Month: December 2020

大沢真理『企業中心社会を超えて』

岩波現代文庫、2020年、原著1993年。

第一章 企業中心社会の変革のために――いま必要な視角
1 生活大国五か年計画の不人気をさぐる
2 いま必要な視角はなにか

第二章 企業中心社会の労働とジェンダー
1 性別賃金格差と性別分離の指標
2 性別賃金格差と性別分離の理論
3 パートタイマー化と性別分離
4 下請制と性別分離
5 無収入労働におけるジェンダー関係

第三章 企業中心社会の再編――産業構造の変動とジェンダー関係
1 二つの女子労働論から
2 産業別雇用構造の再編と性別・年齢階層
3 職業構造の変化と性別・年齢階層
4 雇用の女性化に見る日本の特徴


第四章 企業中心社会の総仕上げ――「日本型福祉社会」政策の展開1 社会保障制度の「基本的骨格」をめぐって
2 企業中心社会と社会保障制度の形成
3 一九八〇年代の社会保障制度「再構築」――企業中心社会の総仕上げ
4 結論――会社人間にさようならするために

付論 社会政策の比較ジェンダー分析とアジア
なにを明らかにし、どう歩んだか――岩波現代文庫あとがきにかえて

バブル経済最盛のころに、日本の企業中心社会や「日本型福祉社会」政策の盲点――すなわちジェンダー的歪み――を、経済的・制度的分析を駆使しながら指摘する。『厚生白書』昭和61年版の認識に読み取っている「家族だのみ」「男性本位」「大企業本位」は、日本社会全体の特徴であり、しかも2020年現在も根本的には変化していない。

バブル経済当時は、あるいはこうした指摘はたんなる女性という立場からの異議申し立てに受けとめられたかもしれないが、今となってみれば、それはたんなる平等・不平等という社会正義の問題にとどまらず、実際に極端な少子化として日本の経済的構造そのものの弱点であったことが証明されている。著者が本書の出発点としてこだわっている1987年札幌シングルマザー餓死事件は、いまならもっとリアルに感じられるだろう出来事だ。

1980年代後半は、日本のGDPは世界2位であり、そのうちアメリカを抜いて1位になるという予測もあったらしい(278)。無理を利かせて先進国に肩を並べ、そのうち疲弊して持たなくなる・・・・・・。敗戦と同じパターン。

著者が抉り出す「家族だのみ」「男性本位」「大企業本位」という日本社会の特徴は、戦後を通じて共通しているが、このような唯一(?)のただし書きもある。「ただし、高度成長期の政府が、実績はともかく理念としては「福祉国家」を掲げ、西欧先進福祉国家に追いつくことをとなえていた点を、軽視してはならない。この点がつぎの石油危機以降の時期とは対照的なのである」(207)。こういった社会的努力の基盤についても、考えてみたいところだ。

本当言うと、まだ斜め読みで、書評をする段階でもないのだが、この種のテーマについては、ずっと気になっていることがある。それは、労働にせよ、家事にせよ、あるいはケアにせよ、その労苦としての側面と、楽しみとしての側面と、両方を適切に認識しなくてはならないのではないかということだ。ジェンダーギャップの制度的・政治的批判としては、労働・家事・ケアは、賃金があてがわれるべき労苦として扱われるし、たしかにまずはそうしなければならない。また、労働・家事・ケアには労苦には尽きない面があるという指摘は、容易に搾取に悪用されるうるのも確かだ。それでもなお、現実生活の動態を直視し分析しようとするならば、その両面のはざまで人々が生きていることも確かではないかと思う。

また、著者は日本社会の分析のすえに、「日本人の家庭生活は「淋しい」と形容されるほかはない。「会社人間」と「内助の妻」の共生は淋しいのである」と述べ、そうして「守るべき「生活」の実際はいったいどこにあるのだろうか」と問いかける(119)。すごく分かる。すごく分かるが、もはやそうした「生活の実際」がどんなものであるかさえ見当が付かなくなり、それでもそれなりに生きている現実もある。長年こうした社会構造が維持される根本的理由のひとつもそこにあり、テイラーの言う社会的想像になぞらえていえば、それはいわば生活的想像の問題である。私たちはそうした「人間的生活」――はしがきで書いているように、筆者がドイツのライフスタイルに感じたような――の存在や入手可能性を十分に信じられていない。こうした現実を肯定するつもりはまったくないが、これもまた現実なのだ。

[J0109/201209]

木村忠正『デジタルネイティブの時代』

平凡社新書、2012年。ニューメディアになじんだ新世代を扱った本はすぐに古くなってしまうし、また印象論以上のものではないものが多い。この本が扱っている時代もたしかにもう一昔前になってしまったが、しかしこの一冊は今なお読む価値がある。調査の方法論のところは読み飛ばしたが、全体にしっかりした考察で、考えるタネになる。デジタルネイティブ論批判とかにも言及していて(45-48)、少なくとも『デジタルネイティブが世界を変える』なんかよりはぜんぜんいい。

 序章 アラブの春はソーシャルメディア革命だったのか
 第一章 デジタルネイティブへのアプローチ
 第二章 デジタルネイティブの形成と動態
 第三章 社会的コミュニケーション空間の構造と変容
 第四章 不確実なものを避ける日本社会
 終章 「安心志向のジレンマ」を克服するネットワーク社会へ

ひとつ勉強になるのは、時代背景の整理で、情報ネットワークの4つの波(13-)、日・米ともに画期としての1995年(88-89)、世代別経験の整理(96)など。あるいは、デジタルネイティブ第1世代から第4世代の特徴(137)。

2011~12年の東京都在住者と長野県在住者の比較調査から、地方の方が流行の影響を凝縮した形で受けているという。「本調査に関する限り、情報ネットワーク行動において地域差はない。それは東京一極支配ということでもあり、東京圏の磁場がいかに強力かということでもあるが、ネットがそれを促進することは否めない」(102)。

2002年出版した結果らしいが、大学生のオンラインパーソナルコミュニケーションについて日韓フィンランドを比較すると、日本の大学生は(a) 携帯電話はメールが中心で、音声通話利用は限定的、(b) チャット、インスタントメッセンジャーなどの同期的ツールの利用が相対的に低い、(c) 自ら情報発信が限定されていて、日記の割合が高い、(d) 自己開示が少ない、という特徴がみられたという。

この特徴について「対人距離感と空気を読む圧力をレベルを作りだす人々の相互作用により形成されてきた」として行っている著者の分析が秀逸。まず、音声通話利用の限定性は「空気の読みにくさ」に由来するという。また、ケータイメールというメディアもまた次第に「空気を読む圧力」を強め、日記への志向を促したという。

「こうしたウェブ日記は、ケータイメールよりもさらに、心理的距離が遠い対人関係の表現であり、日侵襲的で迂遠的なコミュニケーションと捉えることができる。つまり、ウェブ日記は、不特定の他者に自己の存在を知ってもらい、生活や心情を伝えるためではない。それは、親しい友人・知人はもとより、電子メールを頻繁に送るほど親しくはない既知の知り合いを潜在的読者として(既知である以上、自己を特定する情報を開示する必要はない)、近況を伝え、多様化する社会的現実において、一定の間主観性(社会的現実に関する認識の共有にもとづく主観性)を創り出すコミュニケーション手段なのである」(168)

「オンラインコミュニケーションと対人関係に関する協力者たちの振る舞いと感情に立ち入ってみると、対人距離感を構成し、その距離感の調整に大きな役割を果たす要素として、「親密さ」「親しさ」とともに、繰り返し現れてくるのが「テンション(の共有)」である」(183)。「相手のテンションが同じ程度でないと迷惑だと感じるのではないか」という「空気を読む圧力」と、「テンションの共有」を求める欲求とのアンビバレントな態度も現れているという(185)。

そこで現れたツイッター。「それは、まず、従来のオンラインコミュニケーション空間の特徴である「場」、会話の「キャッチボール」というメタファーを解体する。そして、この解体により、親密さと結びついた「空気を読む」圧力を回避し、「絡む」「テンションの共有(シンクロ)」によるつながりを生み出しているのである」(205)。たとえば、ツイッターは返事も要らない。

また、著者は調査結果として、日本社会における強いインターネットへの不安感、低い社会的信頼感、高い匿名性志向といったことを指摘して、情報ネットワークの力を活かす障害になる可能性を指摘する。このことは、山岸俊男さんの有名な指摘と軌を一にするし、また実際2020年現在でも強く感じられる傾向である。

ごく最近、若者がLine離れを起こしはじめて、InstagramのDMでやりとりするようになってきたという話を聞いたが、たしかにLineはかなり「空気を読む圧力」が強いツールではありそうだ(もっとも、本書著者の見方のポイントは、特定のツール自体が空気を読ませる圧力を備えているのではなく、普及に従って次第に醸成されたりなど、変化するものだというところである。ここアンダーライン引いてもいいくらい)。Facebook は匿名性の低さがネックというのは前々から指摘のあることで、中年層でもFacebook はビジネスユースに特化しつつある。一方、Twitterは、若者のあいだでも盛んに利用されているらしい。

本書の分析視角は、出版後2012年以降、今日にいたる日本社会に独特のSNSの動態をおそらく十分に説明できるだろうと思う。だからこの本は、日本人論の一種でもあるのだな。

[J0108/201205]

木内堯央『最澄と天台教団』

講談社学術文庫、2002年、原著1978年。

総論 最澄とその時代/天台宗の展開
1 最澄の出家
2 最澄の比叡入山
3 最澄の入唐求法
4 最澄と天台開宗
5 天台教団の充実
6 天台教団の貴族化と浄土教
7 中世・近世の天台宗
天台宗研究の状況
解説(木内堯大)

わかりやすく最澄の生涯を、それから天台教団のそれからの歴史を描く。自身天台宗の僧侶でもあった著者が強調する点のひとつは、最澄が比叡山に入ったのは、従来の諸宗教を批判したからでも、それと絶縁したからでもなかったこと。諸宗兼学の伝統を破った宗派の確立は、良忍による融通念仏宗が最初で、それから法然ということのようだ。筆者は最澄の仏道修行の「周到さと合理性」を語るが、ここに描かれている最澄の歩みは、一大プロジェクトの構築といった体である。筆者はまた、従来批判されがちであった、国家護持・現世利益のための仏教というあり方の当時における真剣さを語る。

また、改めて日本仏教の母体としての天台宗の役割がよく分かる。最澄による法華経の重視。『摩訶止観』の紹介。円仁による五会念仏・念仏三昧すなわち「山の念仏」。そして「おのおの宗を立て、宗を別っていく根底には、最澄以来つちかわれた、一乗仏教の思想が横たわっている。たとえ一声の念仏、一声の唱題、座禅の一法をもって、仏教的な救済悟入が成立するとすれば、生きとし生けるものに成仏を約束した、一乗思想をおいてなにが基盤となりえようか」(164)。

有名な話なのかもわからないが、最澄が桓武天皇から入唐の勅許をもらうのに、智顗の師僧、慧思の生まれ変わり伝説が関係していたというエピソードもおもしろい。「『叡山大師伝』をみると、和気弘世による高雄山寺での天台法門の講演会を契機にして、天皇は、天台法門が他宗にすぐれ、その祖師である南岳慧思が、日本の聖徳太子として生まれかわったといういい伝えに、ことのほか、こころを動かされたようである」(69)。なお、最澄の入唐が804年、聖徳太子の在世が593~622年、慧思の在世が515~577年ということらしい。

もう一点、特筆すべきはご子息による文庫版あとがきで、父親の思い出をつらつらと書き連ね、なんてものではなく、10ページ以上にわたって、原著が出版された1978年以降今日までに発表された関連の研究書を列挙したリストとなっている。

[J0107/201202]