Author: Ryosuke

金菱清『震災学入門』

ちくま新書、2016年。

第1章 いまなぜ震災学か―科学と政策を問いなおす
第2章 心のケア―痛みを取り除かずに温存する
第3章 霊性―生ける死者にどう接するか
第4章 リスク―ウミ・オカの交通権がつなぐもの
第5章 コミュニティ―「お節介な」まちづくり
第6章 原発災害―放射能を飼い馴らす

副題の「死生観からの社会構想」とは、ややイメージがちがうかな?

「災害における「高台移転」、「防潮堤」や「災害危険区域」、そして「原発避難区域」の議論は、科学的因果関係のもと、いつのまにか被災者の暮らしの目線を通さないまま、生きるか/死ぬかという単線的な生存の議論にすり替わっている」(28)

「心のケアセンターでケア活動に従事した心理療法家の岩井圭司も、自戒を込めて、以下のように言っている。すなわち、個人が癒やされれば集団も回復すると私たちは考えがちだが、被災地のコミュニティの互助機能を回復させることが心のケアの上で重要であるという逆方向の波及効果こそが重要であり、また必要なのだと強調している」(52)

「防災の専門家である片田敏孝も、防災は行政の役割という考え方が当たり前になっているが、これはとても危険だと指摘している。危険地域に堤防をつくるのは行政の仕事、浸水想定区域をハザードマップで示すのも行政の仕事、避難の必要があれば防災無線で知らせてくれる、これら自分の命を守ることに対する主体性が失われ、災害過保護状態が顕著で、その結果として人為的につくり上げた安全は、物理的な、確率的な安全性を高めたが、人間や社会の脆弱性をかえって高めることになっていると警鐘を鳴らしている」(109-110)

「大津波で海のすぐそばにあった自宅すべてが流失し、漁具を仕込んでいた店舗も大きな被害を受けた齋藤欣也さんは、「防潮堤を立てると海と〝喧嘩〟をするようなもので、何か良からぬことが起こる。海を怒らせてしまうのではないか」と言う」(120)

「同じ津波被災沿岸域でも、大雑把に規定すると、宮城県の南三陸町以北と石巻市以南では、このような津波を含む海難死の対処に大きな違いがある。・・・・・・常襲か非常襲かの津波の頻度によって、それに対処する人間の文化的装置もかなりの違いがある」(132)

[J0243/220228]

春日キスヨ『百まで生きる覚悟』

副題「超長寿時代の「身じまい」の作法」、光文社新書、2018年。

序章 「ご長寿本」ブームのその先
第1章 「普通の元気長寿者」の日常生活
第2章 元気長寿者にとって、「歳をとる」ということ
第3章 家族の揺らぎと長寿期生活リスク―「ヨロヨロ期」のために備えない高齢者たち
第4章 昭和期生まれ高齢者と「歳をとる」ということ
第5章 「ヨロヨロ期」の超え方、「ドタリ」期への備え方
第6章 今、何が求められているのか―「成りゆき任せ」と「強い不安」の間
終章 長寿時代を生きる「身じまい」のすすめ
おまけの章―「具体的な準備」の一例

看取る側としても、将来看取られる側としても、人ごとではない話。

僕自身、調査論文の中で「「今を一生懸命生きる」という人気の言い方は、自分が衰えた状態を考えたくない逃避の一種である可能性がある」という趣旨のことを書いて、そのことをずっと気にしている(「死と「迷惑」」)。この本でも、70歳・80歳を超えてなお、「ネガティブなことは考えない」とか「成りゆき任せ」にして、「意思表示をしない」人たちがいかに多いか、ということが述べられている。著者の言い方では、平均寿命の延伸について「ピンピンコロリ」や「生涯現役」ばかりが訴えられ、「身じまい文化」の重要性が気づかれていないという。

著者はまず、「成りゆき任せ」になる制度的背景として、介護保険の利用が、病気やケガで倒れたときにはじめて、手続きや契約が開始される点にあると指摘(228)。それから、昭和期生まれ高齢者は、① 兄弟姉妹数が多く、介護経験のない人が多い、②地域のつながりが薄れ、③病院・施設が普及して、身近に在宅暮らしの弱った高齢者と触れあう機会が少ない、といった仮説を挙げている(248-249)。これらはつまり、「人間はどんなに元気でも歳をとれば弱り、人の手助けを必要とするようになり、介護を受け、死んでいく」というあたりまえのことを知る人生経験が、昭和期生まれの高齢者には少ない」ということだと(249)。加えて、少子化という人口学的変化、この世代の親子関係の性格、子世代で生じた急速なシングル化といった社会変化が「根底的な理由」になっていると述べる(250)。この問題は、自分としても掘りさげていきたい。

この本を読んで気づくことのひとつは、案外と一人暮らしの人の方が、人任せにせず、自己決定や具体的な準備を進めるケースもあるということ。家族で暮らしている人のほうが、苦手な人がいるようだ。「先を考えて、決める」ということは、そういう実践の積み重ねと、もしかしたら一定の適性も必要だったりして、誰でも当たり前にできることではないのだなと。

この本で一番印象的なのは、とてもたいへんな状況を説明しているのに、危機をあおる感じがそれほどなく、どこか楽天的なニュアンスも漂っている著者の筆致。切羽詰まった状況だけでなく、生き生きとして暮らしている高齢者や、準備をしっかり進めている高齢者の実例を紹介してバランスがいいということもあるだろうし、家族社会学の第一人者でありながら、「社会問題を暴く」的な、大上段に構えたところのない筆者自身の姿勢の反映でもありそう。

[J0242/220225]

小泉八雲『日本雑記他』

平井呈一訳、恒文社、1975年。以下の三冊を合本として収める。

『霊の日本』(In Ghostly Japan, 1899)
『明暗』(Shadowings, 1900)
『日本雑記』(A Japanese Miscellany, 1901)

民俗学的なエッセイや再話文学に、彼の「幻視」や幻視の哲学(いわば)が入りまじり重なりあう、ハーンの仕事。たとえば、犬の遠吠えに自然法則の存在を考えたり、日本における女性の名前を集めて文化的な意味を解釈したり、幽霊に対する戦慄に進化論的な記憶を見いだしたり。

かねてよりハーンの書き物の中では、『霊の日本』の冒頭の短文「断片」に一番惹かれるのだが、『明暗』中の短文「夜光虫」も、同じように強烈な印象を残す幻想文学だ。夜光虫の輝きを眺めているうちに幻視が流れ込んできて、「自分はそのとき、この自分もやはり同じように、一個の燐光であると知った。――この無尽無窮の流れのなかに浮かぶ、うたかたのごとき一個の閃きにすぎないと知ったのである」とつぶやく(331)。宮沢賢治『春と修羅』の交流電燈を思い出させるようなくだりだが、ハーンには、宇宙と調和し一体化していく賢治にはない、宇宙と対峙した瞬間における戦慄の感覚がある。

たんなる「日本礼賛」の著述家という枠には収まらない、激しさ。随筆「夢の本から」は、「人間が、自分のなかにいる魂の群にいった」から書き起こされる、人間と「魂」との対話の話。

――「いや!」と魂どもは叫んだ。「目標は強い者のためにあるんだよ。そいつは、おまえさんなんかにゃ、いくらがんばって行きつけっこないよ。……おまえさんとおれたちは土に還るんだ。まあ、考えてみるんだな、おれたちにも、あればあったはずの盛りの時をな!むざむざ捨ててきた喜びを、愛のかずかずを、いくつもあったはずの勝利をな!夢にも考えなかった知識の夜明け。想像もしなかった感覚の壮観。限りない力の大歓喜!このうすらとんちき!自分が失った一切のものを、ちっとは考えてみな!」といううちに、人間の魂どもはひとりでに虫に化したとおもうと、見る見るうちに人間を食らいつくした」(384)

ハーンの日本文化の記述は、当時における貴重な観察ではあっても、やっぱり学術的な記録という枠組みから外れる部分も大きい。まなざしのあり方が、ゴーギャンが描いたタヒチに似ていると思う。ゴーギャンもハーンも、一時期マルティニークに滞在していたことがあるというのは、偶然だろうけども。

[J0241/220225]