Month: December 2023

高田久夫『屋久島の山守 千年の仕事』

屋久島の山仕事に生涯をかけ、当地の山や樹にもっとも精通した人物の語り。塩野米松の聞き書き、草思社、2007年。

第1章 山の仕事に出合う
第2章 巨木を動かす
第3章 失われゆく技
第4章 山の中で生きる
第5章 千年、山を守る
第6章 最後の仕事

高田さんは1934年生まれで、調べてみると、2013年に亡くなられたとのこと。2012年、78歳のときまで山仕事を続けておられたとのことで、この本を出されたときはもちろん現役。

凄いのは、丸一冊分、山仕事の話をして、精神論や哲学のたぐいをそれとして開陳するようなところがなく、つねに具体的な作業や山や木の知識の話になっていること。傍観者的な立場からの話がまったくない。

最後の最後のところで、「あんだけの人間がおって、僕は友達ちゅうのはいないんです」という話があって、このようにおっしゃる。

「みんな砕けて話をしようとすれば、酒の話とか女の話とか、無駄話をしゃべって遊んでいるわけだ。僕は仕事の話はするけど、冗談なんか絶対言わない。頭の中に冗談が全然浮かばないんです。そういう知恵が出てこないんですよ。頭の中に、木のことと山のこと、土埋木のこと、あれをどうやって運んだら安全かというようなことしか詰まってないんです。・・・・・・だから、あんな難儀して馬鹿なことばっかりしてちゅうぐらいしかみなさん見らんとですね。僕はもう、一所懸命だから、夢中になっているから、ただそれだけですよ」(245)。

こういう人は好きだ。尊敬できる。

もうひとつ、備忘のメモ。「言い伝えによれば、泊如竹ちゅう屋久島出身の偉い坊さんが安房の本仏寺に帰ってきたとき、それまで島の者が神木ちゅうてヤクスギをだれも伐らないでおったものを、木の前にヨキ(斧)を立てかけておいて朝までそれが倒れなかったら神の許しが出た木であるから伐ってもいいと告げたというんです。如竹が生まれたのは一五七〇年だとか。僕は山を見てきて、如竹が生まれる前から島ではヤクスギが伐られているちゅうことは知ってるわけです」(167)

[J0436/231215]

『天地始まりの聖地:長崎外海の潜伏・かくれキリシタンの世界』

松川 隆治・大石 一久・小林 義孝・長崎外海キリシタン研究会編、批評社、2018年。長崎市出津のド・ロ神父記念館にて購入。

はじめに――天地始まりの聖地・外海(大石一久)
特別再録 かくれキリシタン紀行(谷川健一)
1  天地始まりの聖地・長崎外海―─潜伏キリシタンとその時代(松川隆治)
コラム1. 松川隆治先生と外海潜伏かくれキリシタン(西田奈都)
コラム2. 「枯松」と墓標(大石一久)
2  外海のキリシタン世界―─「天地始之事」、「バスチャン暦」にみる一考察(児島康子)
コラム3. なぜ「天地始之事」は伝えられたのか(西田奈都)
3  かくれキリシタン信仰の地域差について(中園成生)
4  大村藩と深堀領飛び地の境界(松川隆治)
5  「元和八年三月大村ロザリオ組中連判書付」の地名と人名の図(解説)(長瀬雅彦)
6  外海地方のキリスト教関連遺物(浅野ひとみ)
7  野中騒動と聖画(岡美穂子)
8  外海の文化的景観とその価値(柳澤礼子)
9  外海の潜伏キリシタン墓―─佐賀藩深堀領飛び地六カ村と大村藩領の潜伏キリシタン墓の比較(大石一久)
コラム4. 松崎武さんのこと(松尾潤)
10  新天地を求めて―─外海から五島、そして新田原へ(大石一久)
特別再録  隠れキリシタン発見余聞(皆川達夫・田北耕也)
あとがきにかえて――長崎と河内をつなぐキリシタン世界(小林義孝)

論文集で、冒頭の谷川健一の文章と、特別採録の対談は既出のものを再録。『天地始之事』とは、長崎・外海地区など長崎県の潜伏キリシタンに伝えられてきた、旧約聖書のエピソードがモチーフになった物語。

とくに意義深いのは、隠れキリシタン研究を拓いた田北耕也の調査体験談を特別再録した「隠れキリシタン発見余聞」で、氏と姉崎正治との交流のことや、昭和のはじめごろの、ひっそりと信仰を伝えてきた人々の様子をうかがい知ることができる。

田北耕也(1896~1994)は、教員の経験を経てから、九州帝国大学文学部で学び直した人とのことで、田北に遅れて『隠れキリシタン』を著した古野清人(1899~1979)との関係は分からないが、ちょうど入れちがいくらいのかんじか。田北の主著、『昭和時代の潜伏キリシタン』(日本学術振興会、1954年)は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能(要登録・ログイン)で、『天地始之事』についても記載。彼が教鞭を執った南山大学ライネルス中央図書館では、著作リストを作成して公開している。>南山大学「カトリコス」

[J0435/231213]

渡名喜庸哲『現代フランス哲学』

ちくま新書、2023年。

1 構造主義とポスト構造主義
 第1章 構造主義を振り返る
 第2章 ポスト構造主義
2 転換点としての八〇年代
 第3章 ポストモダン社会か新自由主義社会か
 第4章 〈政治的なもの〉の哲学
 第5章 〈宗教的なもの〉の再考
3 科学と技術
 第6章 科学哲学
 第7章 技術哲学
4 変容する社会
 第8章 ジェンダー/フェミニズム思想
 第9章 エコロジー思想
 第10章 労働思想
5 フランス哲学の最前線
 第11章 哲学研究の継承と刷新
 第12章 フランス哲学の射程

ざーっとひろく現代フランス哲学を見渡した一冊で、その層の厚さにあらためて驚かされる。そして、こうした概観ができてしまう著者の力量とに。

「おわりに」では、現代フランス哲学者たちのアプローチについて、三つ(ないし四つ)の類型を立てている。「デリダ型」は、二項対立の脱構築を志向するアプローチ。第二の「フーコー型」はさらに2種類あって、ひとつは「知の考古学」型ないし科学認識論型、もうひとつは生権力/統治性論。「ドゥルーズ型」は、反人間主義・反主体主義の立場に立つネットワーク/リゾーム型の発想のもの。最後に、全体を貫く横串として「現象学型」があるとのこと。

[J0434/231212]