Page 6 of 241

横井也有『鶉衣』

堀切実校注、岩波文庫、上・下巻、2011年。前編・後編・続編・拾遺と収録。

横井也有は名古屋の武家の出で、1702年生まれ、1782年没。大礒義雄は「学殖を底に秘めて才気縦横軽妙自在、滑稽洒脱の俳文ではほとんど完璧に近い」と評している(『国史大辞典』)。

半面では江戸文化の趣を楽しみつつ、実は半面、いらいらしながら読む。たしかに洒脱で、しかも過剰なところや露悪的なところがなくて穏健。しかしだ。芭蕉を慕っているが、「界隈」になった、いかにもそれ風という意味での蕉風でしかなく、そのなかでの粋人でしかない。洗練を極めているかもしれないが、本当の意味での自己省察を欠いている。旅に出ても、「めでたき御代に俳諧の行はるゝことや、西行に宿をしみし江口の君のつれなさもなく、宗祇に髭をこひし盗賊のおそれもなし。行く先々に同志の徒ありて・・・・・・」というような社会状況。苦悩を超えているのではなく、苦悩がない。

神仏に対する感覚は、けして冷笑的というのではないが、現代風と言えるような姿勢。現世的慣習のレベルでしかなく、なんなら俳諧の材料でしかない。

『鶉衣』は、也有が死後に編纂・出版された俳文集で、也有40歳代(もしかしたら30歳代?)から、82歳までのさまざまな時代の文章が収められている。とくに、前編と後編とで、だいぶ年齢のちがいを感じるが、40代の頃から「年とった、年とった」と言い続けて、82歳まで生きた人であることが分かる。也有自身病気をもっていてはやくに隠居したようだが、この種の感性は現代日本人にも生きていて、半ば現世から降りるポーズをとることでかえって目先の楽しみに満足することができるようになる。

それで辞世の句は「きのふけふ思ひつゝ経し身の程ぞ中々長き夜はかぞへぬる」、「短夜やわれにはながきゆめ覚めぬ」とのこと。これはこれで実感がこもった句ではあるが、その88年前、1694年に50歳で亡くなった芭蕉の「旅に病んで・・・」とはだいぶ距離がある。

[J0677/260711]

大城公男『稲の旅と祭り』

副題「シチと種子取」、榕樹出版、がじゅまるブックス18、2021年。

著者による『八重山・祭りの源流―シチとプール・キツガン』という研究書の続編だそうで、こちらは小冊子。八重山のシチ祭りと種取祭が、稲作伝来の記憶を伝えていることを明らかにしていく。南の小さな島々にこのような豊かな伝統が伝えられていることに感慨を覚えるが、考えてみれば、少なくともかつては日本列島どこもが小さな共同体、「小さな島々」だったわけで、八重山だけが特殊ではなかったはず。

第一部 黒潮の民と稲作
  一 父祖たちの冒険
  二 「海上の道」と稲作
  三 「新・海上の道」と稲作

第二部 首里王府の八重山統治と稲作
  一 群雄割拠とアカハチの乱
  二 蔵元の開設
  三 大阿母の設置

第三部 稲作と祭り(一)
  一 シチの成立
  二 祭りの性格
     1 「己亥の日」
     2 「年帰し、皆々年縄を引き」
     3 「三日遊び申也」
  三 シチの変質
     1 仏教の伝来
     2 シチと柴差
  四 神々の運命と行方
     1 浮遊する神々
     2 カンフチを唱える神
     3 里帰りする 神伊原間村
     4 祖納カタギとシチ 西表祖納村
第四部 稲作と祭り(二)種子取(祭)
  一 予祝歌「アマーオェーダー」(本島真和志村)
  二 稲が種アヨーとアマーオェーダー
  三 事例「種子取(祭)」―鳩間島

メモ。
「正月で年を取ると言われた時代、つまり「数え年」で年を数えた時代、フルマイ〔「ションガチフルマイ」〕を頂くことで年を取った。子どもの頃、母親や祖母たちはフルマイを頂いたあと、「いくつになったか」と、ニコニコしながら聞いたものである。この理屈でいくと、フルマイを頂く前と後では年齢は異なることになる」(59)。

[J0676/260705]

小山慶太『35の名著でたどる科学史』

副題「科学者はいかに世界を綴ったか」、丸善出版、2019年。
さらさら読めて勉強になる。たったこの数百年や100年で、こんなに進歩してきたのだと。一言で科学というが、領域は広大だと。知ってはいるけど、改めて感じる楽しさ。どうでもいいけど、フォントの感じも好き。

1章 宇宙と光と革命の始まり(16〜17世紀)
バターフィールド『近代科学の誕生』1949年
コペルニクス『天球の回転について』1543年
ケプラー『宇宙の神秘』1596年
ガリレオ『星界の報告』1610年
ガリレオ『天文対話』1632年/ガリレオ『新科学対話』1638年  
デカルト『哲学原理』1644年
ホイヘンス『光についての論考』1690年
ニュートン『プリンキピア』1687年
〔コラム〕フック『ミクログラフィア』1665年

2章 プリズムと電気と技術の発展(18世紀)
ニュートン『光学』1740年
ヴォルテール『哲学書簡』1734年
ラ・メトリ『人間機械論』1747年
フランクリン『フランクリン自伝』1818年
ラヴォアジエ『化学原論』1789年
ランフォード「摩擦によって引き起こされる熱の源に関する研究」1798年
〔コラム〕ニュートンのリンゴ

3章 神と悪魔とエネルギー(19世紀)
ラプラス『確率の哲学的試論』1814年/デュ・ボア・レーモン「自然認識の限界について」1872年
カルノー『火の動力についての考察』1824年
ダーウィン『ビーグル号航海記』1839年/ダーウィン『種の起源』1859年  
ファラデー『力と物質』1860年/ファラデー『ロウソクの科学』1861年  
マクスウェル「エーテル」1875年
〔コラム〕もう一人の悪魔

4章 ミクロと時空と宇宙論(20世紀前半)
セグレ『X線からクォークまで』1980年
アインシュタイン「運動物体の電気力学について」1905年
ペラン『原子』1913年
ハッブル『銀河の世界』1936年
ケストラー『サンバガエルの謎』1971年
〔コラム〕朝永振一郎「光子の裁判」1949年

5章 遺伝子と古生物学と人類の進化(20世紀後半)
ワトソン『二重らせん』1968年/セイヤー『ロザリンド・フランクリンとDNA』1975年
パウエル『白亜紀に夜が来る』1998年 
スペンサー『ピルト=ダウン』1990年/ジョハンソン、エディ『ルーシー』1981年
グールド『ワンダフル・ライフ』1989年/グールド『フルハウス 生命の全容』1996年  
〔コラム〕ネアンデルタール人と現生人類

[J0675/260704]