Page 33 of 183

関口正司『J・S・ミル』

副題「自由を探求した思想家」、中公新書、2023年。

第1章 ミルの生誕から少年時代
第2章 「精神の危機」とその後の模索
第3章 思索の深まり
第4章 『自由論』
第5章 『代議制統治論』
第6章 『功利主義』
第7章 晩年のミル

日本で「代表的な哲学者」を聞かれてミルと答える人はまずいないと思うけど、イギリスや英語圏では本当に尊敬されていて、その上位に位置しているという印象がある。かの国では、政治をはじめとする実学の領域と、哲学との距離が近くて、その領域で活躍したひとりがミルということなんだろうね。

本書は、生涯を通じたジョン・スチュアート・ミルの問題関心を踏まえながら、著作ごとに解説を加えていて、副読本によさそうだ。いくつかメモ。

ミルは手紙の中で「鉄の檻」という表現を使っているが、これはジョン・バニヤンが『天路歴程』で、信仰を失って絶望にいる状況を指した表現なのだと。明らかにヴェーバーは、バニヤンを読んでいたわけだが、「鉄の檻」がバニヤン由来かもという説はあったっけ。

ミルの自由論の仮想敵の一つはコントで、彼はコントの所論をエリート専制を導くものとみていたとのこと。

晩年のミルはロンドンとアヴィニヨンを行き来する生活をしていたらしいが、アヴィニヨンでは無名時代のアンリ・ファーブルと交流があって、しばしばファーブルと植物採集を楽しんでいたと。ミルが命を落としたのも、ファーブルとの植物採集の前後に感染した「丹毒」だったのだとか。

ジョン・スチュアート・ミルの著作集全33巻は、こちらのサイトで閲覧可能。
https://oll.libertyfund.org/title/robson-collected-works-of-john-stuart-mill-in-33-vols

[J0431/231205]

『中原昌也の人生相談』

副題「悩んでるうちが花なのよ党宣言」、リトルモア、2015年。

われわれ世代的には、暴力温泉芸者でおなじみの著者。最近、体調を崩しているらしいと聞いて、投げ銭的に買って読んでみた。うーむ、若い人の悩みに、とくに共感する気のない枯れたおっさんが答えているのを、枯れたおっさんが読んでもな。若い人が読んだらまたちがうんだろう。

Q:「会社の飲み会が苦痛です」。A:「すごく嫌なつまんない言い方をすると、飲めない人はダメな人って僕は確かに思っているんですよね。・・・・・・この相談者みたいなことを言う人は、自分の中に確固たる「自分」ってモノがあると思い込んでいて、そこからはみ出るのが嫌な人なんですよね。飲み会への参加も、はみ出すことも、嫌ならしかたない。守りに入ればいいですよ。ただ、こういうこと言ってるんなら一人でいることに強くなんなきゃダメです」。

Q:「長生きしたくない。できれば、自分のタイミングで、早々に人生の店仕舞いをしたいと考えています」。A:「人生の店仕舞いかあ・・・・・・。この人は何を売ってるんだろう。僕は自分が幽霊だと思い込んで生きてるから、特に死にたいと思ったことはないです。そもそもこの現実にあんまり参加してる気がしない」。

[J0430/231129]

五来重『山の宗教』

副題「修験道入門」、角川ソフィア文庫、2008年。1991年に角川選書として出版、もともとは1979年の講演ということでいいのだろうか。

第1講 熊野信仰と熊野詣
第2講 羽黒修験の十界修行
第3講 日光修験の入峰修行
第4講 富士・箱根の修験道
第5講 越中立山の地獄と布橋
第6講 白山の泰澄と延年芸能
第7講 伯耆大山の地蔵信仰と如法経
第8講 四国の石鎚山と室戸岬
第9講 九州の彦山修験道と洞窟信仰

歴史に強く仏教にも強い民俗学者、五来重。たんに素朴な自然崇拝でもなければ、画然としたひとつの宗教でもない修験道とは、そういう人でなければ語りにくい対象だと言える。自由自在に山岳信仰を語っているが、もしこれが講演録だとしたら、どの程度準備したものだろうか。もしすべて頭の中に入っているというのなら凄すぎる。

全国各地の山岳信仰を扱っているが、肝心ともいえる吉野・大峯を扱ってないのはなにか理由があるのかどうか。

文庫版オリジナルの解説だろうか、4ページほどの短文だが、山折哲雄氏による五来重評がめちゃめちゃかっこいい。

[J0429/231128]