Month: July 2024

長井勝一『「ガロ」編集長』

ちくま文庫、1987年。原著は1982年。

第1章 『ガロ』創刊のころ
第2章 大陸での夢と現実
第3章 特価本と赤本の世界
第4章 三洋社の時代
第5章 『ガロ』売れだす
第6章 個性豊かな新人たち

人並みにガロの漫画のあれこれは好きで、長井さんの名前は知っていたが、読んでみるとなんとはなくのイメージとはだいぶちがっていた。山師風でもあり、淡々としてもおり、審美的な話はほとんど出てこなくて、でもあの漫画群を世に出したのだから、美的な信念はあったはずと思うが、語られていなくて不思議。この本には裏のことまでは書いていないのであれば、逆に納得がいくというぐあいで(でもそうでもないのかもしれない)、あとがきの南伸坊さんによる「大陸的な人」という評が一番しっくりくる気がする。

そもそも、彼が評価し世に出したの作家は、白土三平、水木しげる、つげ義春なんかもそうだし、林静一に杉浦日向子に渡辺和博にねこぢる等々々と、まったく異なる時代や作風のものが続くわけだから、当たり前の読者やクリエイターの感性ではありえないはずだ。

[J0482/240712]

頼住光子『さとりと日本人』

ぷねうま舎、2017年。著者の専門は日本倫理思想史で、道元について複数の著書を著している。思想史の記述として、勉強になる箇所は多い。

一方、本書は、学問のなかでは批判の対象になることの多い「日本人論」「日本文化論」という体裁を取っていて、それは完全に「あえて」試みているわけだけども、だからといって入念な反批判を用意しているわけでもなく、たとえば、論じる対象についてただ好きなものを取り上げている、といった指摘に対抗するのは難しいという印象。また、それはそれで別に良いとも言えなくもない。

第1章 食と仏教
第2章 武士の思想と仏教
第3章 和とは何か―「和を以て貴しと為」と「和敬清寂」
第4章 徳という思想
第5章 「修行」から「修養」へ―日本仏教の中世と近世
終章 共生の根拠―仏教・儒教・神道

[J0481/240710]

宮内泰介『社会学をはじめる』

ちくまプリマー新書、2024年。副題「複雑さを生きる技法」。

第1章 世界は意味に満ちあふれている―やっかいな問題としての社会
第2章 社会学って何だ?―みんなで規範の物語を作るいとなみ
第3章 聞くことこそが社会学さ―対話的な社会認識としての調査
第4章 社会学は泥臭い分析技法を手放さない―圧縮して考える
第5章 なんのための理論?―表現の技法としての理論と物語
第6章 みんなソシオロジストになればいいのに―人びとの共同のいとなみとしての社会学

「合意形成の技法としての社会学」という対話的な社会学像を提示、そのポイントは、多元的である「人びとが大事だと考えること」について認識を深めていくということ。この点、岸政彦さんの「他者の合理性」論と近い見方といってよさそうだ。

著者は、自分が取り組んでいる「社会学」に社会的意義があることを実感として感じていて、それをなんとか表現しようとして本書のような表現にたどりついたのだろうと思う。ただこれは誰でもそう指摘すると思うが(また、ご本人も認識していると思うが)、こういう種類の社会学だけが社会学ではなく、数多くある社会学理解のひとつにすぎないことも事実。多様な自己理解を許すこういう学問のありかた自体が、もっと「かっちり」した諸分野や、一般の方からすると、共感しにくいのだろうなとも思う。

ささいな「なるほど」ポイント。社会学における多様な研究方法のひとつとしてのアンケート調査について。「とくに、社会的に安定したカテゴリーについて扱う場合に、アンケート調査は有効に働きます」(101)。こう説明すればいいのか。なるほど。

[J0480/240710]