Month: February 2021

牧野陽子『ラフカディオ・ハーン』

中公新書、1992年。

第1章 ハーンの来日―西洋に背を向けた人
第2章 松江のハーン―理想の異郷
第3章 熊本から神戸へ―振り子の時代
第4章 晩年の結実―微粒子の世界像

同じ新書の太田雄三『ラフカディオ・ハーン』(岩波新書、1994年)がもっぱら批判を動機にしていたことに比べれば、ハーンの作品への共感を下敷きにして、よりバランスの取れた一冊となっている。

第三章まではハーンの歩みを辿っているが、第三章の後半からは、むしろハーンの作品世界の評価に入っていく。とりわけチェンバレンとの関係性がひとつの記述の軸に置かれている。晩年に近づくとより顕著になる傾向として、ハーンがたんに日本文化を描こうとしたのではなくて、実は宇宙や生命について考えていたという見方には賛意を示したい。『怪談』を書く際のハーンは、「哲学的な妖精物語」という構想を持っていたそうな(チェンバレン宛の手紙、178)。

「ハーンという人は、どうも精神的安定を得た時に想念を馳せる人であったらしい」(155)。ほんとうなら、おもしろい指摘。

「ハーン晩年の怪談は単なる怪奇趣味の所産ではない。通常ジャンルとしての怪奇小説につきものの人間の異常心理、残虐性、不条理、超自然現象などはハーンの怪談に無縁のものである。そしてハーンの怪談の多くに共通するのは、すべて死者、あるいは死者に準ずる存在との出会いのテーマだといえる。ここでは幽霊が怨恨を抱いて登場しても、ハーンの視点は死者の側にはない。報復譚によくある仏教的教訓などももちろん眼中にない。生者が死者といかに関わるか、はたしてその死者の存在や訴えを受け止めるか否かに主眼が置かれるのである」(174)。

「怪談の再話、仏教への考察および神道研究をも含む哲学的随想、そして回想文。これら晩年の作品に共通するのは、すべて人間の現在にとっての「過去」、それも通常の歴史的把握で捉える外的な時間体系とは異なり、個体意識を越えた生命の連鎖としての「過去世」の持つ意味を問うていることである。ハーンが最終的に行き着いた本質的テーマは、いわば人の背負う、内なる積み重ねとしての時間の蓄積の考察という一点に尽きる」(182)。

著者は、ハーン晩年の怪談が「不思議に透明な雰囲気に支配されている」と指摘する。まさにそのとおりで、日本土着のものや、それを古代ギリシャと比較してもたんに地域文化への愛着に終わっていないし、上記引用に示されたとおり「教訓」とも無縁なひとつの世界がそこに示されている。

しかし、もし死者との邂逅がハーン生涯のテーマのひとつだとしたら、やはり日本体験の原点が出雲であったことに、改めて大きな意味を感じてしまうね。

[J0134/210212]

山本昭宏『戦後民主主義』

中公新書、2021年。

第1章 敗戦・占領下の創造―戦前への反発と戦争体験
第2章 浸透する「平和と民主主義」―一九五二~六〇年
第3章 守るべきか、壊すべきか―一九六〇~七三年
第4章 基盤崩壊の予兆―一九七三~九二年
第5章 限界から忘却へ―一九九二~二〇二〇年
終章 戦後民主主義は潰えたか

筆者は「戦後民主主義」ということばに次の三面を認める。第一に、戦争体験と結びついた平和主義。第二に、直接的民主主義への志向性。第三に平等主義である。こうした「戦後民主主義」の理念の歴史を辿って、1945年から2020年まで。また、政治や言論界の動向だけでなく、映画やアニメと言った文化的・社会的な動向のなかにもこの理念のありようを探る。

「戦後民主主義」の理念史とはまさにタイムリーな主題で、いささか読者として過大な期待をしすぎたかもしれない。時代についても、また政治と文化の両面を捉えようとする視点についても、ちょっと新書一冊に詰め込むには広すぎ大きすぎた感。小熊英二の仕事と対抗あるい補完するのであれば、1980年以降「戦後民主主義」理念が人々の政治意識の中でもはや新鮮さを失っていく過程に絞って、そのなかでこの理念を堅持しようとする動きとともに描いた方がよかったのでは、というか、そういう本を読んでみたいと思った。

[J0133/210209]

小泉凡『民俗学者・小泉八雲』

恒文社、1995年。八雲の曾孫にして八雲研究者としても著名な著者。八雲の仕事のなかから、民俗学的な主題や議論を整理するとともに、八雲を民俗学の文脈のなかに位置づけようとする。

序章 研究史
第1章 基層文化への関心とその背景
第2章 来日後の著作からみる民俗学研究の特色
第3章 民俗学史上におけるハーン
第4章 結びと展望

ほうほう、ハーンは自分を「東洋生まれ」だと自認していたのか。「東洋の事物に対する私の愛好は偶々私の生まれが東洋であり、血流も半ば東洋人でありますので、左程異様に思わるる迄もないと考えます」(1876年5月書簡、『小泉八雲全集』第12巻所収とのこと)。

本書内で幾度か触れられている話題として、ハーンが著した「日本人の微笑」を、柳田國男は『笑いの本願』で批判しつつも、日本文化への理解についてはハーンを評価していたという話。柳田による評価に関する著者の見解、「チェンバレンに対しては、沖縄研究の先駆者、また偉大なるプロの学者として大いなる敬意を払い、一方、ハーンに対しては、学者としての敬意ではなく、民俗学に関して素人であるが、常民の心に共感し、先駆的なその着眼点や日本人の心意の微妙さを洞察する力といった彼の直感力、感性に対する敬意ではなかったろうか」(178)。なるほど。この文章には注がついているが、柳田がモースを批判しているくだりをわざわざ紹介しているのは、ハーンに対してモースをたてる太田雄三氏への皮肉かも。

さて、ハーンの仕事は貴重な民俗学的知見を提供するものではあっても、ハーン自身を民俗学者とするのは少し難しいのではないか。ハーンは確かに、日本旧来の生活や人々におけるあれこれの微妙な心意までを共感的に理解していたようだが、最後には、それらに触発されて湧きだしてくる自分自身の感覚やヴィジョンを見つめていたのではないか。柳田が実は心裏に抱きつつ、意識して秘した熱っぽい幻視の世界、柳田とは異なって、ハーンはそこに漂うことを自らに禁じておらず、そのことこそが彼の仕事の魅力になっているようにおもう。民俗学のような学問的成果とちがって、そうした幻視の魅力の価値はひとによって評価が分かれるだろうけども。

[J0132/210208]