中公新書、2021年。

第1章 孝はいかに日本へ持ち込まれたか―古代から中世へ
第2章 孝の全盛期―江戸時代
第3章 幕府の政策?庶民の娯楽?
第4章 荒唐無稽な逸話の秘密
第5章 孝子日本代表を探して
第6章 鴎外と太宰の視線―近代文学と孝
第7章 軍国主義下の子供たちへ―明治から敗戦まで
第8章 敗戦で孝は消えたのか

斬新ということはなくても、なんだかんだ面白い。それと、文章が平易で親切。行き届いていて、あたかも肩を揉まれているような。以下、メモ。

  • 『日本霊異記』には、不孝をすれば地獄、孝養あれば浄土という物語がある。
  • 「する孝行」と「聞く孝行」という区分、なるほど。
    「家業を全うせよ、肩を揉め、というのは常識的でまっとうな意見です。これが「する孝行」です。いっぽう「聞く孝行」とは、『二十四孝』に出てくるような逸話です。これらは都合よく奇抜すぎて、日常生活において真似することは不可能です。しかしこれにも役割があります。その人物が他人とはレベルの違う孝行者であるという事や、孝行がいかに果報をもたらすかという事を、一例をもって納得させ、孝を強烈に読者に印象づけるようなインパクトを持っています」(79)
  • 「極端な行動→善果、という話の型に着目すると、孝子伝と往生伝は相似形にあります」(98)。中世には、孝子の表彰がほとんど見られないとのこと。「往生伝から孝子伝への変化は、中世から近世への移り変わりを象徴する出来事だった、と言えるのではないでしょうか」(98)
  • 林羅山『十孝子』における、『発心集』における大江佐国にまつわる仏教説話を、孝子説話に解釈しなおすところ、面白い(104-106)。
  • 「出家は不孝」という儒者からの批判に対する仏教者の応答いろいろ。
  • 孝行話としての「偽キリシタン兄弟事件」。兄がキリシタンを装い、弟が告発に対する報酬を得て親を養おうとした事件。林羅山の息子、鵞峰と読耕斎のあいだで解釈が分かれる。(147-)
  • 明治政府は巡幸と地方表彰の制度化という方法で、日本全国への孝行者への表彰を自らの管理下に置いた。このことは、地方ごとに為されてきた表彰の統合として、画期的であった。明治天皇による孝行者表彰の動きがはじまったのは、戊辰戦争がはじまったばかりの頃で、版籍奉還よりも半年も早かったという!(Ch.7)
  • そして重要な問い。台湾などと比べて、「日本はなぜ孝は消えたのか」という問い。それはもちろん敗戦のせいだが、昭和50年代以降の孝行表彰復活の動きもいろいろ苦労に直面することになって、なかでも「プライバシー」という問題が表彰衰退の理由となってきた経緯はおもしろい。
  • 2002年の「緑綬褒章」の復活。それは、「「孝」という身内への善行から「ボランティア」という公共への善行へ、装いを変えて復活した」ものだったと(216)。なるほどだなあ。

[J0212/211124]