Month: December 2025

金龍静『蓮如』

吉川弘文館、歴史文化ライブラリー、1997年。

蓮如論の課題―プロローグ
蓮如の前半生
一向宗の誕生
御文の地平
加賀の一向一揆
蓮如の家とその一族
教団組織の実態と原理
蓮如の最後―エピローグ

ちゃんと参考文献は示してほしかったけど、蓮如の重要性は伝わる。そこここに、宗教思想と社会組織の相互関連に着眼した、著者の宗教社会学的視点が光っている。親鸞をみただけではわからない、浄土真宗の動態。そもそも浄土真宗という呼称が、蓮如に由来するという。

「蓮如という人物は、宗派内の人々が、たんに「中興上人」とみなす以上に、重要な意味をもった人物である。日本仏教史の千数百年の流れのなかで、門流形態から宗派形態への転換をうながす、その出発点をなしたのが蓮如であったからである」(197-198)。宗祖・経典の一元化。
「現在の真宗各派は、ともに、「親鸞という人を唯一の祖師とする真宗に属する一派なのだ」、という共通帰属意識をもっている。でもそれは、鎌倉初期からあった普遍的意識ではなく、おそらく近世末か近代初期の比較的新しい歴史意識というべきであろう。他の仏教集団も、結局このころまでには、特定の宗祖・特定の本山のもとに結集し、「宗派化」を完了させる」(198)。
 このラインでは、江戸幕府が求めた本寺-末寺の支配体制も、浄土真宗のそれ が原型になったと考えてよいか。
 もう少し具体的な記述として、「相伝物の独占を批判し、『御文』と『正信偈和讃』のみを教団の聖教とする、これが吉崎時代以後の蓮如の意志であった。・・・・・・善知識=如来・菩薩観の全面的な復活を押しとどめた最大の抑止力は、聖教の限定化にあったと推測される」(90)。

 蓮如が生きたのは、1415年から1499年。応仁の乱が1467~77。本書では、最初の一向一揆を1474年の文明六年一揆としていて、1570~80年石山合戦や1574~75越前一向一揆まで100年余続くと。
 天文法華の乱は1536年で、ザビエルによるキリスト教伝来が1549年だから、蓮如はその少し前。なにかというと、この時代、つまり15世紀後半から16世紀にかけてのこの宗教的な、そして党派的な熱狂はなんだったのかという歴史的な問い。島原天草まで加えるとすれば、17世紀の初頭までそう。蓮如は――彼自身がけしかけたとかいう意味ではなく――その運動の先駆けに位置する人物としてもよさそうだ。
[J0624/251209]

宮下忠吉『石棺仏』

木耳社、1980年。
中世の石造物は地方色に富んでいて、関東の板碑をはじめ、伯耆の赤碕塔、国東半島の国東塔、薩摩塔などがあるが、播磨の石棺仏も魅力たっぷり。石棺仏は古墳の石棺を再利用してつくられた仏像であるが、本書によれば、河内に3、大和に4、南山城に1、近江に2、丹波に1つがある一方、播磨だけで68あるそうである。この分布の偏りがまず不思議。本書は石棺は単なる材料と捉えているが、石棺それ自体が特別な力を持つものとみなされていたという説もある。

1.石棺仏とは
2.石棺仏と板碑
3.石棺について
4.石棺仏史(仏教芸術の立場から)
5.アミダ浄土教石仏の展開
6.石位寺の三尊石仏

著者は兵庫県の高校教員だったようで、本書にはコツコツと集めた記録とともに、石棺仏への思い入れがこめられている。

>国立国会図書館デジタルコレクション(送信サービスで閲覧可)
 https://dl.ndl.go.jp/pid/12709084

関連の個人サイト、充実した内容。
>「石仏紀行」http://www.isinohotoke.net/

[J0623/251209]

茨木のり子『ハングルへの旅』

朝日文庫、新装版、2023年。原書1986年。

扶余の雀
1 はじまりが半分だ
2 日本語とハングルの間
3 台所で匙を受けとった
4 旅の記憶
5 こちら側とむこう側

いろいろあるけど、なんだかんだ、すっかりなじみ深い隣国となった韓国。ほんの50年前はひどく遠い世界で、韓国語を学ぶ人などめずらしかった時代。東京で百人程度という推計もあったらしい。そんな当時、筆者は50歳になってから本格的に韓国語を学んだようだが、すっかり韓国の文化と人びとに恋におちたという感じだ。

韓国文化を愛して、柳宗悦に韓国の民芸を紹介した人物である浅川巧や韓国にあるその墓所の話も印象に残った。

[J0622/251205]