Month: September 2023

森義一「『村下』の話」

飛騨考古土俗学会『ひだびと』第11年第2号、1943年、pp. 27~28。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1491932/1/15

村下とは、たたら製鉄で責任者として総指揮を行う職人。1943年当時の雲伯地方では、8~9名が生き残っていたとのこと(89人ではないと思うが)。たたら製鉄は大正時代に一度消滅するが、戦時下にまた復活操業が行われる、そのときの話。

「「村下」は従つて会社にとつて、絶対必要な存在なので随分大切にする、山男に不相当な程の高給を支給する、しかも会社の宴会などには社長より上席に据はる、其の上食費は一切会社持ちである、ところが朝から刺身が入り魚の向付を要する、晩酌は言はずもがなである」(28)・・・・・・といった調子の記述が続き、「会社に取つては頗る厄介な存在」であると。

こうして困った「八雲製鋼会社の井原専務」は、各種の伝統を破って、玉鋼の生産方法を編みだしたのだと。「茲に二千余年に亘り秘められた「村下」の技術の伝統をも打破して、茲に戦時下軍刀資材の増産に邁進している。斯くて「村下」は、現在の八九人を最後として、此の世から姿を没することとなつた」(28)。

誇張もありそうだけど、はじめて聞く興味深い話。なお、その後実際に村下の伝統は絶えかかった時期もあったが、現在は、木原明さんとその弟子の方がその火を保っておられる。

[J0400/230912]

宮本常一『農漁村採訪録』

宮本常一記念館の編集企画で、宮本の調査ノートを翻刻・出版しているシリーズ。2023年現在、25巻くらいまで出ている。

今回はそのうち、2020~22年発行、第22~24巻の「下北半島調査ノート(1)~(3)」を眺める。宮本は昭和15年に下北のオシラサマについてまとまった調査をしているようだが、このノートは昭和38~40年に九学会連合の下北調査の民俗学会班として当地を訪れたときのもので、実はこれらノートの多くは同行した藤田清彦・田村善次郎の筆記によるもの。

この時の成果として出版されたのが『下北』(平凡社、1967年)。https://dl.ndl.go.jp/pid/3029927/1/111
そのうち、宮本常一が執筆しているのは「年中行事」の節である。

農業・漁業・林業・鉱業・出稼ぎ、行事や芸能等、雑多な項目にわたる調査ノートをざっと眺めて感じたのは、「生活の変化の激しさ」。産業ごとの栄枯盛衰や海産物の資源枯渇、取引先の変化など、ずっと変わらぬ農山漁村の生活というイメージとは距離がある。寒冷でやませに悩まされてきたこのあたりでは、稲作が容易ではなかったということも大きそうだ。

数多く出てくる項目やワードを列挙だけしておく。オシラサマ、テレビ、御料林・国有林の払い下げ、牛、船霊様、ヒエ、ワラビ、アワビ、ナマコ、ホタテ、モライッコ・モライゴ、醋酸、北海道への出稼ぎ、座頭暦・メクラ暦(I:37)、漁網、オオカミ・オイヌサマ、共有地・放牧地、ババ連中、熊、恐山、森林組合、労働組合、炭焼、若者宿・ワカゼ宿、ネブタ、能舞・敬神団、バス、コンブ、木挽、マタギ、ヨバイ、樺太、安部城鉱山、煙害、イカ、津軽からの嫁、多賀丸漂流、部分林、etc.

ほか、メモ。

  • パナマ運河の開通(1914年)前とあとでは気候が全然ちがう。(1:74)
  • 30年~40年前のヒエをもっている人もいる。ヒエも古くなるとかぶけて麹みたいになる。それを天気の良い日にほして、3本ぐわでこなして、また叺につめてとっておく。(1:95)
  • 目名、大利は早婚。16、7才で結婚していた。ここ〔砂子又〕は20才をこえないと結婚しない。(I:129-30)
  • チェーンソーは人力の2倍以上能率があがるので、それを導入すると人数を減らされる。働き場がなくなる。それで我々は鋸を使う。(2:120)
  • 安部城は補償金でたっていた。止めたら困った。(2:157)
  • 海中メガネができて沿岸漁業が盛んになった。(3: 16)
  • わしらの小さいころだは、ヒエかアワをくっていたものである。コメは買った。コメはツキやホシみたいに、ぱらっとしかはいっていなかった。(3:29)

[J0399/230910]

宮本常一『古老の人生を聞く』

宮本常一記念館編、「宮本常一ふるさと選書 第1集」、みずのわ出版、2021年。

「ふるさと大島」
「奇兵隊士の話」
「世間師」
「梶田富五郎翁」

「ふるさと大島」は、宮本常一が子供時代の回想も交えながら描く、周防大島のこと。残りの三編は、周防大島出身の古老に尋ねた話の記録。100ページに満たないパンフレット風のアンソロジー、読みやすく、図版も多くて良い。

周防大島を訪ねたばかり、しかもたまたま「ふるさと大島」で話の出てくる白木山の山腹をうろついたこともあって、感慨深し。米山俊直の「小盆地宇宙」ではないけれど、島を中心にひとつの宇宙が形作られている。それも、大洋にポツンとある離島とはちがって、行き来のしやすい内海にある瀬戸内の島のような場合、海はどこかに続いている道のようなものである。

https://goo.gl/maps/KSHH3sRCzvyW8m2N9

実際、周防大島は山口県であるが、地理的・歴史的に四国との繋がりも強い。本書に収められている「梶田富五郎翁」は、周防大島の久賀から対馬の浅藻に移り住んだ人たちの物語だし、この地域はハワイ移民を数多く出していて、大島の西屋代にはハワイ移民資料館もある。そういう行動範囲の広さがある。本書「編者あとがき」では、当地の移民について「技術を身につけておれば働きさえすれば食えるという事実の発見であり、働く場所は生まれ在所とは限らず、働く場所を求めて歩けばよいということになる」という、宮本のことばが紹介されている。

たしかに全国津々浦々を歩いた宮本ではあるが、周防大島を訪ねてみて、彼の原点はやはりこの「小宇宙」の周辺にあることを感じた。かの有名な『忘れられた日本人』「土佐源氏」の高知も、出稼ぎ先として周防大島と関係の深い土地。テープレコーダーを使わずに取材をしていた時代に、語り手自身の口調を生かした文章を書いたことで先駆者である宮本だが、「土佐源氏」や「梶田富五郎翁」など、その手法を使ったのは、彼自身がよくなじみを持っていた地域に限っていたのではないだろうか。もしそうだとすれば、周防大島と高知の歴史的関係なくしては「土佐源氏」は存在しなかったわけだ。

[J0398/230909]