Month: July 2021

南博・稲場雅紀『SDGs』

岩波新書、2020年。

第1章 SDGsとは何か
第2章 国連でのSDGs交渉
第3章 日本のSDGs
第4章 「地球一個分」の経済社会へ
第5章 2030年までの「行動の10年」

南さんは、日本政府の首席交渉官として SDGs 交渉を担当した方とのことで、各国の利害関係のなかでは話が進められた、SDGs の成立過程が詳しく述べられている。

SDGs、大事だろうとおもうけど、今ひとつテンションが上がらないのは、新しい革命的なヴィジョンを打ちだすというより、これまでに生まれた歪みをなんとか、それもそのシステム内で修正していこうという種類のものだからかな。これは SDGs が悪いというより、近代資本主義システムの広がりにおいて、そういう「時代」なんだってことだろう。過激である必要はなくとも、根気のいる時代ではある。
[J0174/210712]

『妙好人 因幡の源左』

柳宗悦編、衣笠一省改訂増補、百華園、1960年、改訂版2005年。

一 源左の言行
一 源左の法語
一 源左への思出
一 源左の一生
一 付録・賞状・家系・文献・其の他

編者がなるべく手を加えずに、関わった人からの聞き書き集としてまとめてあるのがありがたい。内容の重複を厭わずに複数の証言を掲載してくれている点も。

字面だけ辿ったら、今ふつうの価値観からしたら卑屈にもみえるだろう。繰り返される「おらより悪い者はない」ということば。柳宗悦の文章「源左の一生」から引けば、「自分こそこの世で最も悪い者だといふ」自覚である。

もちろん、これらの言葉が命をもつのは源左の人格のもとにそれが体現されているからだろうけども、この言行録を読んでいて感じるのは、それと同時に鳥取の風土や、源左を取りかこむ人々もまた、この宗教的生命の源になっているということ。源左を敬う人々や、ときに源左の言葉を必死に求める人々の心の純真さ。いまそれが、どこにあるだろうか。しかし幸い、鳥取という地理について言えば、源左が生きた頃の面影を今も感じとることができる。土地の時代的連続性って、生きた歴史を保つのにぜったいに大事だろうと思う。

「こんつあんは、まんだ、この世の親たあ別れてをらんで、そがに早やにやあ親心はもらへんわいの、そろそろにやわかるわいのう」。「親がなあなつてみりや世間は狭いし、淋しいやら悲しいやらで、おらの心はようにとぼけてしまつてやあ」。父親の死が気づきを得る契機になったことも、そしてそれを遂に得たのが、動物である牛との対話だったことも示唆的だ。親と別れると世間は狭いとな。

信仰の境地の話から離れて、通俗道徳論から言えば、まさに典型という。つねに後生に思いを寄せながら、とにかく仕事にいそしむ。役場が税の滞納に困っていたら、みなが納税をするように助ける。周囲の人間関係と広い天地から世界ができていて、組織や制度としての「社会」というものはない。昭和5年まで生きた源左は、戦争のことをどう捉えたのだろうか。

芹沢銈介(おそらく)による挿画がなんとも美しい。美術書でもない言行録であれば――源左という人物自体の話でもまたなくて――、どうも僕には美しすぎるようだ。[もう一度確かめてみたら、挿画の版画は芹沢でなくて鈴木繁男のようだ。]

[J0173/210710]

Nスペ取材班『老衰死』

NHKスペシャル取材班『老衰死』講談社、2016年。2015年に放映されたNHKスペシャルの書籍化、いまさらながらのチェックだが、なるほど、勉強になった。

プロローグ 「穏やかな死」の真実を求めて 
第1章 石飛医師の看取りの現場から 
第2章 ある入居者の最期の日々に立ち会って
第3章 老衰死とは何か 知られざるメカニズム 
第4章 自力で食べて老衰死か、胃瘻で延命か 
第5章 老衰死の共通項「食べなくなる」メカニズム
第6章 人が老い衰えていく秘密の解明
第7章 老衰死を選んだ家族の悩みとは何か
第8章 “死ぬときは苦しくないのか” 最大の謎に挑む
第9章 家族が老衰死で受け取ったもの
第10章 欧米で広まる「クオリティ・オブ・デス」の実践法
エピローグ  生と死のリレーが安心を生む

いままで、きちんと理解・研究されてこなかったという死因としての「老衰」。

老衰死自体を認める医師と認めない医師がいる。「老衰死というとらえ方に対して否定的な姿勢を示したのは、死因を特定する病理医など基礎医学に携わる医師が多く、また大規模な急性期病院に勤める医師たちにもその傾向が強かった」(82)。なるほどだね。ちゃんとアンケート調査しかもかなり大規模な調査をしているのもありがたくて、「死亡診断時に死因を老衰としたことがあるか」で「ない」は45%とのこと。アンケートの回答の中に、「死因を老衰にすると、死因の究明が不徹底だとして、家族から訴訟を起こされるリスクがある」というものがあったというのも興味深く、納得感がある。

やはりこの書全体に胃ろうや延命治療に反対のトーンだが、調査中「認知症末期の患者さんに人工的水分・栄養補給法の差し控え・または撤退を経験したことがあるか」という質問に対して「ある」が 49%もあったことも重要。一般に、病院ではひたすら延命治療を続けているというイメージがあるが、実際にもっと柔軟に援用されている。もちろん、49%を低いと解釈することもできるし、あるいはその柔軟さに「不適切な撤退」の混入を疑うこともできるだろう。

本書で紹介されている身体機能低下の三種類にも、なるほど感。

胃ろうや給水の問題も含め、「老衰による死」を迎えるには、家族の関係が重要というのはまちがいないところ。一方で、僕としては老衰死・平穏死の強調しすぎには気をつけたい。それはまさに生ききった末に到達するものであるはずで、他者の死、それから自分の死をコントロールしたいという欲求のもとでの老衰死・平穏死となると、ちょっと話がちがうと思うのだ。

それはそれとして、とても参考になる本で、いわゆる専門的な医学的研究はもちろん必要だが、「これくらいの実証研究」も大事だなと。

[J0172/210710]