岩波新書、2011年刊。
プロローグ 島の流行が語ること
1 文明は感染症の「ゆりかご」であった
2 歴史の中の感染症
3 近代世界システムと感染症
4 生態学から見た近代医学
5 「開発」と感染症
6 姿を消した感染症
エピローグ 共生への道

 感染症の歴史については、ウィリアム・マクニール『疫病と世界史』のほか、ベストセラーになったジャレド・ダイアモンド『鉄・病原菌・鉄』などがある。対してこの書は、著者がたんに歴史学者ではなく、感染症研究者であるところに妙味。

――急性感染症は隔離された小規模な人口集団では流行を維持できない(19)。しかし、ヒト以外に宿主をもつマラリアのような感染症は、小規模な人口集団の狩猟採集民であった初期人類にも存在していた可能性が高い(20-21)。

――農耕定住社会への本格的移行は感染症を増大させた。まず、定住は、集積された糞便やその肥料としての再利用によって、回虫症や鉤虫症といった寄生虫疾患を増加させた(34)。また、貯蔵された余剰食物はネズミなどの小動物を増加させ、ネズミについたノミやダニに媒介されたライム病や野兎病、ツツガムシ病やペストを発生させた(34)。さらに、野生動物の家畜化は、ウシから天然痘、イヌから麻疹、水禽からインフルエンザ、ブタあるいはイヌから百日咳といったウイルス感染症をヒト社会に持ち込んだ(35)。

――メソポタミア文明にはじまる一定の人口規模以上の文明は、たびたび急性感染症に脅かされた。しかし、急性感染症の存在が、文明の中心地を狙う周辺の人口集団に対する生物学的障壁として働いた可能性がある(44)。文明は、文明の拡大を通して周辺の感染症を取り込み、みずからの疾病レパートリーを増大させる。そうして取り込んだ感染症は、その後文明を守り拡大するための強力な防御壁や武器として働いた(54)。

――マクニールや川喜田二郎は、カースト制度にはもともと感染症の回避という意図があったという説を展開している(50-51)。実際はその効果は両義的で、カーストのような選別的興隆が強化された社会では、流行初期に感染がより早く拡大するが、最終的な流行規模は小さくてすむ。しかし、カラアザールのように、カースト制度が感染症の温床となったケースもある(52)

――750年前後から11世紀までの300年間、ペストは急に姿を消す。その理由に、気候変動やそれによるクマネズミの生息域の変化をあげる研究者もいる(60-61)。

――1348年のペスト流行の後、ヨーロッパが文化的復興を迎えたことはよく語られている。それだけではなく、このペストの流行を境に、ハンセン病患者が減少し、結核患者が増加した。その正確な理由は不明である(69-71)。その後、1720-22年にマルセイユでペストが流行したのを最後に、その爆発的流も終わりを告げる。この理由も謎である(73)。〔感染症の歴史では、流行と衰退について理由が不明という記述が多い。この領域では分かっていないことも多いようだ。〕

――マラリアの特効薬であるキニーネの原材料であるキナ属植物は、南アメリカのアンデス地方に自生する植物である。新大陸のこの植物が、ヨーロッパによるアフリカ植民地化を助けることになった(102)。

――ポリオは人類にとって古い病気であるが、その大規模な流行は二〇世紀以降にはじめてみられた。一説に、衛生状態が悪いときは、母親からの抗体が効果を持つ乳幼児がポリオに感染していたが、衛生状態が改善するにつれ平均感染年齢が小児にまで上昇し、麻痺をともなう発症数が増えたのかもしれない(131-132)。

――ダム建設などの開発によって引き起こされる「開発原病」(146)。

――マクニール、「カタストロフの保全」。防災の努力が、結果としてより甚大な災害へと繋がる可能性(193-194)〔→大熊孝『洪水と治水の河川史』に同主旨の主張〕。「同様に、感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるのかもしれない」(194)。「しかし共生は、そのためのコスト、「共生のコスト」を必要とする」(194)。

――集団への感染や集団免疫を語る際に基本再生産数が問題にされるが、ある集団内に異なる性格の小集団が存在し、そのあいだで基本生産数が異なる場合に、平均としての基本再生産数を取り上げることに意味がない(199)。

[J0022/200401]