Month: April 2023

ハイネ『流刑の神々/精霊物語』

小沢俊夫訳、岩波文庫、1980年。『精霊物語』の発表は1835年から1855年。柳田國男に影響を与えたことで有名な『諸神流竄記』こと『流刑の神々』の発表は1853年。

柳田國男がまさにそうだが、いまこの時代に読むと、たんなる伝承集でもなく、かといっていわゆる研究書ではなく、書物としてのスタイル自体にもふしぎな魅力がある。いつものように「勉強のために」ぺらぺらと読み進めていったが、『流刑の神々』中、ディオニュソスの祭りの伝説の結末は、なかなか衝撃的だった。荒木飛呂彦的岸辺露伴的テイストの、濃ゆすぎる原液。

柳田との関連に触れた訳者解説では、古代の神々の衰頽というモチーフはヨーロッパと日本とで共通している一方で、日本にはより色濃く古代信仰が残っているという理解をしているが、この比較にはもう一点を付け加えておかねばならない。それは、キリスト教の神は圧倒的な崇高さを備えた存在とされるだけに、その反動で、伝承に残る「古代異教の神々」はことさらに淫らで、滑稽で、猥雑なものと描かれがちだということである。日本の場合は、たとえ教義上中心に位置する仏神から外れた神や精霊であっても、その種の脚色や誇張を被ってきた度合いは低い。

そしてまたこのことは、著者のハインリヒ・ハイネの視点に強く影響しているように思われる。たしかにハイネは、共感や郷愁をもってギリシアやゲルマンの古代神の流竄伝を描いているにちがいないが、そこには、誇張された「異教の神々」としての性格に感じる魅力が混入しているようにも思われる。つまり、たとえば奇怪に描かれた魔女は、そうした表象として別種の魅力を持つようになるものだし、いったん「淫らで、滑稽で、猥雑な」ものとして古代神の末路が描かれると、それはそれで暗くグロテスクな魅力を持つようにもなる。

キリスト教以前の古代神やその伝承はおそらく、もっと健康的に「淫ら」であり、もっと素朴に「猥雑」で「残酷」であったと思うのだが、ハイネにはその世界観を捉え損ねているところがある。その世界により直截に迫っているのは、彼に先立つグリム兄弟の方である。

そしてそういうものとして、ハイネのこの書には、グリムの仕事とも異なった陰影がある。内容を忘れかけた頃に、どこか明るくはない旅行先に携えていって、ゆるゆる再読するなんてのも良さそうだ。

[J0355/230416]

神崎宣武『「湿気」の日本文化』

日本経済新聞社、1992年。

プロローグ
 「むし暑い」日本列島
 蔓延している皮膚病
 未発達な暖房器具
 生活文化の日本的特質
1 住まい―家の造りは「夏」を旨とすべし
 木と草と紙の家
 快適な住まい空間づくり
 切妻・寄棟・入母屋の三形式
 囲炉裏の機能
 なぜオンドルは定着しなかったか
 「京間」と「江戸間」
 「畳干し」の慣習
 洋館も和風建築
 通気性に富む障子や襖
 「仲間はずれ」を嫌う日本人
 プライバシーを守りにくい住居
2 装い―「裸」同然も無作法にあらず
 長着と短衣
 きものは平安時代に登場
 仕事記にみる庶民の知恵
 暑さ寒さをいかに防ぐか
 無類の風呂好き薬好き
 男女混浴はあたりまえ
 防虫・防湿効果の高い和箪笥
 「きもの礼法」の発達
 通気性のよい草鞋と足袋
 下駄の効用
3 食べもの―「古漬け」の味は忘れがたし
 日本人の「ご飯好き」
 「雑食」こそが主食
 「粒食文化圏」の特異性
 副食は「一汁一菜」
 白味噌と赤味噌の違い
 伝統の味「魚醤油」
 保存食品としてのなれずし
 酒づくりで重要な「火入れ」
 数多く発達した発酵食品
エピローグ
 風土論の展開
 日本文化の東西
 「照葉樹林文化」論の登場
 「湿気」の日本文化論

民俗学の立場からした、エッセイ風の日本文化論。著者の真骨頂は、ご自身による調査に基づいた諸研究だけれども、こちらは気楽に読める一冊。湿気や蒸し暑さがキーワードになっていて、全体に西南日本の状況を背景にしているようにも感じる。日本文化を語る上で、西と東の問題はやはり大きい。

[J0354/230415]

吹浦忠正『捕虜たちの日露戦争』

NHKブックス、2005年。

第1部 日露戦争と日本人捕虜
1 メドヴェージ村へ
2 明治論壇の一大議論
3 捕虜になった連隊長
4 体験記で読む捕虜生活
5 シベリア抑留とは雲泥の差
6 今に残る写真帖『配所廼月』
7 メドヴェージ村今昔記
8 釈放と帰還後の明暗
9 両国はなぜ厚遇したか
10 「戦陣訓」の萌芽
第2部 日露戦争とロシア人捕虜
1 七万人強の捕虜が日本へ
2 日本は捕虜を厚遇
3 厚遇のかげに
4 サハリンで、ロシア軍捕虜の殺害事件

日本軍や日本兵といったら一定のイメージがあるが、太平洋戦争時と日露戦争時では相当に違った行動や価値があったということを、ロシア兵の捕虜の扱いについて明らかにした労作。ごく一部での虐殺・虐待がなかったわけではないにせよ、日露戦争時は概して捕虜に対して厚遇がなされていたことを指摘。「第一次世界大戦から昭和初期までのほんの十五年足らずで、日本人の捕虜観は極端なまでにエキセントリックになっていった」(150)。

なるほどと思ったのは、敵軍の捕虜の扱いは、自軍兵士が投降することに関する価値観と裏表になっている様子。「降伏は恥」という観念が広がれば、捕虜の扱いも非人道的なものになりやすい。日露戦争時でも、捕虜への「寛容」が行きすぎると、日本兵が投降しやすくなって悪影響を及ぼすという議論はあったらしい。

おやっと思ったひとつの箇所。式場隆三郎が、二次大戦直後、身内のひとが捕虜になったことを聞いたことをきっかけに『俘虜の心理』という著書を著したという話。式場隆三郎は本当、いろんなところに出てくるなあ。

あれこれ文献も紹介されているので、メモ&デジタルコレクションのリンクを。下記にピックアップしたもの以外もまだまだ掲載されている。

陸軍大臣官房編『明治三十七八年戦役俘虜取扱顛末』(1907年)
別ヴァージョン
陸軍省編『軍事機密日露明治三十七八年戦役統計』(改題して『日露戦争統計集』)
銜翠居士編『配所廼月』(1907年):写真集
長谷川伸『日本捕虜志』(1955年)
棟田博『兵隊百年』(1968年)
才神時雄『松山収容所』(1969年)
才神時雄『ロシア人の捕虜』(1973年)
才神時雄『メドヴェージ村の日本人墓標』(1983年)
櫻井忠温『肉弾』(1906年):当時のベストセラーとなった戦争文学として。この著者にはほかにも、いろいろ参考になりそうな著書がある。
水野廣徳『此一戦』(1911年):写真入り
式場隆三郎『俘虜の心理』(1946年)

本ブログ記事中、関係するエントリーとしては、日清・日露戦争下の社会状況を描いた、大濱徹也『明治の墓標』

[J0353/230406]