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岩本通弥編『覚悟と生き方』

ちくま新書、1999年。当時における民俗学の新機軸としてとてもよい論集だが、今読むと、現在との状況の違いがまた興味ぶかい。当時はそうだったなあという感慨が湧く。

プロローグ 「神話」の崩壊と「伝統」の回帰のなかで(岩本通弥)

 第一部 掟と噂
第一章 会社の掟―現代サラリーマン事情(中牧弘充)
コラム1 会議の決め方―全会一致と多数決(宇田哲雄)
コラム2 中元は伝統か(福田アジオ)
第二章 うわさ話と共同体(山田厳子)
コラム3 規則と若者たち(中込睦子)

 第二部 女の幸福
第三章 結婚と相手(八木透)
コラム4 新歓コンパとイニシエーション(高田公理)
第四章 現代女性とライフスタイルの選択―主婦とワーキングウーマン(安井眞奈美)
コラム5 流行としての水子供養(森栗茂一)

 第三部 霊魂の行方
第五章 「死に場所」と覚悟(岩本通弥)
コラム6 祖先祭祀から葬送の自由へ(森謙二)

論集全体として、当時の日本社会はまだまだ均一な共同体という雰囲気を保っていたのだなと思う。団塊の世代がまだ若い頃というか。

第1章の会社の文化の話。第2章、まだまだ出始めのインターネットの状況。「出所がわからず、事実関係の確かめようのない電子ネットワークの「情報」は広まらない」!(79)。第3章の結婚や、第5章の「死に場所」の話は、比較対象として韓国が出てくるけれども、韓国自体の状況も、韓国との力関係も隔世の感。第4章の現代女性のライフスタイルの話、当時の今どきを語るのに女性雑誌を材料にしているけど、もう雑誌というメディアがね。

こうやって、今と比較して読むと発見もありそうだ。

「第五章「死に場所」と覚悟」(岩本通弥)は、別エントリーで記事を書いておきたい。

[J0560/250212]

名郷直樹『「健康第一」は間違っている』

筑摩選書、2014年。『いずれくる死にそなえない』(2021年)から、遡って読む。『いずれくる死にそなえない』では、寝たきり欲望支援といった「幸せ」そのものの理解に踏み込んでいたが、本書では幸福に対する医療の貢献の部分により焦点が絞られているので、議論がよりシンプルでわかりやすくはある。『いずれくる』をさらに理解するためにも、二書をあわせて読みたい。

第1部 長寿国日本の現実
1 世界一の長寿国の現実
2 健康、寿命、幸福
3 健康、寿命、幸福を詳しく把握する方法
第2部 予防・治療のウソ
4 高血圧と脳卒中
5 がん検診は有効か―乳がん検診を例に
6 認知症早期発見の光と影
7 ワクチン接種がなかなか進まない日本
第3部 医療の役割
8 医療はどうあるべきか
9 解決のための処方箋
終章 どこへ向かうべきか

なるほどという観点がいくつも含まれているが、そのうちのひとつ、欲望のコントロールの必要性を社会の時代的発展との関係から捉えて、いまが過渡期とみる観点。

「太古、人は食欲も健康欲も十分には満たされないが、たまには満たされることもあった。生まれて間もなく死んでしまう人が多数を占め、生存欲があるにもかかわらず、死ぬことを受けいれていた。その時代は、食欲もまたコントロールの対象だった。食べ物が足りないため、食欲をコントロールしなければならなかったのだ。食欲は常に満たされず、大部分の人は早く死んでしまう。食べたい、生きたいという欲望が満たされない絶望の時代である。
「やがて農耕が始まり食欲は満たされるようになっていく。しかし医療はまだ呪術の段階で、「生きたい」という欲望がかなえられるのはまだごく少数にすぎない。食欲を満たす希望の時代であるが、生存欲についてはまだ絶望が続く。
「そして、医学の発展により、生存欲も満たされる時代が来る。ところが食欲については、その後希望の時代が過ぎ、供給過剰になって、むしろコントロールする必要が出てきた」(248)。
「それでは、健康欲はどうか。健康欲も同じである。ただ健康欲はまだ希望の局面にある。そうだとすれば、サイクルに沿って、当然この先は、行き過ぎた健康欲をコントロールしなければいけない局面が訪れる。
「現代とはそういう時期なのではなか。時間軸で見てみても、健康欲はコントロールされる時期に来ているように思われる」(249)。

「死なないようにするための医療は、もはや長寿世界一を達成した日本では限界にきている。害悪すら、もたらしているかもしれない。70歳を過ぎてから急激に死んでいく長寿社会においては、死なないようにする医療だけでは不十分である。再び、「死ぬからこそある医療」が必要になってきている」(199)。

パラフレーズ。現代日本では、寿命に達する前に迎える死が減少したという意味での「生存欲」は満たされつつある。いまの医療はそれでも「生存欲」を煽り立てるが、栄養十分な状態に到達すれば過度な食欲をコントロールする必要が生じるように、「生存欲」をコントロールすべき段階に来ている。それは、健康を目的とした食のコントロールが断食ではないように、生存を諦めることでも医療を放棄することでもない。幸福を目的とした生存欲のコントロールということである。

[J0559/250209]

麻田雅文『日ソ戦争』

副題「帝国日本最後の戦い」、中公新書、2024年。日ソ戦争という、なかなか日の当たらない歴史。この本は売れているらしいけれども、内容は派手ではなく、どちらかというと地味。そういう歴史書が売れているというのだから、まだ日本には希望があるじゃないですか。

第1章 開戦までの国家戦略―日米ソの角逐
第2章 満洲の蹂躙、関東軍の壊滅
第3章 南樺太と千島列島への侵攻
第4章 日本の復讐を恐れたスターリン

1945年夏、日本の大本営は、ソ連が英米との交渉にあたる可能性を期待して、ソ連参戦の可能性を黙殺することになったらしい。アメリカはアメリカで、原爆と並んで、ソ連が対日戦争に参戦することを終戦に導く手段と考えていたとのこと。スターリンはそこをもったいぶる。

南樺太での戦いから。「満洲や朝鮮と違って、住民の大多数を日本人が占め、社会の隅々まで防衛体制に組み込まれていた南樺太では、開戦に伴い強う不安と緊張に襲われる。すると、噂が噂を呼び、疑心暗鬼が生まれた。疑いの目は朝鮮人に向けられる。南樺太では、炭鉱などさまざまな現場で約二万人の朝鮮人が働いていた。多くの場合、朝鮮人のなかにスパイがいるという噂から、上敷香や南部の瑞穂(現・パジャルスキー)で日本人住民や警察の手で朝鮮人が殺された」(184-185)。

1945年8月16日付のトルーマン宛のメッセージで、スターリンは「満洲・北緯38度線以北の朝鮮・サハリン」、「全クリル島」に加えて、北海道の北半分を要求している(221)。「北海道の北半分と南半分の境界線は、島の東岸の釧路市から西岸の留萌までを通る線とする。なお、この両市は島の北半分に含む」。ポツダム以降の動きから、ソ連に不信感をもっていたトルーマンはこれを拒絶。

スターリンは北海道占領の準備をしていたが、上陸作戦を断念。その理由は明らかではなく、(1)南樺太や千島列島での日本軍の奮戦のため、(2)朝鮮北部と千島列島の占領をアメリカが認めたことに満足したため、(3)アメリカとの関係悪化を恐れたため、といった説があるとのこと(226)。

一連の戦争による日本側の死傷者の数は不明。悲惨なのは、死の事実があいまいなまま、知られぬままになってしまうことである。戦死者8万人はソ連側の発表にすぎず、確実なのは3万人を超えるというところまでらしい。日本側の民間人は24万5000人が命を落としたと。「日ソ戦争にかかわる死者のほとんどの遺骨は収集できていない。日ソ戦争の古戦場を、冷戦下では日本人は訪れることすらできなかった。そうしたなか、埋葬地の情報は現地でも忘れられていった。現在も遺骨の収集作業が難しい地域がほとんどである」(238)。

それから、シベリア抑留。もともと、スターリンは降伏させた敵軍の将校に容赦がなかったが、日本軍の復讐を恐れた心理もあったらしい。一方で、日露戦争時にロシア人捕虜を厚遇していたので、個別には、その恩義をちょっとした親切で返してくれた場面もあったとはいう。

[J0558/250207]