Month: May 2020

森博『現代社会論の系譜』

誠信書房、1970年。この本は、なにか気になったことがあれば手に取る、タネ本でもあり指針でもある存在。今日もたまたま手に取ったので、ちょっとブログに書いてみる。外見は古い昔の講義テキストといった体裁で(そのこと自体は事実でもあるのだが)、今、読んでいる人がどれくらいいるだろうか。

1 産業主義の福音:サン-シモン
2 実証的精神による社会の再建:オーギュスト・コント
3 社会進化論:ハーバード・スペンサー
4 ゲゼルシャフトと人間疎外:フェルディナント・テンニエス
5 分業と社会的連帯:エミール・デュルケーム
6 官僚制をめぐる諸問題:社会主義との関連において

みんな知ったような顔をしているが誰もきちんと読んでいない、評論があっても妙に斜めからの「新解釈」のものしかない、といった「古典」はあるもので、サン-シモン、コント、スペンサーら、いずれもそうした種類の存在だ。ところが筆者と言えば、サン-シモン著作集を単独で翻訳し終え、これら原典に通じた第一人者。コントについては、清水幾太郎の岩波新書が2014年にちくま学芸文庫の再編集版で出版されたが、もちろん清水にバランスの取れたコント紹介を委ねるというわけにはいかない。

たいがいは1~2ページや、多くて5~6ページの形どおりの紹介が多いなかで、各論者の学問の歩みや概要をそれぞれ数十ページ程度の分量で、しかもまったく奇をてらわずに辿っている本書の存在はありがたい。数多の「独創的研究」が干からびていくなかで、少なくとも僕にとって、この本の価値は変わらない。

[J0047/200528]

野口雅弘『マックス・ウェーバー』

中公新書、2020年。ウェーバー没後100年、彼の死因はスペイン風邪だったのも、今日の状況との奇妙な符合と言うべきか。ウェーバーの「哲学的・政治的プロフィールを描く」書とのことだが、もうひとつのテーマはウェーバーの読まれ方、受容史である。良書だとは思う。 基本概念も要所で取り上げている。だけど、新書でこのタイトルというので入門書を期待する初学者には、ちょっとつらいのではないかな。「ウェーバー学」の世界をも相対化して、全体にバランス感覚に富む。概念や理論の理解も妥当なところと個人的には受けとめた。

第一章 政治家の父とユグノーの家系の母
第二章 修学時代
第三章 自己分析としてのプロテスタントティズム研究
第四章 戦争と革命
第五章 世界宗教を比較する
第六章 反動の予言
終章 マックス・ウェーバーの日本

ウェーバーは、政治的リーダーシップを強調する立場から、比例代表制を批判していたが、佐々木毅を通じて日本の小選挙区比例代表並立制支持論にも影響したとか。著者の指摘は、今日における小選挙区制の「失敗」を前提してのことだろう。

これを知らずにいたのは僕の不勉強でもあるが、「鉄の檻」は「鉄のように硬い殻」ないし「外衣」と訳した方がドイツ語として適切とのこと(228)。

「アメリカでウェーバーが読まれる一つの文脈は、道徳の喪失というストーリーになる。こういった読みは、とりわけ保守的な思想と親和的である」(234)だとか、「ウェーバーのテキストは、「前近代」を批判しようとする研究者からすると「近代的」にみえ、近代に対して批判的に対峙しようとするポストモダニストからすると「ニーチェ的」に映る」(244)など、受容の問題もあれこれ指摘する。オリエンタリズム批判との関連も簡単に触れている。

本書は目くじらを立ててウェーバーの価値を主張する本ではないが、ウェーバーを相対化することを目的とする議論をも相対化しながら、安易なウェーバー批判をやんわりと斥けているところに好感を持った。

[J0046/200528]

今野元『マックス・ヴェーバー』(岩波書店、2020年)

川村邦光『日本民俗文化学講義』

河出書房、2018年。雑誌などの媒体に発表した書き物を集めた本であるが、たしかに、著者のこれまでの仕事全体を見渡す講義として読むことができる。フーコー的とでも言いたくなる密かな反骨精神に満ちた仕事群。タイトルの「日本民俗文化学」という言い方に、著者がどれだけこだわっているかは不明であるが。

  • 1 変化する生のスタイル(生老病死の近代;“脳力”社会の発生;近代を病む—漱石と神経衰弱)
  • 2 近代を生成する民俗世界(洋食の光景 味覚の更新;家族写真のスタイル—写真構図の展開と表象;時の感覚と心性)
  • 3 伝承する心身の知と変容(身体と性欲・セクシュアリティへの眼ざし;芸能と身体技法の伝承;フォークロアへ旅する身体—「七人みさき」伝承から)
  • 4 戦争とナショナリズムの現在(富士山の近代;戦争と民俗/民俗学;敗戦と天皇フォークロアの行方;戦死者の亡霊と痛み)

個人的にとくに関心を寄せているのは戦争の問題なので、第十一章「戦争と民俗/民俗学」、第十二章「敗戦と天皇フォークロアの行方」、第十三章「戦死者の亡霊と痛み」。

印象に残ったのは、第九章「フォークロアへ旅する身体:「七人みさき」伝承から」における劇作家・秋本松代が1970年、土佐の海辺の町で出会った辻での酒宴。土着的なもの、1970年という時代、演劇という文化、この要素が重なってできた風景がまた令和のいまにぐっと来る。著者の試み自体、秋本の頭越しに「土佐の民俗」を描こうとするものではなく、彼女のまなざしともにそれを捉え歩むものなのだから、きっとこんな感想だって許されるだろう。

[J0045/200528]