Month: May 2022

Robert E. Goss, Dennis Klass, Dead But Not Lost

Robert E. Goss, Dennis Klass, Dead But Not Lost: Grief narratives in Religious Traditions, Walnut Creek: Altamira Press, 2005.

1 Introduction
2 The psychology of Japanese ancestor rituals
3 Americanizing a Buddhist grief narrative
4 Continuing bonds with teachers and founders
5 The politics and policing of grief
6 Grief and continuing bonds in contemporary culture

「絆の継続」モデル主唱者のデニス・クラスさんの共著ということで、もっとケアっぽい内容を想像していたが、良い意味で裏切られた。歴史的・批判的観点もじゅうぶんに盛り込まれている。前書きには、著者らはウィルフレッド・キャントウェル・スミスに学んだとのことが書かれている。なるほど、「絆の継続」というひとつの観点から比較宗教学をするというのは有効だなと。

2 The Psychology of Japanese Ancestor Rituals

「絆の継続」モデルで必ず引きあいに出される日本の祖先崇拝、たいていは通りいっぺんの記述で終わっているが、ここでの記述はかなり丁寧。なるほど、トニーさんの「甘え」原理評価も、この論考が背景になっているのかもしれないな。儀礼の重要性や、幽霊表象、仏教の家族システムへの適応といった論点への言及もある。

3 Americanizing a Buddhist Grief Narrative

 アメリカに輸入されたチベット仏教のサークル、そこにおける「絆の継続」の研究。インタビュー調査に基づきながら、アメリカ的価値観と仏教思想の相互作用の事例を追究して、単独の論考として十分におもしろい。翻訳する価値もあると思う。ホスピス実践との関わりも重要視される。

4 Continuing Bonds with Teachers and Founders

いわゆる教祖崇拝を「絆の継続」論の角度から論じる。

5 The Politics and Policing of Grief

死者との関係に関する教説を主題として、その社会・政治的動態を比較宗教的に論じる。取りあげる事例は、20世紀社会主義下の中国、18~20世紀のアラブ・イスラーム、中世西ヨーロッパのキリスト教、紀元前2世紀のインド仏教、紀元前7世紀のイスラエル。「宗教」を直接に論じようとすると、その枠組みが問題になってしまうが、死者との関係といった限定された具体的焦点を設けることで議論を明確にできるというやり方の好例になりうるのでは。

6 Grief and continuing bonds in contemporary culture

最終章は、「絆の継続」をめぐる現代世界の価値観の特徴を記述する。本書では、宗教と文化の変動期である今日、すなわち21世紀世界の特徴を、(1)コミュニケーションと旅行のテクノロジーの発展と、(2)消費者資本主義という二点に認めて、分析を進める。ここでも、具体的な事象を離れずに考察を進めているのが重要で、ホスピス制度、子どもを亡くした親の自助グループ、エイズ・キルトが取りあげられ、それらの特徴と可能性とが語られる。

良くも悪くも深掘りをしすぎず、かといって事象に臨む姿勢において拙速でもなく、バランスの取れたアプローチの本として、自分にはとても参考になる。

[J0266/220505]

福田充『リスクコミュニケーション』

副題「多様化する危機を乗り越える」、平凡社新書、2022年。

第1章 「リスクコミュニケーション」とは何か
第2章 人々の意識を変え、行動につなげるには
第3章 社会教育としてのリスクコミュニケーション
第4章 フェイクニュースがもたらすポスト・トゥルースの分断社会
第5章 危機におけるインフォデミック
第6章 陰謀論と民主主義の危機
第7章 民主主義とリスクコミュニケーション

なにか新しい発想が得られるという感じでもないけど、リスクコミュニケーションに関するトピックや基本的な考え方、キーワードを手広く知るためには便利な書。参考文献をみると、著者自身の論文がずらっと並んで、この分野で大いに活躍をしている人であることが分かる。

とくに、陰謀論的な発想の蔓延状況には関心があるのだけど、どの本の説明も隔靴掻痒という感じがある。なるほどというような本がどこかにあるかな。たとえばこの書でも「Qアノンなどのように陰謀論はオカルト信仰やカルト信仰などとも親和性がある」(149)といったくだりがあるのだけど、「よく分からない(とされている)もの」を「よく分からない(とされている)もの」と結びつけて終わってしまうのでは消化不良感が残る。この突っ込みはちょっと、概説であるこの新書に対しては過度な要求だけどもね。

このブログで触れた類書:
中谷内一也『安全。でも、安心できない・・・』(ちくま新書、2008年)
――こちらはより心理学的。

[J0265/220502]