宮本常一記念館の編集企画で、宮本の調査ノートを翻刻・出版しているシリーズ。2023年現在、25巻くらいまで出ている。

今回はそのうち、2020~22年発行、第22~24巻の「下北半島調査ノート(1)~(3)」を眺める。宮本は昭和15年に下北のオシラサマについてまとまった調査をしているようだが、このノートは昭和38~40年に九学会連合の下北調査の民俗学会班として当地を訪れたときのもので、実はこれらノートの多くは同行した藤田清彦・田村善次郎の筆記によるもの。

この時の成果として出版されたのが『下北』(平凡社、1967年)。https://dl.ndl.go.jp/pid/3029927/1/111
そのうち、宮本常一が執筆しているのは「年中行事」の節である。

農業・漁業・林業・鉱業・出稼ぎ、行事や芸能等、雑多な項目にわたる調査ノートをざっと眺めて感じたのは、「生活の変化の激しさ」。産業ごとの栄枯盛衰や海産物の資源枯渇、取引先の変化など、ずっと変わらぬ農山漁村の生活というイメージとは距離がある。寒冷でやませに悩まされてきたこのあたりでは、稲作が容易ではなかったということも大きそうだ。

数多く出てくる項目やワードを列挙だけしておく。オシラサマ、テレビ、御料林・国有林の払い下げ、牛、船霊様、ヒエ、ワラビ、アワビ、ナマコ、ホタテ、モライッコ・モライゴ、醋酸、北海道への出稼ぎ、座頭暦・メクラ暦(I:37)、漁網、オオカミ・オイヌサマ、共有地・放牧地、ババ連中、熊、恐山、森林組合、労働組合、炭焼、若者宿・ワカゼ宿、ネブタ、能舞・敬神団、バス、コンブ、木挽、マタギ、ヨバイ、樺太、安部城鉱山、煙害、イカ、津軽からの嫁、多賀丸漂流、部分林、etc.

ほか、メモ。

  • パナマ運河の開通(1914年)前とあとでは気候が全然ちがう。(1:74)
  • 30年~40年前のヒエをもっている人もいる。ヒエも古くなるとかぶけて麹みたいになる。それを天気の良い日にほして、3本ぐわでこなして、また叺につめてとっておく。(1:95)
  • 目名、大利は早婚。16、7才で結婚していた。ここ〔砂子又〕は20才をこえないと結婚しない。(I:129-30)
  • チェーンソーは人力の2倍以上能率があがるので、それを導入すると人数を減らされる。働き場がなくなる。それで我々は鋸を使う。(2:120)
  • 安部城は補償金でたっていた。止めたら困った。(2:157)
  • 海中メガネができて沿岸漁業が盛んになった。(3: 16)
  • わしらの小さいころだは、ヒエかアワをくっていたものである。コメは買った。コメはツキやホシみたいに、ぱらっとしかはいっていなかった。(3:29)

[J0399/230910]