Author: Ryosuke

大澤正彦『ドラえもんを本気でつくる』

PHP新書、2020年。

序章 人を幸せにする心をもった存在
第1章 現在のAIはどこまでできるのか?
第2章 ドラえもんはこうしてつくる
第3章 ミニドラのようなロボットを、みんなで育てる
第4章 仲間とつくるドラえもん
第5章 HAIのテクノロジーが日本から世界へ

AIの可能性にも興味があるし、『バッタを倒しにアフリカへ』的なものかなとおもって、割と楽しみに読みはじめたが、途中から違和感。世界がちがっているね。

弱々しくすることで人が助けてあげたくするとか、幼い外見にすることで親しみやすくするとか、「そっち?」という感想。「ドラえもんを本気でつくる」というけど、ドラえもんって本当にそうやってできたロボットなんだろうか。人間の側を誘導するというコンセプトがいかにも認知科学って感じ。著者本人はきっといい人なんだろうけども。

異論を言うと、「ドラえもんを作れないと思い込んでいる人」として片づけられそう。そもそも、ドラえもんって、何だっけって話。藤子F先生ならなんて言うだろうか。

ただ、現実問題として、現在実現しているロボットの主要な用途のひとつが、愛玩だというのはちょっとおもしろい事実。人間の社会性が向ける対象として、テクノロジー的に「完成」している必要はない。ぬいぐるみだって精巧でさえあればいいわけじゃない。それとは別に感じられる魅力があるわけで、それはどこまで一般化できるだろうか。

[J0154/210502]

橋本治『二十世紀』

ちくま文庫、上・下巻、2004年。原著は2001年で、もとの原稿は1996年からスタートしているらしい。総論のあと、1901年から一年ごとのエッセイ100本。書いている橋本さんはそれなりに楽しそうではあるが、なんだかふしぎな本だ。編集者の人が発案した企画ということか。例によって、橋本治一流の「みもふたもない」視点で20世紀という時代を評する。

――「必要な物は作る、必要じゃないものは作らない」。こういう原則を確立しないと、このイライラとした落ち着きのない世界は、平静にならない。手っ取り早く言ってしまえば、私は、産業革命以前の「工場制手工業」の段階に戻るべきだと思う。(「総論」)

――日本は、中国との戦争を始めるために国家総動員法を用意したのではない。戦争にあらざる戦争=事変を始めて、それがどうにもならないから、国家総動員法を出すのである。日本のファシズムは、やる方にも明確なポリシーがない。「一歩踏み出した以上もう後戻りは出来ない」だけで前に進むから、いつの間にかとんでもないことになってしまっている。気がついたら完了形である。(「1940」)

――「ソ連の支配力が弱まれば東ヨーロッパの社会主義が壊滅する」ということは、つまり、東ヨーロッパに「思想対立」なんかなかったということである。あったのは「ソ連の東欧支配」と、それに由来する「東西対立」だけだ。支配者ソ連が社会主義国だったから、ここに自由主義と社会主義の思想対立があったように見えた。ただそれだけである。(「1949」)

――1969年に、「思想」はその役割を終えた。「思想」は「豊かさ」を作り、その豊かさの中で「思想」は不必要になった。1970年から始まるのは、「思想」を必要としない「大衆の時代」なのである。(「1969」)

――〔公害問題や女性問題の登場について〕「思想」は消え、そして、解決を求める「問題」が新たに浮上する。1970年はそんな年である。(1970)

――人民寺院とイスラム原理主義の並ぶ1978年から79年にかけて、クローズ・アップされるべきものは、「宗教」ではない。拾い上げられるべきは、「アメリカ的豊かさへの異議」であり、「生き方をめぐる思想の対立」なのだ。(「1978」)

――偉大なる四番打者・長嶋茂雄は、決して有能な監督ではなかった。それは、多くの人が知っていた。しかしその彼は、国民的な歓喜の中で監督に復帰した。日本人は、「相変わらず」がお好きなのであろう。(「1992」)

――日本の教育に歴然たる暗雲が垂れ込めたのは、「いじめ問題」がクローズアップされた1980年代である。しかし、それは “教育の問題” ではない。日本の社会が子供達に明確なる未来を教えられなくなっていたという、日本の退廃と重ねられてしかるべきものである。……日本の社会を動かしている人間達は、自分達のなすべきことで手一杯になっていた。そこに “未来” への展望はない。いつの間にかゴールを欠いて、しかし少年達を乗せたベルトコンベアは動き続けていた。動いていればこそ、そのベルトコンベアは “破綻” を示さない。しかし、そのベルトコンベアの先には、なにもないのだ。それが、20世紀最末年の日本である。(「2000」)

[J0153/210501]

宇野重規『民主主義とは何か』

講談社現代新書、2020年。

序 民主主義の危機
第1章 民主主義の「誕生」
第2章 ヨーロッパへの「継承」
第3章 自由主義との「結合」
第4章 民主主義の「実現」
第5章 日本の民主主義
結び 民主主義の未来

古代ギリシャから現代日本にいたる、民主主義の思想史。最初から民主主義を正しい理想と置く見方からは距離を取りつつ、その意義を明らかにすることを狙う。

立法権を強調するか、執行権を強調するかをひとつの分析軸に置いているところなど、政治思想史では標準的なのかもしれないけど、個人的にはなるほど感あり。たしかに、ルソー(やカルヴァン)は、立法権にほとんど神聖性に近い重要性を与えていた印象がある。

筆者には単著もあるトクヴィル論。なるほど、トクヴィルの「デモクラシー」観念は、あくまでトクヴィル独自の意味合いがあるわけだ。

ロールズはむしろ、不平等の存在を認めているとか、正義感覚なるものを重視していたとか、これらも言われてみるとそうだなあと。

本書には直接関係ないけど、宇野さんと言えば、日本学術会議会員任命問題。なんでわざわざ、かくもまっとうな宇野さんをなのか。学術会議を潰したり圧力かけたいと言うなら、もっといい人選がいくらでもあったろうに、とついつい思ってしまう。本当、なにも分かってないんだな、政府側の人たちは・・・・・・。

[J0152/210501]