Month: January 2026

A.ギデンズ「変動、進化、権力」

アンソニー・ギデンズ『社会の構成』(門田健一訳、勁草書房、2015年)。
第五章「変動、進化、権力」、pp.263-318。

まず、従来の社会変動論は、変動を規定する普遍的原理があってそれを特定できるという発想のもとにあるが、それは不可能である。それは、進化論に関しても同じである。

適応という概念は、進化論にとって重要である。しかし、社会的なコンテキストでは、適応の概念には価値がない。適応の概念は曖昧になりがちである。ハーディングは「環境に対する管理と保持と保護」と述べるが、それに「社会の相互調整」という意味も加えてしまう。かといって、社会変動に関しては前者だけに絞るわけにもいかない。人間には、物質的環境にいっそう効果的に「適応」していく衝動が存在するというわけでもない。スペンサーは「適者生存」の概念のもとに戦争を通した社会の規模の拡大を進化論的に解釈したが、軍事力を持続的な進化過程のメカニズムとするのは無理があり、進化論者の間でも否定されている。そうすると、適応の意味内容にいろいろなものを含めなければならなくなり、適応の概念自体が意味をもたなくなってしまう。

進化は、時間の経過と種の前進をモデルとしているが、それは不適切である。まず、人間の社会生活は反省的な特性をもつため、社会変動の説明を転覆させてしまい、生物学的な進化過程のモデルに合致しなくなる。また、生物学における進化論は種の起源が独立しており、突然変異がなければ種の変化も起こらないと前提しているが、この条件は人間社会にはあてはまらない(273)。社会科学の領域では進化の単位は、論者によって違ってしまうようなものでしかない。

人間の歴史は、連続性のもとにある「世界成長の物語」として描けるようなものではない。それは、安定的にあった状態にあった伝統的世界から、近代世界の不連続性を有した登場として描かれるべきである。

したがって、従来の社会進化論・社会変動論は次の諸点で誤っている。社会変動は、複数段階を順番に経て進むものではない(マルクス主義)。次に、社会進化の諸段階と、個人のパーソソナリティの発達とのあいだに相同性を想定するのは誤っている(フロイト、エリアス)。そしてまた、権力の優位性であるものを、進化論的な優位性と取り違える誤りがある。適応はしばしば能力の同義語とされてしまう。さらに、歴史を社会変動の記述と同一視することも誤りである。人間の社会生活は日常生活の慣習的な行動のなかで形成・再形成されるものである(構造化理論)。

では、社会変動はどのように記述されるのだろうか。社会生活はすべてエピソード的である(281)。社会変動は、反省的モニタリングをその一要素としたコンテクストの変動に応じて性質を変えていく環境や出来事の接合に依拠している。エピソード性のもとに社会を記述するとは、数多くの概念的決断を下すことである[Mのメモ:宗教概念の用法にも適用可能な発想か。つまり、社会を記述する概念の意味は既定のものでも一義的なものでもなく、コンテキストに照らした概念的決断のもとに行うべきものという点。それは経験的な問題である以上に概念的な問題であると]。

[このあと、しばらく国家の記述の問題を論じている。]

構造化理論の立場からすると、歴史の記述のキーとなるのは、権力である。権力とは結果を達成する能力のことで、かならずしも党派的な利害と結びついているわけではない。支配の諸構造を構成する資源には、配分的資源と権威的資源の二種類がある。配分的資源は物質的な権力源を含んでいて、マルクス主義も進化論もこちらに優先性を与えてきたが、権威的資源も歴史を突き動かす上で同様の重要性をもつ資源であり基盤である。権威的資源は、社会時間-空間の組織化、身体の生産/再生産、生活機会の組織化を含んでいる。配分的資源が発展するためには、権威的資源の変容や「蓄積」が不可欠である。

■批判的注解:パーソンズの進化論
[パーソンズ社会進化論の手際のよい解説にもなっている]
社会進化を生物学的進化の拡張であるとするパーソンズの理論は、進化論的考察の典型であって、本章で述べた進化論的説明の弱点を示している。50万年に及ぶ人類の歴史が合衆国のシステムにおいて頂点を極めたという彼の「世界の成長物語」は、少々的外れというだけではすまない規範的幻視である。

[J0637/260121]

D. ブラウン『ヒューマン・ユニヴァーサルズ』

ドナルド・E・ブラウン、副題「文化相対主義から普遍性の認識へ」、鈴木光太郎・中村潔訳、新曜社、2002年、原著は1991年。

こーれは有益、たんに普遍特性(universals)の存在を主張するだけでなくて、学説史を整理して批判的にも生産的にも議論を展開しているところがとくに。1991年とは、こういう問題を考えるためには古すぎるように思えるかもしれないし、たしかに最近の研究状況は考慮しなくてはならないだろうが、全然現在も有益。調べてみると、日本語訳だけでなくて原著まで高騰している。Kindle派ならいいんだろうけども、これは文庫化が待ち望まれる人文学徒の必読書。

これだけの本が『文化人類学文献事典』にもエントリーされていないのでどういうわけかと思ったが、この事典が2004年刊行でちょっと間に合っていないのと、よくみると争点「文化相対主義」のところでは言及されている。

この項の執筆者の小田亮氏は、ブラウンによる批判を引いて「そこでの違いは、文化相対主義がそのような普遍的特性を生物学的特性へと還元することに反対し、それらの特性の個別的な現れが文化によって構築されているとするのに対して、ブラウンは生物学的事象と社会的事象との区別を頑固に守ろうとすることを批判し、文化の多様性の強調から普遍性の強調へと移行することを唱えているということにある。生物学的本質主義に反対する文化相対主義はしばしば文化的本質主義に陥っている」(833)とまとめている。ふむ、文化相対主義≠文化的本質主義であると。

ウィキペディアには本書のページがあるが、スティーブン・ピンカーが本書から普遍特性のリストを作っていると書いてあって、ブラウンもダーウィン主義者のように書かれているが、本書を実際に読むかぎりではそんなことはない。ピンカーに寄せすぎの解釈と思われる。
>https://en.wikipedia.org/wiki/Human_Universals
これがその普遍特性のリスト。https://condor.depaul.edu/~mfiddler/hyphen/humunivers.htm

1章 普遍性を再考する―六つの事例
2章 普遍特性の概念・定義・証明
3章 普遍特性研究の歴史
4章 普遍特性を説明する
5章 インセスト回避
6章 普遍的人間
7章 普遍特性・人間の本性・人類学

■ 序
・「20世紀の大部分を通じて人類学(および他の社会科学)を支配していた前提の意図せざる結果として、普遍特性の研究は実質的にタブー視されてきたということである。1915年から1934年にかけて、アメリカの人類学者たちは文化の性質について三つの基本的原則を確立した。すなわち、文化は他のもの(とりわけ、生物学や心理学)に還元できない独自の現象だということ、(人間の身体的性質ではなくて)文化こそ人間の行動の基本的な決定因だということ、そして文化は大部分が恣意的なものだということである。これら前提が組み合わさり、普遍特性を例外的で、きわめてありそうもないものにしてしまった。」(10)
■1章 普遍性を再考する―六つの事例
・ホピの時間概念にかんするサピア-ウォーフ仮説への批判。(14-15)

■2章 普遍特性の概念・定義・証明
・普遍特性の理解に貢献した重要人物としてのノーム・チョムスキーとロビン・フォックス。

■3章 普遍特性研究の歴史
・進化研究の忌避について。重要な例外A・アーヴィング・ハロウェル「行動の進化におけるパーソナリティ・文化・社会」(1963)と、ギアツ「文化の概念の人間の概念への影響」(1965)などの批判(130ff)。

■4章 普遍特性を説明する
・普遍特性のさまざまな説明の仕方。① 他の普遍特性による説明、②自然の事実の文化的反映や認識、③生物学的な事実の拡張、④伝播論的説明、⑤アルコーシス(太古症)、⑥エネルギーの節約、⑦人間の生物学的特質(とくに脳)、⑧進化論、⑨動物との比較、⑩個体発生、⑪部分的説明。
・「誤解を生むもう一つの大きな原因は、適応の機能とその多様な効果の違いに関係している。・・・淘汰の過程にとって中心的である機能と付随的な効果とを混同することは、大きな誤りである」(179-180)。
・進化における偶然、保守性、妥協。

■5章 インセスト回避
・「かつては、人間ではインセスト・タブーが普遍的だと考えられていたが、これも現在では誤りだということがわかっている」(210)。
・「よく考えてみると、100年以上にわたって人類学的想像力をかきたててきた普遍的とされる現象が、だれもが満足できるようなかたちではいまだに説明されて伊那いということである。その現象が普遍特性なのかどうかも定かではない。インセスト・タブーは、確かに統計的普遍特性であり、近普遍特性であるかもしれないが、明らかに普遍的なものではない。一方、インセスト回避はおそらく普遍的である」(228)。

■6章 普遍的人間
・絶対的普遍特性のリスト、Murdock 1945, Tiger and Fox 1971, Hockett 1973.

■7章 普遍特性・人間の本性・人類学
・「普遍特性は、文化や社会レベルの普遍特性、言語の普遍特性、個人レベルの普遍特性、非限定的普遍特性、含意的普遍特性といった、さまざまな特性の集合――単一の包括的な説明を拒む集合――から成っている。とはいえ、もし普遍特性の起源を一つだけ探し求めるとしたら、探すべきは人間の本性だろう。しかし、人間の本性は常に直接的に確かめられるものではない。したがって、普遍特性の説明を人間の本性に探し求めるのと同様に、グッドイナフの言うように、普遍特性を手がかりにして、人間の本性を探究することもできるだろう」(254)。
・「文化を心理生物学へと「還元する」ことは、現在も、多くの社会科学者にとって一種のタブーである」(256)。

・問題にするべき人類学の仮定ないし命題(260-261)。
 1.自然(本性)と文化は二つの異なる現象領域である。
 2.自然は本能(固定的動作パターン)に現われ、文化は学習された行動に現われる。
 3.人間の本性はどの人間でも同じだから、文化こそ人間の集団間の違いを説明する。
 4.人間の普遍特性は、人間の本性を反映している可能性が高い。
 5.文化を吸収するその驚異的な能力を除けば、人間の心はほとんど白紙の状態である。
 6.(3と5から)文化は、人間の営みの最も重要な決定因である。
 7.人間の行なうことを生物学的な視点から(すなわち、文化ではなく、自然の点から)説明することは、還元論的誤りである(極端な言い方をすると、人間の営みを文化以外の点から説明することはどれも、還元論的誤りである)。
 8.文化は、自律的であるがゆえに、恣意的で、多様性に富む。
 9.(5と8から)普遍特性はほとんど存在しない(そして重要でもない?)。

・「普遍特性と文化固有の特性との間に、あるいは人類学的問題への生物学的アプローチと社会・文化的アプローチとの間に、ゼロサムゲーム――もっと悪いのは、勝者が全部いただくゲーム――のようなものがあると考えるのは、間違っている」(279)。

■ 訳者あとがき
・コズミデスとトゥービーは、この傾向を「生物学嫌い(バイオフォビア)」と呼んでいる。
・相対主義と相対主義批判という二つの論点がポストモダン人類学の主張に併存する。「構造機能主義と大英帝国の植民地支配の親和的関係を見たり、あるいは従属理論や近代世界システム論に見られる第三世界の現状を世界資本主義に編入する中で歴史的に構成されたものと見る考え方――ポストモダン民族誌は、こうした「世界システム」内への民族誌記述の歴史的位置づけや民族誌の歴史化も唱導する――によれば、従来の人類学の相対主義的な「他者理解」は、異文化の本質主義的理解であり、「他者の捏造」にほかならない」(291)。

[J0636/260121]

岸政彦『生活史の方法』

副題「人生を聞いて書く」、ちくま新書、2025年。調査の方法論を説明して、これだけ読ませる本にするのだから、さすがの筆力。

第一章 生活史とは何か
第二章 語り手と出会う―調査という「社会関係」
第三章 調査の進め方
第四章 語りの聞き方
第五章 聞き手から書き手へ―編集と製本

そういう考え方もあるのか、と思ったのは、一般論や「公式見解」にみえるものを否定しないというところ。「代表者の語り」にも意味と価値があると。この種の主張が、第2章と第5章に2度出てくる。活動家の例に関して、「一見すると定型的に見える語りは、特定の社会問題の構造や歴史を考えるうえで決定的に重要な何かが含まれていることも多いですし、そもそも人びとの語りというものは、定型的にみえても実は千差万別で、非常にユニークで個性的なやりかたで語られているはずです。「定型的」なのは、こうした語りを定型的でしかないものとして受け取ってしまう、私たち聞き手のほうなのだと思います」(220)。もっとも、これは岸さんの聞き取りがなかなかのストロングスタイルで、3~4時間も聞くやり方だということと、フィールドが沖縄で、定型的といってもオルタナティブな立場になりやすい土地での定型だからだとは、ちょっと想像する。

「私たちは、たまたまお会いできたひとりの方とお会いして、そのときにたまたま二、三時間語られた言葉を、ありがたくいただくのです。「すべて」や「本音」は、もちろん、語られた場合にはとてもありがたいのですが、そればかりを目標にすると、おそらく聞き取りの方向性を強力に枠付けることになって、自由な語りは生まれなくなるでしょう」(229)
「定型的な語り」も含めて、あくまで「引き出す」という姿勢を避けると。「積極的な受動性」というのが、生活史のアプローチを説明する本書のキーワード。たしかに、ジャーナリストや新聞記者は「聞く必要があること」を積極的・能動的に聞くことになる。特定のテーマに関する社会学的インタビューは、その中間くらいに位置するのかな。

一方で、「私個人としては、沖縄の調査をするさいの理論枠組みや仮説などは、基本的には調査対象者と共有するべきだと思います」(240)と言っていて、別に理論書ではないんだからいいんだけど、固いことをいえば、インタビュー中には「自分の話は一切しないほうがよい」というような別の箇所での説明との整合性にとまどうところもなくはない。

アポとりについて、電話をかける時間のことをあれこれ述べて、「しかし何時に電話するか、ということだけも、これぐらい悩みます。悩むべきです」(139)というところなどは、調査法の手引きにはあまり出てこないけど、たしかに大切。一方の「手土産」の話、項目や説明はあるべきだけど、外連味を感じてしまう文章量なのは、まあまあご愛敬か。

メモを一切とらないというのもびっくり(別にメモをとることを否定してもいないが)。個人的には、話の流れで質問をするときに役立つので、重要な単語のレベルにかぎりながら、ぜったい取る。自然な間も取りやすいし。詳しく聞きたい話に戻るときとかにメモが役立つ。「3時間や4時間はあっという間」(187)というところも、驚きポイント。僕の場合はそれなりに目的や主題ありきの「ちょっとだけ生活史」だからなんだろうが、1時間がベースで、だいたいなんとなく1時間半くらいにはなり、2時間となるとかなり充実。それ以上は話が薄くなりがち、というのが経験則。そりゃあ、4時間もかけたら、話し手も聞き手も疲れる。

聞き手をつのって調査をしてもらうという経験が豊富なのも、岸さんならでは。聞き手の人には、「前の晩に100個の質問を作ってください」とお願いするらしい。それで「聞き取りの場ではその質問項目を見ないでください」とお願いして、一問一答にならないようにするとのこと。

「生活史の語りは、行為選択とその理由についての語りの連鎖です。そして私たちの人生そのものも、行為選択とその理由の連鎖と蓄積です」(286-287)

[J0635/260114]