Month: December 2025

小野泰博『谷口雅春とその時代』

法蔵館文庫、2025年、原著1995年。もともと未完成の遺稿で、谷口が『生長の家』誌を刊行する前半生のところで終わっている。

文庫版まえがき(島薗 進)
第一章 谷口正治
谷神死せず/家系への誇り/谷口正治/殺生/投書少年/文学乞食/耽美への道/カチューシャかわいや/罪な「言葉の芸術」
第二章 世界立替説
紡績工場にて/心霊治療を求めて/世界立替説/霊動にふれる/鎮魂帰神/本田霊学/変態心理的解釈/霊縛と霊眼/綾部の金神さま/キリスト再臨論
第三章 蛇と蛙
紫陽花の君/亀岡にて/美しい人/医書あさり/蛇と蛙/下座の人・西田天香との出会い/武者小路実篤批判/一輪思想をめぐって/大本事件(第一次)
第四章 神を審く
神を審く/幽祖西田天香/「救いは創造主から来るか」/賀川豊彦の宇宙悪/ニーチェとトルストイに学ぶ/人格価値と生命価値/火事と花見/守銭奴/百姓愛道場/創造主はあるか/谷口式自然哲学/真如と無明/菜食主義
第五章 雪溶け
高岡から神戸へ/聖フランシスに倣いて/善中の悪/近江商人西田天香に学ぶ(宣光社的はたらき)/雪溶け/汝が性のつたなきを泣け/信仰革命──心霊主義/浅野和三郎との出会い/心霊研究的時代背景/太霊道など
第六章 生命讃歌
ニューソートとの出会い/ホルムスの思想/無相の神/神想観における観普賢菩薩行法/就職/生命讃歌/天理教祖と大本教祖について/求道者谷口雅春の誕生/世界救済の大導師
第七章 『生長の家』創刊
『生長の家』創刊/精神分析の紹介/生命教としての生長の家/乳母車に雑誌を積んで/生長の家の守護神/如意宝珠/声字即実相/経済倫埋
第八章 甘露の法雨
呪詛の否定/思考万能の思想/神想観の公開/遠隔指導/『甘露の法雨』/『甘露の法雨』と「罪」
解説・あとがき(島薗進)

谷口雅春(1893-1985)の大正から昭和にかけての精神遍歴を描いて、彼が影響を受けた人物・関わりをもった人物の群像は、あたかも当時の宗教界・思想界の一パノラマのような。ウィリアム・ジェイムズやオスカー・ワイルド、トルストイ、ロマン・ローラン、ニーチェ、エマーソン、ニューソートのホルムス。関係のあったのは、大本関係の人物をはじめ、一燈園の西田天香、倉田百三、賀川豊彦、武者小路実篤など。

[J0621/251204]

西谷勝也『ふるさとの原像』

小栗栖健治・久下正史編、副題「兵庫の民俗写真集」、のじぎく文庫、神戸新聞総合出版センター、2012年。

昭和30~40年代の民俗写真集。これはたまらん。兵庫県だけでも摂津・播磨・但馬・丹波・淡路とあるわけで、写真集もこれくらいの範囲のがいい。一枚一枚、写真としても資料としても質が高い。

1 民俗芸能:鬼追い、追儺式
2 民俗芸能:四季の郷土芸能
3 年中行事とまつり:共同体・ムラの祭祀
4 年中行事とまつり:イエの祭祀
5 暮らし・生業
6 景観

著者の西谷勝也(1906~1969)は、柳田國男の薫陶を受けて、高校教諭を務めながらフィールドワークを続けた人物で、主著に『季節の神々』がある。

[J0620/251203]

花房尚作『田舎の思考を知らずして、地方を語ることなかれ』

副題「過疎地域から考える日本の未来」、光文社新書、2025年。

序章 田舎の視座
第一章 田舎の視点
第二章 田舎の現在
第三章 田舎の過去
第四章 田舎の構造
第五章 田舎の調査
第六章 田舎の視野
第七章 田舎の視線
第八章 田舎の役割
結論 田舎の思考

個々の論点についてはいろいろ疑問もあるし、あんまり「田舎の思考」を実体化するのはどうかと思う。それでも、都会的なそれとは異なる思考パターン・行動パターンとその根拠を理解すべき、という主張はそのとおり。

「過疎地域対策の根本的な誤りは、過疎地域の衰退を知って、「都市部と同等にしよう」と考えたことだ。・・・・・・もうそろそろ、成長と発展を嫌う地域のあり方を認めてはどうだろう。様々な地域があってもよく、様々な地域があったほうがよいと考えてはどうだろう。」(126-127)

高齢者がほかにやることもないから所属組織での役割を保とうとするし、若者も地域のことは高齢者に任せておけばよいと考える構造。都会とちがって、過疎地の高齢者はほかにやることがない。それもそう。

「関係人口という言葉は移住を決断できない都市部の住民にとって都合がよい。その裏には、田舎のことを考えているという、免罪符としての役割が透けて見える。その根底に都心のいやらしさや、文化人のいやらしさを感じる。過疎地域で関係人口という言葉を使うのは、観光促進事業やふるさと納税の利害関係者くらいだ」(223-224)。 

 なかなか辛辣!

「過疎地域では若者であっても強い保守性と閉鎖性を持つ。親や祖父母が暮らし易いよう変化を抑制する。それは若者たちの優しさでもある。その若者に対して「地域の未来のために優しさを捨てろ」と言うのは難しい。」(240)

「私が過疎地域で暮らし始めたのは15年前だ。その間に大きな時代的変化が三つあった」(292-)。Amazonによる物流革命、格安航空会社の登場、コロナ禍によるオンラインの浸透。「これら三つの時代的変化は過疎地域の利便性を劇的に変えた。今では過疎地域での暮らしも悪くないと考えている」(293)。

 さて、やはり本書自体が「田舎との出会い」によって書かれている。そういう立場のとりかたはいいとして、「自分は田舎の思考の人間だ」あるいは「自分は(現在進行形で)都心の思考の人間だ」という自覚を持てるものなのかどうか。
 また、例のないものねだりの話になるが、「田舎の思考」の「理由」はいろいろ書いてくれているとして、その魅力や凄味を知ってもらうのでなければ、「成長と発展を嫌う地域のあり方を認めてはどうだろう」とはならないのでは。地域の若者たちは、たんに高齢者に気を遣っているだけでなく、またたんなる知識や経験だけでもなく、その生き方に凄味を感じている部分もあるのでは。筆者が批判している「地域振興」のアプローチとはちがい、黙々と「木を植える男」的な生き方をしている人はやはりそれなりの数がいて、その凄味を都会の人にも伝えることが大切なようにも思う。

[J0619/251203]