Page 55 of 184

山本幸司『死者を巡る「想い」の歴史』

岩波書店、2022年。

第1章 死者を送る、死者を悼む
第2章 遺された側の想い
第3章 死者の世界へ
第4章 なお残る死者への想い
第5章 使者とその霊魂
補章 能楽―負の他界の死者

1ページ1ページ読んでいって、読み通すのにたいへん時間がかかった。というのは、とくに第1章から第4章まで、奈良から鎌倉初期あたりまでの主だった歌集や文芸作品から、死や死別に関連する和歌や文章を列挙した撰集のようになっているからだ。ひとつひとつの歌に、生死の巡り合わせを考えてしまう。古代日本の人々の心に親しく触れることのできる和歌集・文集として読めば、一家に一冊ものでは。

 高山と 海とこそば 山ながら かくも現しく 海ながら しか真ならめ 人は花物そ うつせみ世人(万葉3332)

 ひと声も君につげなんほととぎすこのさみだれは闇にまどふと(千載集555)

 もろともにながめし人もわれもなき宿には月やひとりすむらん(後拾遺855)

 限あれば今日は脱ぎ捨てつ藤衣果なき物は涙なりけり(拾遺1293)

 思いかねきのふの空をながむればそれかと見ゆる雲だにもなし(千載集550)

記紀・万葉集に古代の人々の死生観を辿る、みたいな本は数多いが、この本の価値は、よくある「つまみ食い」ではなく、網羅的に文献にあたって主題ごとの分類を行っているところ。

第5章や補章では、著者自身による見解も示されているが、いずれも首肯できる。

「往生思想が多くの人にとって、現実には教説に止まる皮相のものであったのではないかという疑いを、私が持つ一つの根拠は、身近な者の死に際して、悲しみや詠嘆の歌は数え切れないのに対して、そもそも八代集には「極楽」という言葉が登場する歌は少なく、極楽とか往生とかを思い浮かべたと考えられるような歌も、ほとんどない点にある」(234-235)

「誤解を懼れずに言えば、日本人一般には死後の世界についての具体的な観念が、ほとんど存在していないのではないだろうか。そして、その中で死後について考える場合、極楽でも天国でも天上でもいいが、そうした現世から遠く離れた世界に、死者が赴くというよりは、我々の身近な周囲の世界に、死者なりその魂なりが存在しているというのが、一般の考え方なのではないかということである。そのような、いわば特定の教義・教説とかイデオロギーとは無縁で、体系的でもなく具体的に細部を伴って描かれることもないような、極めて漠然とした「あの世」、それが日本人の一般的な他界観だったということである」(242)

僕も以前から思っていたが、山本さんの言うとおり、和歌には無常観が濃厚に漂ってはいても、輪廻や浄土のような仏教的な世界観は出てこない。行き場のない死者への想いや、「死者との絆への愛着」(242)が歌われているところは、おどろくほど現在の日本人の感覚に通じている。たとえば、和泉式部が読んだ次の歌。

 なき人の来る夜と聞けど君もなしわが住む宿や魂なきの里(後拾遺575)

大晦日に死者の魂が帰ってくるという風習について、それを信じたい気持ちがああって全面否定するわけではないが、実際には詮ないものと諦めているこの感じ、当時から現代に続く、日本的な死の受けとめ方の一典型だと思う。

[J0366/230516]

長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』

アルテスパブリッシング、2011年。

INTRODUCTION  ヒップホップの壁を越えて
第1部 ヒップホップの誕生
第2部 イーストコースト
第3部 ウェストコースト
第4部 ヒップホップと女性
第5部 ヒップホップ、南へ
第6部 ヒップホップとロック
第7部 ヒップホップの楽しみ方

昔、一度読んだはずの蔵書を再読。もう10年以上も前の本となった。欧米にかぎらず、世界のヒットチャートを散見するとヒップホップのテイストが普遍的といいたくなるような普及ぶりなのに、日本ではそうではないと感じていたのがしばらく前、それこそこの本が出版された頃。それが、遠目に見ていて、日本の若者のあいだで最近ヒップホップがまた独特の展開を遂げてきているような。この本をまた手に取ったのはそんな感覚もあって。

ジャズやソウルの「昔ながらの」ブラック・ミュージック愛好家である僕としては、ヒップホップのとっつきにくさを説明してくれている部分に目が行く。たとえば、「ヒップホップは音楽ではない」というくだり。ヒップホップはゲームであると。長谷川さんは、ヒップホップを例えるのに、100%の商業主義の「場」である『少年ジャンプ』、物語がメインにある「プロレス」、ビートたけしに代表されるホモソーシャルな傾向のある「お笑い」を引き合いに出している。

この本がなるほど「文化系」らしいな、と思うのは、ヒップホップの女性差別的な側面を意識しつつ、ヒップホップ界隈で活躍する女性の類型論を紹介しているくだりなど。

ヒップホップとロックの対比という話題では、抵抗の音楽としてのロックに対して、「ヒップホップは正反対なんです。資本主義から締め出されちゃっている人が、資本主義に参入していくための手段として始める音楽だから。「ドロップアウト」ではなく「イン」なんです」(227)と、長谷川さんの言。なるほど、こうしたテイストの対立は、他の大衆文化でもあるかもしれないな。ちょっとさすがに例えすぎな気もするけど、ロックは純文学で、ヒップホップは匿名性の高いTwitterのつぶやきだ、という指摘も(239)。

本書を通読してみて、僕個人としてはヒップホップをヒップホップ的に聴くのは難しいなとおもったが、ポップスとして聴いて面白いものもたしかにあるので、ディスクガイドを手引きにあれこれ触ってみたい。さしあたり引っかかりがあったのは、R. Kerry “Ignition” や Bhusta Rymes “Touch It” など。

本書はアメリカにおけるヒップホップ文化の意味をわかりやすく説明してくれていると思うが、ヒップホップが世界中で人気を得ている理由については疑問として残されている。世界でヒップホップが「受容」されているとき、それがどこまでブラックミュージックとして意識されているかという問題についても。

そうそう、思いつきで思いっきり個人的な好みの話をすると、ニュージーランドの歌手Beneeの曲 “Superlonely” が、今どきでもあり普遍的でもあるような、育ちのいい田舎の女の子の曲という感じで最高だったのだが、最新曲の “Green Honda” は、音楽的にだけ言えばいかにもなギャングスタ気取りのえせヒップホップなポップソングになり果てており、それはそれで愛嬌っちゃ愛嬌なのだが、寂しいなという気持ちもあり、こんなことでもヒップホップ文化の影響力というものを考えたりするわけだ。

[J0365/230515]

「大蛇の角磨き」のお話

島根県教育会編『島根県口碑伝説集』(島根県教育会、1937年)を国立国会図書館デジタルコレクションで少しずつ読んでいるが、そのなかから、妙に可愛らしい伝説をひとつ紹介。かな表記等は現代風に改めた。



八束郡森山村下宇部の瀬戸に面しているところに池の尻というところがある。いまは跡だけしか残っていないが、その昔ここの中央に禿げ山をはさんで西と東に非常に大きな池があった。この二つの池を住処としてひとつの大蛇が住んでいた。今ではこの中畝を「せご磨り畝」といっている。それからその禿げ山の少し南に山があって、その一方海岸に面した方は屏風を立てたように峭立している。

大蛇は二本の角をここで一心に槍の穂先のように研ぐのであったという。その痕跡と思わるるものが無数に残っていて土地の人は角研ぎ場といっている。大蛇は時節を待ち天へ昇ろうとしていたがついに天へ昇ることができなかった。

そして村の人に向かって、「私はこれから大山の赤松ヶ池に行きて昇天の研究をいたしますから、これでお別れをいたします。私が生きている間はこの土手に生えている菜種の花が咲きます」と告げるのであった。

その後もう大蛇の姿を見ることができなかった。今でもやはり土手菜種といって毎年愛らしい花が咲く。

八束郡森山村下宇部とは、現在は、松江市美保関町森山にあたる場所である。境水道(中海と日本海をつなぐ川)に面していて、遠くに大山を仰ぎみることのできる土地。伝説中の「海」とは、おそらくこの水道のこと。

昇天を果たせず、別れぎわに「私が生きている間はこの土手に生えている菜種の花が咲きます」と住民に告げていく大蛇とは、なんともかわいらしくないですか。類話がほかにあるのかもしれないが、どうしても出雲びいきである僕としては、出雲ならではのお話だと思ってしまう。

森山から大山までは40キロほどの、さほど遠からぬ道のり。赤松の池は、ほかにも大蛇伝説のある場所である。出雲周辺の大蛇信仰といえば、出雲大社のご神体をはじめ、土地土地の神社で祀られている荒神様も大蛇だし、関連の話題は多い。他方、菜の花については僕は他に由来をしらず、唐突に菜の花を引き合いにに出す大蛇に、ただただほっこりとする。

[J0364/230511]