Author: Ryosuke

渡部秀樹『西蔵系出雲族の伝説』

出雲出身でチベットを知悉する登山家として、両地域の縁をたどる一冊。集広社、2024年。

プロローグ―偶然と必然、淘汰と進化
クーンブからチベット探査への道のり
チベットに勾玉がある?勾玉とチベット天珠
出雲神話から我が原風景をたどる
出雲大峯の観音様とチベットの仏縁
チベットの登山における信仰上の課題
山王寺のス(男)
矢島保治郎のチベット潜入とチベット国旗
矢島保治郎と勾玉
出雲族の口伝と「くまくましき」のこと
チベットからヒマラヤを越えた少年僧
エピローグ―アイデンティティとしての心の故郷は軸として縁起する

出雲の勾玉がチベットにわたったというストーリーについては、著者本人が「エビデンスとなる直接の記録は得られていない」「この部分は学術的な裏付けはないので歴史小説の範疇と思って読んでいただきたい」と述べているとおり。

ただ、チベットでの経験や出雲の言い伝えに裏付けられた著者が「幻視」している風景は魅力的だ。

大東町には山王寺という、隠れ里のような棚田の集落があって、そこがチベットの風景によく似ているのだという。著者の祖父はもともと山王寺の出身だそうで、その白寿(九十九歳)の祝いの席のこと。「伯父が山王寺神楽の録音テープがあるとラジカセを持ち出し、スイッチを入れた。四拍子六調子の神楽の奏楽が流れだした。突然、祖父は約八十年ぶりにかつて自分が使った面をかぶり山王寺神楽スサノオの舞(簸の川大蛇退治)を悠々と舞いはじめたのである。親族一同、祖父の舞いを見たのは初めてであった」(57)。なんと幻想的な場面であることか。

著者は、その出身地木次町熊谷こそが大国主の誕生地であるという説を、元・三刀屋高校長の影山重光氏の著書(『蘇れ古代出雲よ』)のうちに見いだす。「帰省しすぐに、父にそんな伝承の詳細を聞いたことがあるかと確認した。しかし肝心な核心に迫ると父は少し困ったような顔をし、「氏神である河邊神社はクシイナダヒメを祭神としている。ここでお産をされたからだと由緒にある。しかし、大国主命がここでお生まれになったというような話は、大社さん(出雲大社)の手前、あまりするものじゃない」という予想外の反応で口を閉ざしてしまった」(64)。

うーん、この伝承の真偽自体はともかくも、いかにもこれこそ出雲人という反応だ。伝承について実際には肯定しつつ、この気の使い方というか。そんなことが僕にとっては味わいぶかい。

こちら、河邊神社の様子。これもさりげなく、なんとも言えなく良いたたずまい。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2657198,132.9012032,3a,75y,297.27h,92.42t/data=!3m6!1e1!3m4!1s8lf-8Ql3xk0kb-J2fBtuBg!2e0!7i16384!8i8192?hl=ja&entry=ttu

[J0461/240425]

大山眞人『瞽女の世界を旅する』

本書出版時、78歳ほどになる著者は、高田瞽女の世界を追って1977年~1983年に「高田瞽女三部作」を出版した著述家。半世紀を経て、当時を振りかえりながら記された1冊。その時間の分の距離感と、逆に体験や記憶が融合した感覚と、奇妙な耽溺を感じる文体。当時、「高田瞽女の世界を壊したのはあなただ」という声も投げつけられたそうだが、距離の取り方が不安定で、だがしかし、このように文章として記録は残った。平凡社新書、2023年。

 序 高田瞽女とは
第一部 春を旅する
 第一章 春を旅する
 第二章 夏の旅
 第三章 秋の旅から冬の旅へ
 第四章 それぞれの旅路
第二部 取り憑かれてしまったわたしの体験記

本書から歴史的なことを拾えば、瞽女の伝統的な生活が衰退してしまったのは、農地改革によって、彼女たちに「瞽女宿」を提供していた各地の大地主が没落してしまったからであるらしい。その衰退の様子を、瞽女目線でリアルに描いている。ある瞽女の言葉によれば、こうした農地改革もまた「戦争の哀しさ」であり、落ちぶれた人もまた「戦争の犠牲者」なのだという。

なお、大山眞人さんの「高田瞽女三部作」は、国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスにて読むことができる。

『わたしは瞽女:杉本キクエ口伝』(音楽之友社、1977年)
『ある瞽女宿の没落』(音楽之友社、1981年)
『高田瞽女最後』(音楽之友社、1983年)

[J0460/240420]

平岡聡『禅と念仏』

なるほど、禅と念仏の比較という視角を通して、ユニークで退屈させない日本仏教の入門書。日本仏教の多様性に見通しをつけてもらえるような気がする。著者自身の、仏教者としての実践的観点と、仏教史の歴史的知識と、ほどよいバランス。角川新書、2024年。

第1章 本家vs.分家―禅と念仏の源
第2章 保守vs.革新―歴史的な変遷
第3章 出家vs.在家―実践の難易度
第4章 悟りvs.救い―宗教的ゴール
第5章 内向vs.外向―対峙する対象
第6章 引算vs.足算―文化への影響
第7章 個人vs.集団―政治への影響
第8章 坐禅vs.念仏―心理学的考察

改めて指摘されて、そういえばなあと、考えさせられる箇所は多い。

たとえば、悟りをめざす禅仏教には肯定的な人間観が、救いを求める念仏仏教には否定的な人間観が確認されるという指摘。あるいは、鎌倉時代に禅が政権と結ぶことができたのは、幕府の本拠地が旧来の仏教の支配する京都にではなく、新開地たる鎌倉にあったからという指摘。

あとは、法然の信仰の革新性、歴史的重要性。

[J0459/240418]