「アジアが語る戦場の記憶」、ちくま新書、2023年。
第1章 中国侵攻
1 満洲事変
満洲事変の始まり、柳条湖事件/九・一八歴史博物館/中国では「偽満洲国」/「日本人は今でもマンシュウと呼んでいるのか」/「満洲は日本の生命線」/ハルビン郊外の七三一部隊/満洲国の「影の帝王」/甘粕正彦と李香蘭
2 日中全面戦争へ
盧溝橋事件/反日ムードが高まる中国の夏/南京大虐殺/南京大虐殺記念館/重慶爆撃/ノモンハン事件から南進論へ/(コラム 日帝が残したタクアン)
第2章 マレー半島侵攻とシンガポールの陥落
1 日本軍のマレー半島侵攻/シンガポール攻略作戦の立案/ニックネームは「ジェネラル・ヤマシタ」/マレーの虎/太平洋戦争はマレー半島上陸から始まった/侵攻前の情報収集/マレー半島の南下/日本の進軍と抗日ゲリラ
2 シンガポール陥落/日本軍のシンガポール攻略/セントーサ島の戦争関連施設/イギリス軍の降伏/シンガポール陥落がもたらした高揚/(コラム 華人が歌う「愛国行進曲」)
第3章 日本占領下のシンガポールとマレー半島──暗黒の三年八か月
1 「大検証」と「粛清」/シンガポールから「昭南島」へ/昭南島の華人の「大検証」/大検証の実態/繰り返される「選別」と虐殺/「粛清」の実態/リー・クアンユーが体験した大検証/生存者の証言/マレー半島における華人の粛清
2 華人への強制献金と皇民化政策/奉納金の強制/皇民化政策/民族分離政策と「バナナ紙幣」
3 教科書に書かれた日本軍のマレー半島侵攻/マレーシア・シンガポールの教科書から/小学校教科書にみるシンガポール占領/中学教科書にみる日本軍のシンガポール侵攻/教科書に描かれた占領体験/反日にならないシンガポール人/(コラム 台湾で歌い続けられる「仰げば尊し」)
第4章 東南アジア各地への侵攻
1 インドネシア占領/投げ捨てられた献花/オランダ軍の降伏/オランダ人慰安婦問題/2 「死の鉄道」泰緬鉄道/泰緬鉄道/「戦場にかける橋」で出会った元イギリス兵捕虜/3 マニラ、バターン半島、そしてフィリピン占領/「オマエ ドコイクカ!」/バターン半島攻略/バターン死の行進/フィリピン占領が高めた反日意識/マニラの陥落と住民の虐殺/マニラからバギオ、山間部へ/山下奉文降伏の地/(コラム 「あゝモンテンルパの夜は更けて」)
第5章 日本の敗戦
1 中国に残された日本人/ソ連の参戦/麻山事件/日本人公墓と中国養父母公墓/売国奴と批判された方正県/ソ連兵へ差し出された満洲開拓団の娘たち/中国残留孤児の帰国/満洲から引き揚げた開拓団員のその後/著名人の満洲引き揚げ者
2 勝者が裁く軍事裁判/シンガポールの日本軍降伏の日/極東軍事裁判/BC級戦犯/シンガポールの日本軍降伏と日本人墓地/シンガポールの軍事裁判
3 シンガポールの血債問題/虐殺された華人の遺骨発見/日本占領時期死難人民紀念碑の建立/血債問題に対する日本側の対応/シンガポールで迎えた二月一五日
4 戦争から何を学ぶか/戦場には民間人がいる/組織内の上下関係/戦争に関する教育の重要性/(コラム シベリア抑留から帰った三波春夫と吉田正)
アジア諸国民の立場から見た、アジア・太平洋戦争やそのときの大日本帝国軍の姿。アジア・太平洋戦争をどのように解釈するにしても、日本のしてきたあれこれの「事実」や、アジア諸国の人々の気持ちを知った上でなければならない。
いろいろ酷い所業が現地の人々の記憶とともに記述されているが、シンガポール占領時「大検証」の名のもとに行われた大量虐殺はとくに衝撃的である。
また、シンガポール・マレー半島を統治した際は、分断政策も。「日本人は華人に対して厳しい政策をとりながら、マレー人、さらにはインド人に対しては、華人よりも友好的な態度で接しようとした。マレー人に対しては、マレー人のなかの反英的民族主義者を支援し、反英運動を助長させた。マレー人はイスラームを信仰しているため、日本軍はイスラームへの理解を示すためにスルタン(州王)の地位を保護した。インド人に対しては、インド国民軍を組織し、反英意識を高め、反英運動を助長させた」(109)。
このように占領時に酷いことをしたシンガポールでは、学校教育でも日本占領時代のことがよく教えられている。しかし、シンガポールの人々は反日的にはならず、「許そう、しかし忘れまい」というスローガンが掲げられているという。
逆にというべきか、台湾の親日感情には、台湾人の国民党支配への根深い不満が背景になっていると、著者は指摘する(126-127)。「終戦後、台湾では「犬去りて豚来たる」という言い方が流行した。敗戦により日本は台湾から出ていったが、台湾は大陸から来た国民党が支配することになったという意味である」(126)。
オランダにおける根深い反日感情は、インドネシア占領時に13万人ものオランダ系の捕虜や民間人を強制収容所に抑留し、2万人以上とも言われる人々が死亡したことに由来する(131)。だがこのことは、日本ではあまり知られていない。
先にシンガポールの人々による「許し」に触れたが、中国でもそうした例はある。「中国では、満州国や日中戦争などに関与した日本人が、遼寧省撫順などの戦犯管理所に収容された。1950年代、戦争犯罪人とされた1526名は、戦犯管理所で5年間、思想改造を受け、自らの罪行を心から謝罪するようになったという。日本人収容者は当初反抗的であった態度を徐々に改め、加害事実を認めるようになり、中国当局は認罪した日本人戦犯を一人の死刑・無期刑もなく釈放し帰国させた。これは「撫順の奇蹟」と呼ばれるようになった」(182-183)。
著者の山下さんは、日本人として後ろめたい思い、いたたまれない思いを重ねながら、アジア各地の戦跡をあちこち歩いている。だからこそ、現地の人々の忘れえぬつらい思いとともに、現在の「許し」の様子もうかがわれる。
関連の話題として、フィリピンでは、日本軍に愛児を殺されたエルピディオ・キリノ大統領が日本人戦犯を釈放させた話があり、彼に助命嘆願を活動を行った画家・加納莞蕾の美術館(記念館)が島根県安来市にある。(加納佳世子 『画家として、平和を希う人として』 メディアイランド、2015年。)
[J0422/231109]
Leave a Reply