本書は『キリスト教起源の歴史』の冒頭をなす『イエスの生涯』の普及版で、1870年に出版されている。

神秘的な伝説を斥けて「人間イエス」を描いたルナンのイエス伝は、当時のフランスやヨーロッパに衝撃を与えつつ、広く迎えられた書。復活の話もここには出てこない。今となってはふつうのことに見えるかもしれないが、それは「重要な仕事あるある」で、現在にいたる「ふつう」をつくりあげた大きなきっかけこそがこの書であった。

ルナンが描くイエスは、慈愛に満ちた人物であるとともに、ユダヤ教のしきたりを断固として否定して、ローマ的な世界観からも離れて超俗的な世界に価値を置いた理想主義者である。

ルナンは、イエスが巧みに比喩を用いるところや、神の国と「解脱」の近似性について、仏教を高く評価している。一方で、彼によるイエスの描写はなるほどと読み進むうちに、最後にユダヤ教を絶対的に否定しているところで、おやこれはどうだろうか、となる。彼に言わせれば、イエスが有罪に陥れられたのはモーセの立法ゆえであり、たんに歴史的偶然ではない。さらに。

「今日でもキリスト教を奉ずると称する諸国において、宗教上の犯罪という名目で、刑罰が言い渡されている。だが、こうした過ちについてイエスに責任はない。・・・・・・ キリスト教は寛容ではなかった。その通りである。しかしこの不寛容はキリスト教本来のものではない。むしろユダヤ教本来のものというべきだ。・・・・・・モーセ五書は、それ故、最初の宗教的恐怖の法典であり、ユダヤ教は剣で武装した万古不易の宗教の典型である」(282)

キリストやキリスト教を称揚するのに、本当にこのようにユダヤ教を貶める必要があるのだろうか。19世紀フランス的な現象と言えばそれはそうなのだが、一方で、ホロコーストを経て、より複雑なかたちでこの問題圏は現在に至っている。こうした反ユダヤ教を否定することと、今日のガザ侵攻を否定すること、それを同時に行うことが、どうしてこんなに難しいことになっているのか。

[J0432/231208]

中原昌也『死んでも何も残さない』

副題「中原昌也自伝」、新潮社、2011年。

第1夜 気づいたら満州引揚者の息子
第2夜 ろくな大人にならない
第3夜 教育なんてまっぴら
第4夜 どんよりとした十代
第5夜 暴力温泉芸者は高校四年生
第6夜 世間の茶番には勝てん

著者が子ども時代を過ごした1970年代や1980年代のカルチャーの話が山盛り、それから戦争体験者だったという高齢の父親の話、どこまでも個人的な話でありながら時代性も濃い。

中原昌也といえば「サブカル」と結びつけられやすいが、本人はぜんぜんサブカルじゃない。サブカルに分類されるあれこれが好きなのはたしかとしても、サブカル界隈特有の構えた姿勢がまったくなくて、本書を読んで感じたのは、なんて素直な人、率直な文章なんだってこと。たとえば、ホラーやノイズが好きなことを語る傍らで、タモリの芸達者に憧れてたとか、そうそう、逆張り的なところがまったくない(と、僕には感じられる)。このように自分の感覚に率直な人の言葉って、「みもふたもない言葉」として、ついついポーズを取ってしまう側の人にはときに恐ろしく感じられる。率直であるだけの中原さん本人は心外だろうけども。
[J0432/231208]